本日は「戦争の泥沼化」がテーマです。
ロシアによるウクライナ侵攻でも、ガザ地区のイスラエル侵攻でも、早期停戦を求める一般市民および国際世論とは裏腹に、当事者であるロシア政府とウクライナ政府、同じくイスラエル政府とハマスは、それぞれが主張する停戦条件がドンドンと釣り上がってしまい、さらに泥沼化の様相を極めています。
こうした状況は、過去の歴史を振り返っても、ほぼ同様のことが起きていますが、理由は極めてシンプルであります。
早期決着⇒早期停戦であれば、それぞれの犠牲者数が少ない段階であり、街やインフラもそれほど破壊されていないため、戦争を止める条件は、それぞれまだ現実的なレベルに設定しやすいのですが、数多くの犠牲者や街の破壊が発生してしまうと、自分の家族が犠牲になったり、自分の家を破壊されたりする人の数が膨れ上がりますので、その人たちは「絶対に敵を許さない」「相手にも同じ思いをさせる」「敵を根絶やしにするまで戦い続ける」といった意見の持ち主になります。
戦争が長期化すればするほど、そうした国民の数がさらに増えていきますから、「国民的な恨み辛み」が幾層にも重なっていきます。そうなるともう、国のリーダーと言えども、簡単には「停戦」などと口に出来なくなるのです。
TV報道だけを表面的に眺めていると、「プーチンがいなくなれば戦争が終わるのに・・」とか、「ネタニヤフが辞めれば停戦が可能になるのでは?」といった見解を述べるコメンテーターに私たちは同感しがちですが、現実はそんな簡単な話ではありません。
国の指導者が、TVカメラの前でドンドンと過激な意見を繰り返す裏には「指導者の周囲を固める軍指導部」や「指導者への不満を膨らませる国内世論」の存在があって、彼らからの支持を維持するためには「さらに過激な言動」をせざるを得ない状況に陥っていると考えるべきであります。
いわば、戦争が長期化して消耗戦になればなるほど、国民は「過激な保守派だらけ」になってしまうということ。これが泥沼化する最大の原因であります。
さらに、これも歴史が証明していますが、表面的には「過激な保守派」を演じながら「冷静な撤収行動」を指導できる人物が「組織内に潜伏」し始めます。そうした人物は、過激な保守派から「粛清」の対象となって多くが犠牲になりますが、それを逃れた人の中から、新時代を切り開く新たな指導者が現れます。
これを待たないと戦争は終わりません。
我々も人間として肝に銘じなければならないのは、こうした状況に置かれた時、少なくとも「粛清」に加担する人間になってはいけないということ。
熱くなりやすい熱血漢は、平和な時代では良い人間でありますが、このような状況下では「粛清」側にまわったり、議会を襲撃するような行動に出る傾向があります。
私たちも気をつけたいものであります。