柳田橋からの馬防柵再現地
長篠・設楽原合戦屏風絵図
さくにのぼってはいけません
馬防柵
えんえんと 柵木岐阜より かつぎくる
三千挺 鉄砲とどろく 天正三年
土屋昌次 柵にとりつき 大音声
名和式「鉄砲構え」
柳田橋からの馬防柵再現地
長篠・設楽原合戦屏風絵図
さくにのぼってはいけません
馬防柵
えんえんと 柵木岐阜より かつぎくる
三千挺 鉄砲とどろく 天正三年
土屋昌次 柵にとりつき 大音声
名和式「鉄砲構え」
歴史の分かれ道ー設楽原古戦場ガイド
設楽原歴史資料館の建つ信玄台地、その西側を流れる連吾川・・・低い丘陵と平地が交互に続くこのあたりが、天正の昔、歴史の分かれ道を演じた「設楽原古戦場」です。
設楽原古戦場
甘利郷左衛門信康の碑
を 雄々しくも 立ち腹さばく 甘利信康
設楽原古戦場看板 本田プラス(株)竹広倉庫
柳田前激戦地 ぬかるみに 馬もしりごむ 連吾川
連吾川に架かる柳田橋
柳田橋から連吾川 下流側
柳田橋から連吾川 上流側 馬防柵再現地
岡崎への使者は金七郎と強右衛門・・・
◆信玄塚(大塚)
大塚は信玄原の東北端にあり、塚の高さ約3m、経13mの円墳形である。塚の上に老松が枝を張っていたが、昭和39年枯死した。今は4代目の松が植えられている。
その根元に、地蔵石仏一基と法華経千部、供養塔一基が建てられている。
設楽原古戦場いろはかるた
◆閻魔堂
信玄塚の脇に小さな御堂がある。お堂の中には石造の閻魔大王が祀られている。宝暦7年(1757)に空道和尚によって刻まれた石仏である。
信玄塚の大塚の地蔵菩薩、小塚の観音菩薩ともに空道和尚の作である。
石造閻魔大王
◆信玄塚(小塚)
小塚は信玄原の南端にあり、塚の高さ約1.5m、径3.6mほどである。その上の雌雄2本の松が一体となり生い茂っていた。これも女松が昭和52年、男松が昭和56年に枯死した。現在は男松4代目、女松2代目がある。塚の東側に石仏観音1基が建てられている。
(無形民俗)信玄塚の火おんどり (史跡)信玄塚
開国の星「岩瀬忠震」(いわせただなり)
忠震の顕彰ー向島
墨田区向島の白鬚神社の境内に、明治16年に建てられた忠震の墓碑がある。へーびっくり近所です。
火おんどり① 大塚・小塚
火おんどり② 信玄塚の火おんどり
火おんどり③ 「戦場考」とその後
火おんどり
屋上に出ました。
この辺り一帯“設楽原” 織田軍陣地と武田軍陣地
馬防柵再現地
この辺り一帯“設楽原” 徳川軍陣地と武田軍陣地
新城市設楽原歴史資料館の屋上 設楽原を再現しています。