ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

はよせんかいっ!

2011-10-05 15:20:10 | 実例体験観察
「はよせんかいっ!(早くしないかっ!)」と声高に言う。

・・怒鳴るように聞こえる。

イチゴを食べたいと言うので、用意していると、そんな声が聞こえる。

「はーい、今 潰してますからね ちょっと待ってくださいねー」

と返事する。

けれど、初めてそんな言い方を聞いたときはびっくりしたし、ムッとした。

「そんなに早く出来るわけないでしょっ!」

と返してしまった。

ようするに、その時は、(あー言えばこー言う状態)の私だった。

そんなに早く出来るわけないでしょっ!を言った直後、

それを発した自分は 気分良くないな と思った。

気分がよくないことがあると、すぐに研究が始まる。


はよせんかい! は言葉の意味で言ったら

「早くしないか!」だけれど、

彼女の言わんとするところ、気持ちは「早く食べたい」

・・そういうことかな と思った。

本当のところは彼女ではない私にはわからないけど・・


でもそう思ってからは、最初に書いたような自分に自然になった。

「あと一分待っててくださいねー」

・・なんて感じで穏やかに言った後はすーっと静かな感じになる。


自分が相手の言動に何を観るのか。

自分が観るものを相手はみせてくれる。


このひとは怒っていると観ると、

きちんと引き続き怒っている状態が続く。

そして、なんでそんな言い方するのよ! になったり、

嫌だな、とか、やりにくいな、とか

それ以後、怒らせないようにしよう、

・・なんて意識が働いたりする。

・・とかになって自分の言動がおかしくなる。


すぐに(怒ってる!)とならないで、

何をいいたいのかな、何がしたいのかな、って聴くと、

人生というドラマの展開は変わってくる。


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在りのまま

2011-10-05 10:03:45 | ひとの幸福
熱いヤカンだと知らないで触ってしまった時、

人はその手をすぐにヤカンから放す。瞬時に適正な行動をとる。

その瞬時は何の悪感情も無いのに、

その後の時点で「こんな所へ熱いヤカンを置くなんてっ!」と言って、

(怒り)になるのは

考えるから ではないか・・・


そのす瞬時の時点ではなんの悪感情も持たずにすぐに手を放すという行動をとっている。

実に素晴らしく人間は出来ている。


勿論、今後どうするか という事を考える のは大事だ。

こんなふうに意志とか考えはこれからのことについてだ。

熱いヤカンを持った瞬時には顕在意志や考えは登場しない。

又、そこにヤカンが在ったのはどんな状況かわからないが、

在るべくしてそこに在った。

そのひとに火傷をさせるために置いてあったということは多分ない。

やかんを置いた人がその場面を見たり、

そんなことが在ったと聞かされれば、

これから気をつけようと思うんじゃないかと思う。

瞬時にそう思うと思う。


人は誰でもが、指示も注意も命令も教えもしなくても、

それを見るだけで ~したくなる 気持ちを持っている。

人は人や他のものと共に在るものだからだ。


自分や他の人の瞬間瞬間の在りのままの姿に、

自分も他の人も干渉しなければ、

なんの問題も起こらない。

在りのままで人と共に快適に暮らしていける。
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ゆっくりしていらっしゃい

2011-10-05 09:30:59 | ひとの幸福
ある人がその言葉を聞いて、その人なりの(ゆっくり)を実行したら、

こっぴどく叱られたという。

(ゆっくり)という言葉を聞いて、

世界でただ一人であるところの自分が受け取る(ゆっくり)

その、受け取る(ゆっくり)は

相手の発した(ゆっくり)とは異なるもの。



どっちが悪いとかの問題じゃない。


言葉って、あぶない。
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こころ と 身体

2011-10-05 09:18:12 | ひとの幸福
過疎一筋の町に暮らしている。

私なんか若い方で、年配者ばかり。

半身麻痺でリハビリした形跡のあるひとや、

いろいろとあまり美しいとは云えない姿の人もいる。

年を取ったら身体にガタが来て、

他者の手助け無しでは生きていかれない、

そういうのが、当たり前なんだろうか。

ひとの姿として当たり前なんだろうか。

そうに決まっているんだろうか。


そうなってる姿を否定してるんじゃないよ。

そういう姿に一人ではなれないからね~。

みんなで成って来たんだから、否定しようがないもんね~。

私も腰痛持ちだし、これからどんなふうに

この腰はなっていくんだろうと思うよ。


年取ったらいろんな病気をして、そうなるって、

思ってる人が多いみたいだけど、

ひと というものの進化はまだまだ先があるんじゃないか・・

という気がするよ。

こういう姿が人間というものの最高の姿だとはとても思えない。


かなり前のことなんだけど、自分が、

「人が変わったようになった」

・・・みたいな経験をしたことがあった。


それ以前のものの観方がほとんど変わってしまったとき・・

自分というものが自然そのものになり、

口数がぐんと減り、

人をこうさせよう、とかの思いも一切出ず、

いつも心が静かだった。

それでね~、

肩こり、便秘、食べすぎがあっという間になくなり、

肌がつるつるになった。

ダイエットしようなんて思いも出なくなったけど、

体重が自然に5キロくらい減った。

嘘みたいな話だけど、本当に自分の身に起こったことだった。

全く驚いた。

この体験は自分にとって凄い経験だった。

心になんのわだかまりやトラワレもなくなった時、

身体はすぐ即応する。

このことが実感としてわかった。

病は気から・・ということがそうなんだなぁと思った。

身体の様々な不調は心の不調、心の不健康から来るもの。

自分勝手にそう確信したよ~。

最近はいろんな病気がストレスによって起こると、

解明されて来てるみたいで、

科学的根拠は後から発見される。


戦争とか、政治の場面でも、経済の場面でも、

人と人とが責め合ってたり、

家族でも会社でも揉め事があったり・・

こんなふうに世界が未熟な状態なのは、

ひとの心がまだ未熟状態だから だろうと思うよ。

人の身体にこんなにも病気が巣食ってあるのは

人の心が不健康だからだろうと思うんだ。

ひとの意識状態がもっともっと進化したら・・

世界も身体も驚くほどに進化するんじゃないかと思うんだ。

なので、未熟という状態は、

凄い可能性を秘めているということだから、

超!楽しみ。
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マーチ

2011-10-05 08:30:25 | ひとの幸福
Rさんと雑談していたとき、彼が「マーチいらないか?」と私に尋ねた。

私はそれを聞いて「うーん、マーチだと長い材木なんか運べないよね、

軽トラックなら欲しいけどなぁ」と返事した。

Rさん「そうかぁ マーチ貰って欲しいんだけどなぁ」

私「うーん、マーチもいいけどね~ うちは要らないなぁ 軽トラない?」

Rさん「軽トラは無いなぁ」

これで会話が成立していた。


後でわかったのだが、RさんのいうマーチとはRさんの飼い犬の事で、

私が思っていたマーチは日産マーチ 車のことだった。

それがわかったときは大笑いした。


「マーチ」と聞いて、車のマーチと解釈する。

「マーチ」と言って、それは犬の名前。

まぁ、こういうのは単なる勘違いなんだけど。


「ハゲ」と聞いて、馬鹿にしてる と解釈する。

「ハゲ」と言った方は、馬鹿にする気持ち無い場合もある。

こういうのも勘違い・・といえば言えるね~。

マーチ と聞いて 行進 とパッと思う人もあるだろうな。


芥川龍之介に「鼻」という短編がある。

高校生の頃読んだ。

確か、鼻の長い坊さんがそれを凄く気にしていて、

はな という音を聞くだけで、

自分の事を言ってるんじゃないかって思い煩う話。

うんうん、そうそう・・

・・と思ったことを憶えている。

こういう劣等ていうのは他の人と比較する、ことから来るんだろうな。

当たり前か。

劣等感が無い方がご機嫌で生きていられるけど、

でもやっぱりあまりにも違いすぎて、

その上誰から見ても美しいとはいえない風貌だったら、

気にしちゃうのは当然。

でも、ハゲ に関しては、美しくないという感じはしないし、

日本よりヨーロッパの何処かの国の方がずっと多くて、

劣等感みたいなのは日本人よりずっと少ないらしい・・

というのをテレビで観たことがある。

ハゲ という状態についての判断が違うんだろうな。

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