激戦、三重の柵の攻防
設楽原から甲州へ
設楽原から「しんしろ」へ
風林火山
徳川家康公
設楽原(したらがはら)からのメッセージ
奥三河の山なみがゆるやかな丘陵地帯に変わり
豊川の下流に向かって平野がはじまるところ
・・・・ここが設楽原です。
長篠・設楽原の戦い
空を仰ぐと、雲が早く走っている。
法螺は鳴り続けていた。「行かなければならない」
井上靖作「風と雲と砦」(設楽原の項)
山があれば、谷がある。
勝つことがあれば、負けることがある。
戦いは、時として、あしたを奪う。
ようやく入りましょう
「設楽原の戦い」年表
戦乱の世を生き抜くために
宇利城の戦い
野田城の戦い
野田城
長篠の戦 設楽原決戦場案内図
ねんごろに まつりたやさぬ 勝楽寺
ようこそ設楽郷へ 設楽原をまもる会
左側に東郷中学校の体育館かな
岩瀬忠震(いわせただなり)公之像 誰?
新城市設楽原歴史資料館
朝ごはん
豊橋駅
3番ホームは、名鉄なんです。
名鉄
飯田線上り 8時43分豊橋着 これが下りになります。
4両から2両に切り離し
本長篠行き 9時08分発
ポケ角
途中 河津桜が満開 3月13日
10時06分 三河東郷駅着