ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

「パパはなんだかわからない」

2011-10-23 15:42:53 | ひとの幸福
どうして惹かれるものと惹かれないものがあるんだろ。

何故だかわからないけど、惹かれる。

今もあるかもしれないけど、週刊誌のマンガで

「パパはなんだかわからない」という奴。

あれなんかそうだった。

あの「パパはなんだかわからない」というネーミングにも凄く惹かれた。

あの絵のパパの表情とあのタイトル・・・

なんだかわからないけど、惹かれる。

こういう感覚って面白い。

一人一人こういう感覚は違う。

なのでひとは面白い。
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忘れる

2011-10-23 13:57:26 | ひとの幸福
この頃いろんなことをよく忘れる。

いや、この頃に限らない。

なんせ若い頃JR(当時国鉄)の通勤定期の期限が切れたのを、

忘れて半年もそのまま毎日通勤してた。

当時は今みたいな改札じゃなかった。

駅員さんが定期を見るというスタイルだった。

ホントに忘れてた。知ってたらとても出来ない。

ある日、精算すればいいと、電車に乗った。確か東北への一人旅だったか、

あ、検札の人が来る、定期出しとこ っと思って、

ふと、定期を見ると、!!!キャー!超ヤバイ。

瞬時に考えた。しらを切ろう。

だって悪意なんかなかったんだから。

それっきゃない。

ホントに何気なく、はい、お願いします・・とかなんとか言って、

定期を堂々と出し、精算した。

車掌さんはにこやかに去って行った。

終わった時のあの安堵感。忘れられない。

いや、それが言いたいんじゃなくて。


忘れる というのは行為じゃない。意識だ。

忘れて、期限切れの定期を「使ってた」のは行為・動作だけど。

(忘れた)という思いがあった場合だけ、

忘れるということ がある。

実際に期限切れを知らなかった時は、

意識に(忘れてた)が無い。


認知症がひどくなると、その人にとっては

(忘れる)ということは無いのではないかと思う。

既に食べた昼飯を「まだ食べてない」と言う という現象はあるだろうけど、

本人は忘れてるという認識はない。

それを「忘れてぇ!この呆け」と怒ってもしかたない。

怒られても変わらない。

昼飯を食べたという現象はあったにしても、

その人の人生にとっては、その日の昼飯は食べてない のだ。

どんな物も事も、在ったという事実があっても、

在るという自覚が無かったら その人にとっては無い。

その人はその意識しか生きられない。



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