金融マーケットと馬に関する説法話

普段は資産運用ビジネスに身を置きながら、週末は競馬に明け暮れる老紳士の説法話であります。

【将棋】木村九段、受けて潰せず! ところで、やはり藤井七段は凄い・・

2019-08-31 07:21:35 | 将棋

 27日(火)~28日(水)に行われた王位戦第5局は、豊島王位・名人が快勝し、タイトル防衛にあと1勝となりました。期待された木村九段ですが、「受けて潰す」はずが、「受けきれず」で粉砕された形でした。しかし、まだまだ縺れると思いますので、第6局を楽しみに待ちましょう。

 豊島・木村の真夏の10連戦という意味では、9月5日(木)に竜王位挑決戦第3局があります。ここで勝てれば、全てを帳消しにできますので、木村九段の奮闘に期待いたしましょう。


 ところで‥。今週の将棋といえば、26日(月)に行われた大阪王将杯王将戦予選の中村太地七段 対 藤井聡太七段の闘いが痺れてしまいました。中村太地七段といえば、何と言っても、羽生永世七冠から王座を奪い取った元タイトルホルダーです。昨年タイトルを失ってからは調子を落としてはいますが、豊島名人と同世代、次代を担う棋士であることは疑いようもありません。

 その中村七段を、藤井聡太七段は、何と剛腕でねじ伏せるような将棋で破ってしまいました。相手玉の追い詰め方がまっすぐ一直線。さすが、詰将棋選手権5連覇中の棋士です。この夏は、竜王戦挑決トーナメントで豊島名人に完敗してしまいましたが、やはり藤井七段は、天下取りのバトルロワイヤルに、もうすぐ参戦してくることは間違いありません。A級棋士や元タイトルホルダーに対して「剛腕勝利」が出来るというのは、もうトップ棋士と同じレベルであることを示しております。


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【金融】隣国の自由と民主主義の危機 その2

2019-08-30 06:59:24 | 金融マーケット

 いまだ民主主義が確立したとは言えない未成熟な段階、これが今の隣国の姿だと思います。

 それでも、現在の国民は、自由と民主的な空気を満喫して、それが当たり前の権利として受け止められていることでしょう。しかし、今は、その自由と民主主義が危険な状態に入りつつあります。この状況を脱して、真の民主国家に昇華していくためには、急がば回れで、民主国家の基盤であるノブレスオブリュージュを数多く育て上げなければなりません。

 その前に、北に飲み込まれてしまえば、それで隣国の民主主義は死滅してしまいます。こればかりは、隣国の国民の力を信じるしかありません。気が付いたら、自由は奪われ、家族や友人が数多く粛清されるような世界に変わってしまった!とならないために、今は正念場だと思います。失くしてから改めて自覚するのが、自由とデモクラシーの素晴らしさです。

 こうした市民の権利は天から降ってくるものではなく、自らの力で、強い意志を持って守らなければなりません。他国は結局のところ、全く頼りにはなりません。自由とデモクラシーを守るためには、今何をするべきなのかを、権力者に煽動されるのではなく、自らの頭で考えてみて下さい。正に正念場です。頑張れ、韓国の人達!

 世界では、近代民主主義の賞味期限が切れたのでは? と言われて久しい状況下ですが、その趨勢は朝鮮半島にかかっていると言っても過言ではありません。日本のマスコミ各紙も無責任に嫌韓ニュースを流している場合じゃありませんよ! 民主主義と非民主主義の境界線が、38度線から対馬沖に変わった瞬間から、今度は我々が、非民主主義勢力からの圧力を一身に受けざるをえなくなるのです。そのリスクをもっと論じるべきだと思います。


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【金融】隣国の自由と民主主義の危機

2019-08-29 07:05:53 | 金融マーケット

 このブログを始めた時に、最初に取り上げたテーマが「民主主義の賞味期限」です。今の隣国を見ていると、民主主義がひどく儚いものであることを感じざるを得ません。

 そもそも、有権者が選挙で人気のある候補者を選ぶだけでは、民主主義国家は成立しません。人気があっても、きちんとした資質を持ったリーダーが選ばれなければ、民衆の声に右往左往するだけのポピュリズム政権が誕生するだけとなります。ちゃんとした民主主義国家が成立するためには、民主主義を支えるエリート集団=ノブレスオブリュージュの存在が不可欠です。優秀な官僚組織、国の経済基盤・技術基盤を支える民間企業組織、正確な情報を国民に提供し続けるマスコミ、そしてそれらのエリート達を育てる教育機関がそれに該当します。

 未成熟な国家を、とりあえず安定させる手っ取り早い方法は、独裁による統治です。典型的なのは軍事政権で、軍隊という圧倒的な暴力装置を背景として、一人のリーダーに権限を集中させ、国民の反対や我儘は許さない統治のやり方です。この独裁政権時代を通じて、徐々に優秀な官僚組織や、強い経済基盤や、世界で競争できる企業を数多く育てることが出来れば、どこかの段階で、独裁政治⇒民主政治へ移行するというのが理想的な体制移行となります。

 しかし、大抵は理想通りにはなりません。なぜなら、一度独裁者になった者は、自分の権力を死守しようとするのが人間の性だからです。自分の好き勝手にできる世界を、敢えて変えたいと思う権力者がいるはずがありません。また、次の世代を担う後継者が育ってきたら、それを粛清してしまうのも独裁者の性というものです。

 北朝鮮のことを言っているのではありません。隣国の同盟国、韓国の歴史を振り返っているのです。軍事独裁政権により安定を保っていた韓国は、民主化運動により新たな時代へ突入したものの、軍事政権時代への復讐心から、かつての権力者たちを死に追込み、かつての政権への協力者を政治的に粛清してしまいます。その後、保守⇒革新⇒保守‥の政権交替時でも同じことが繰り返され、いつまでたっても、国家基盤を支えるノブレスオブリュージュが形成されていません。

 イングランドで言えば、ピューリタン革命以後の世界と同じ。クロムウェルが恐怖と過激な思想によって大衆を先導する一方で、王制派が巻き返して、延々と混乱が続いた時代。現在の隣国とダブります。

 イングランドでは結局、デモクラシーがきちんと確立するのは、名誉革命の成立まで待たなければなりませんでした。(続く)


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【雑感】夏の終わりを感じる時

2019-08-28 07:47:27 | 雑感

 明け方に、新聞を取りに表に出る時、「あれ? 今日は空気がサラリとしているなぁ」と感じると、そろそろ夏が終わる時期となります。ここ数日の朝は、そんな空気が流れておりました。

 競馬を生活のリズムにしている人間にとっては、「新潟記念」「札幌2歳ステークス」「小倉2歳ステークス」が真夏の終了合図となります。今週末で夏の新潟・札幌・小倉開催が終了して、来週からは中山・阪神開催が始まり、秋競馬がスタートするのです。夏の間に休養あるいは成長したGⅠ級の馬達がゾロゾロと、中山・阪神のレースに繰り出してきます。また、中央デヴューを待っていた評判の2歳馬達も、今か今かと勢い込んでいると思います。大変楽しみな季節が到来します。

 将棋を1年中見ている人間にとっては、「王位戦」が佳境を迎え決着すると、あぁ夏が終わった、と感じます。昨日から王位戦第5局が指されている最中ですが、こちらはもう少し熱戦が続く状況ですね。

 さて、ここからが本題なのですが、食いしん坊の私としては、毎年「秋刀魚の刺身」を寿司屋で注文し始めると、「真夏も終わりだなぁ」と感じるのです。しかし、今年は行きつけの寿司屋でも「良い秋刀魚がないので、刺身は出していません」と言われる始末。そのかわり、「めちゃくちゃ良いイワシが入っていますよ!」と言われて、そちらを「美味い、美味い!」と食べております。

 確か、サンマとイワシは獲れるサイクルが正反対なので、サンマが不漁の時はイワシが豊漁、イワシがダメな時はサンマが豊漁だと習ったことがあります。今年のサンマの不漁を、あたかも中国船・韓国船のせいにしている報道が目立ちますが、案外、サイクルのボトムに入っているだけかもしれません。こういう時は、サンマではなく、豊漁で安くて美味しいイワシを頂き、夏の終わりを堪能して参りましょう。


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【雑感】死生観 その2

2019-08-27 07:08:29 | 

 前回お話したとおり、自分の死生観はシンプルで、「①どうせいつかは死ぬのだから、今を全力で走り、いつ死んでも後悔はない」「②ただし、嫁の生活保障と子供の教育資金の確保ができるまでは絶対に死ねない」「③両親が亡くなるまでは絶対に死ねない」の3つ。

 最初の、①どうせいつかは死ぬのだから‥は、35歳の時、職場が煮詰まっているときに飛行機に揺られながら、突然芽生えた感覚でしたが、それ以来、気持ちの割り切りが早くなりました。

 7年前には、息子が大学を卒業して就職、我が家から独立して出ていき、また、企業年金の受給権も確保して、現在の貯えを考えると、嫁の老後の生活保障もほぼ確保できるレベルになってきました。すなわち、②の死生観の第1の停止条件がクリアできましたので、これにより、肩の荷が軽くなるというか、自由になるというか、今を一所懸命に生きるということに、より集中できるようになりました。

 そして、4年前に父親が亡くなり、先週、母も老衰による大往生を遂げました。ついに、③の停止条件もなくなりました。これで、自分の死生観は「どうせいつかは死ぬのだから、今を全力で走り、いつ死んでも後悔はない」だけになりました。もう、こうなると怖いものはありません。


 と思いきや、私の脚の周りに、ウロウロと毛を付けて回っている猫がおります。

そうだ! もなか姫がいる。もなか姫を一人にする訳にはいかない。もなかを看取ってからでないと絶対に死ねない。う~ん、人間は、悟りそうになった瞬間に、シガラミというか、まとわりついてくるものが、必ず出てきますね。

愛なのか、煩悩なのか、猫なのか!


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