ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

気になる・・

2011-10-09 09:20:51 | 実例体験観察
たとえばこんなこと・・・

ナンタラさんが最近よそよそしい感じ・・・なんか嫌だなあ・・

前は見せていた笑顔が全然見られない。

なにか思っているんだろうな 多分・・その顔を見ると気になる。

自分のことをなんか思っているんじゃないか・・

何故そう思うのかといえば・・

ナンタラさんという人はいろいろとひとのことをあーだこーだと人に言う人だと情報がある・・

思い当たる節が無くても、気になる・・・

「そんなひとの言うこと気にすることないよ」・・という声が聞こえてくる。

それは頭でわかっていても、気に“なる”

こういうようなことはある。私も経験がある。ドラマでも時々見かける。

何がどう気になるんだろう・・?心の状態はどうなっているのだろう?

何が心に起こってそんなに気になるのか???


私も経験があるので、自分の内側を観察したことがある。

その時の意識観察メモ・・以下。

ナンタラさんは気を悪くしている と 思っている。

そんなことわからないよ、と頭では思っても、そうは思えない。

絶対そう思っている、なんて思っている。

けど、実際ナンタラさんはそう思ってないのかもしれない。

けど、そう思っているのかもしれない。

だとして、それの何がまずいのか?何が怖いのか?

あの人は・・と思われるのが嫌なのか?

あんなことをして・・とナンタラが気を悪くするのが嫌なのか?

うーん、、、、?????

ナンタラに気を悪くさせる為にナニカをしたことは無い。。

うん、そうそう。そうなんだよ。

ナンタラの気分を害するためにナニカを私がしたなら、

それは自責の念に苦しむのは当然だけど、悪意でナニカしたことは一度も無い。

そんな私が苦しむなんてのは可笑しい。

(ここらへんで気分が変わって来る。)

わからないけど、もし、ナンタラが「A(わたし)はあんなことしているなんて・・」と

思っていての話だが、

ナンタラはナンタラの持つ価値観を絶対としてるので、

その価値観にそぐわない人を見ると、文句を言いたくなるわけだ。

それだけだ 問題は。

トラワレてるから、彼女の価値観に外れる行動をする私が気になる・・

非難したくなる・・とまぁこんな展開なのだろう。

私は私で在っただけだ。 

それは彼女の問題。私の問題じゃない。

それを何故私が気にしないといけないのか?!

あほなことしていた!!!^^

・・とまぁ、こんな展開になって、実に気分がすっきりしたのだった。


使用前・使用後みたいに、気分が変わって来る。

これをやってると、やめられなくなる。


ええええええーっ!!!

2011-10-09 09:09:05 | 実例体験観察
義母の亡くなった頃の話だが、

この地域では、死人が出た家はその後にいろいろやること、

(共同の墓掃除とか)というのがあって、

それを初めて聞いた時は「ええええーっ!!」だった。

そういうことを聞いて、どう受け取ったかというと、

「そんなんやらなくっちゃいけないのぉ!」だった。

大いに不満状態。

自分が(そんなこと なんでやらなくちゃいけないの!)と何故思ったのか?

そう思った時の気分が自分で不愉快だったから、

いつものように、自分の内側を観察した・・。


その(そんなこと)とは何を指したのかというと・・

(そんなシキタリみたいな、“形だけのこと”)だった。


その時の私はまだそれをしてないのに、“形だけのこと”だった。

そういう作業が 形だけである と決めていた わけだ。

「形だけ」とはそれをする時の(思い)だ。


他の人が共同の墓掃除とか、何かそういうことをしている時、

私は(シキタリだから、形だけやってる)と観ていたことに気が付いた。

他の人がなにを思って墓掃除をしているのか、

私は わかっているつもり になっていた!

なんということだろう!と思った。


ひとが共同の墓を掃除してるのを、

(形だけで、気持ちは嫌々やってる)・・

と、わかることなどないひとの心を無意識のうちに決めていた。

自分のものの見方で現象を見ていた。


どんな気持ちでそれをしているのか、聞いたことも無いけれど、

喜んでそれをしている人もあるかもしれない。

嫌々やっている人もあるかもしれない。

ご先祖さまのためにやらなくちゃと思うけど、

身体はきついなぁと思っている人もあるかもしれない。

行動を見ているだけじゃ、

わかりようもない。

目の前の人は自分の心の鏡 と聞いたことがあるけど、

そういうこと。心とは存在の無意識的在りよう と思ってる。


シキタリなんて、くだらない、馬鹿げている、と傲慢に思っていた。

「そういう作業は頑固な因習である」

・・という思いが無意識のうちにあった。

潜在意識にそういうプログラムがダウンロードされてあったんだろうな・・・


確かに実の無い形骸化している“シキタリ”

というものは世の中にあるかもしれない。

特にこんなふうな田舎には多いように思う。

でも、それをダメだ!くだらない!馬鹿げてる!と否定することは、

それが無くなることを遅らせる。