ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

2011-10-12 11:06:27 | ひとの幸福
明治時代の10代の人々の様子を書いた書物などを読むと、

これが10代か!?と思うほどに思慮深く、

自分の頭で考え、浮ついていない ように受け取れる。

その当時の人々はたくさんの子供を持ち、

食べる事、食べさせることに忙しく、

子供のことに構っている暇はなかったのだろうと思う。

今みたいな情報の垂れ流しもなかった。

子供がこれこれこういうふうに育つことを願って、

意識的にそういうふうにしていた人も中にはいたかもしれないが、

大半はそんな描きも無く、無意識のうちに只、放っておいた のかもしれない。

子供が育つかたち としてはよかったのかもしれない。

現代の子供よりかなり成熟している。幼稚な感じはしない。

親を殺す子供もなく、無差別殺人する人もなく、

いびつな育ちをしている子供もないように思う。

貧しい時代だったから、無意識でやっていても、

干渉しないというかたちは結果としてよかったのかもしれない。

・・・・ということは、

ひとという生命体は自ら感じ、考え、正常に在ろうとする力を

生まれながらに持っているんじゃないかな。

ひとつの種や受精卵は全ての必要なものが詰まっている。

なんの不足も無く、完全。

しょうがない しかたない

2011-10-12 10:59:28 | ひとの幸福
「雨が降って来たよ、しょうがない、運動会は延期だ」

「しょうがない」というのは、元々 しようがないから来た。

~しようがない、 ~やりようがない、 ~するすべはない、という意味。

「しかたない」という言葉もある。

これも、仕方、やり方、が無い ということなんだろ。


雨が降って来た・・・これについてはイヤでも不都合でも、

今のところ、なんともしようがない。だって、降っちゃってるんだから。

降っている状態に“なってる”

降っている状態になっている=そういう状態で在る。

あー、そうですか  以外に無い。


それをナントカしようとする  というのは無理。

勿論、「じゃ、体育館で運動会しよう」というのは、

その状態を受け入れて対処する、ということで、

雨降り状態自体をナントカしよう、というのとは違う。

雨が降っている事をいつまでもグズグズ言う人は少ないと思うけど、

そういう心の状態は、

思うことでナントカ出来る・ナントカしようとしている無意識から来てる。

思ったり言ったりするだけではナントカ出来ない ということがわかってない といえる。

今すぐ月に行きたい ということは出来ないとわかっているから、

ひとは具体的にはそれを望まない。

夢みることはあるだろうけどね。

でもでも、いつか ひとにとって、

ちょうどいい具合に雨が降ったり、

晴天になったりするような天候になるほどの、

力を人間が持つようになる・・・こともあるかもしれない。

車や飛行機が出来たのも、パソコンが出来たのも、

最初は 夢みる ことから始まっているから。

お騒がせ

2011-10-12 10:12:28 | 新聞を読んで
「お騒がせしました」

「世間をお騒がせして申し訳ございませんでした」

という言葉を所謂悪いことをした人が言うが、

世間をお騒がせしたのはその人ではなく、

その事件を広く世の中に向かって発したマスコミである。

悪いことをした人があっても、

報道しなければ世間は騒ぎようがない。


「死の町」・・・

2011-10-12 10:07:24 | 新聞を読んで
政治の場面でも、この前、ナントカ大臣が原発の近くの町を見て、

「まるで死の町」だっけ、そういう言葉を言ったことから、

やめたという成り行きになった。

「震災した人の心を逆なでするものである」

・・ということになったのだろうが、

町のたたずまい、町のムードの感想が口に出ただけだろう。

それを見て、「生き生きとした町」とは誰も思わないのは当たり前だ。

その言葉を発した人の心はどういうものなのか・・

その言葉の奥に何があるのだろうか・・

そういう観察力が乏しいと言ったら、非難ゴウゴウになるんだろうか。

この文章もただ観察してるだけなんだけどね。


大臣も、ナーバスになるべくしてなってる一部の震災した人たちが

この言葉を聞いたら、

どういう反応をするかという観察力が

乏しかったのかもしれないけどね。


でもこういう騒ぎになったのは 

マスコミの働きが一番大きいね~。