京都ホリスティックアロマセラピストてんてんの ~幸せの風ふわふわ日記~

生きることは愉しいことヽ(^。^)ノ
~起こること・・すべては愛~

出逢いの不思議

2008-03-28 17:24:13 | インポート

生徒A子:「先生~私、先生のブログってあんまり読んでないんですけどね、

私の友達はなんだか先生のブログ毎日読んでいるみたいで、私の知らない

先生のブログネタのこともいっぱい知ってるんですよ~。

この間その友達から「あんた~!!ちゃんとてんてんさんのブログ読んでんのかぁ?」

なんて言われちゃいましたよ~。「てんてんさんってめっちゃおもしろいなぁ~」って

言ってましたよ~(笑)私も先生のことだ~い好きですけど

(きゃっ!愛の告白ありがとう~。テレ!ありがとう~

彼女も先生のこと、とっても好きみたいですよ~」とお話ししてくださった。

まぁ~~~なんかすごくうれしいですね~。

その生徒さんのお友達のお名前だけは彼女から伺って知っているのですが、

でも一度も面識がありません。

そんな一度も面識のない方が私のブログを楽しんで読んでくださってるなんて・・

とってもとってもありがたい気持ちでいっぱいです。

○○さ~~ん!いつも読んでくださっているようで本当にありがとうございま~す。

一度もお会いしたことはないけれど、ラブラブビーム送っちゃいま~す。

そんな生徒さんとの会話からまた遥か昔の話を思い出してしまった。

40年生きてきて、本当に今までどれくらいの出逢いがあったことだろう。

その中でたった一人とてもとてもお世話になった方なのに、その人の名前も

住んでいる場所も、最後まで知らずにお別れしてしまった人がいる。

てんてん中学校2年生の秋のことだった。

周りの友達が高校受験に意識を向け始めがんばりだした姿を見て、

それまでほとんど勉強らしい勉強というものをしてこなかったてんてんは

やっと「ヤバイ!」と焦りモードに入ったのだ。

このままだったら絶対高校に行けないと思ったてんてんは「勉強がんばるから

塾に行かせてほしい!」と自分から親に懇願!

あまりにその姿が悲壮だったのか、母はすぐに「わかった!」と言って了解してくれた。

当時、阪急西京極駅前に有名な進学塾があり、そこの入学試験というものを受けに

行き、一応は合格したのだけどなんだか気がすすまなかった。

あの張り詰めた雰囲気・・・。蛍光灯の重々しさ・・・。

どう~も・・・イヤだった。いかにも・・・という感じがなじめなかった。

母に「なんか、あそこの塾・・私には合わへん気がするわ。」と伝えたら

母は「わかった!あんたがイヤやと思うならやめとき。」とあっさり

言ってくれたのだった。

そして数日後母が母の友達からすごく評判のいい塾の先生がいるというネタを

仕入れてきてくれたのだ。

その先生に習った人達はみんな希望する高校に合格しているというのだ。

「公立高校合格なんて楽勝らしいで~~」と母は言った。

そんな夢みたいな話があるのだろうか?

てんてんはもちろん公立高校にしか行く気がなかったし、公立高校に

楽勝で合格できるなんてその時のてんてんの成績を思えば、本当に

夢のようなお話だった。

てんてん:「わかった!その塾にする!」

母:「でもその塾はこちらから行くのとちごて、1クラス4人以上集まったら先生が家まで

来てくれはるねん。それで1ケ月交代で生徒のお家を順番に回ってそこで勉強を

教えてくれはんねんて~。だからまずは人集めしなな。」

てんてん:「ほな、自分ちでやるときはこちらから塾に行かんでもいいってことやろ~

先生が家に来てくれはるんやろ?そんなん最高やん!もう絶対ここの塾にする!」

と決めたのだった。

てんてんはすぐに仲のいい友達に「私のお母ちゃんが探してきたすっごくいい塾が

あるんやけど、一緒にやらへん?その先生に教えてもらったらものすご成績が

上がるらしいで~公立なんか楽勝らしいで~」と母に言われたとおりにみんなに伝えると

すぐに5人の友達が「自分も行きたい!」と話にのってくれたのだった。(みんな単純!)

そして中学2年の秋にその塾はスタートしたのだった。

先生はとても紳士的な方で見た目、50歳前半くらいに見えた。

声もあのαステーションの佐藤ひろきさんのようにとても渋かった。

その頃のてんてん達は箸が転がっても笑ってしまうほど、

おしゃべり花ざかりの中学2年生。

誰か一人が問題を解き終えると、途端におしゃべりが始まった。

先生も最初は我慢していらっしゃるのだけど、しばらくして堪忍袋の尾が

切れると机を「バ~~ン!!」と叩いて「うるさい!ほんまにヤル気があんのか!」と

その渋い声で怒ってくださるのだけど・・・でも・・・ほんと自分でも笑えるくらい

あの年代の女の子って聴かないね~~。

少しの間だけは静かにしているのだけど又もや自然にぺちゃくちゃとおしゃべりが

始まってしまうのだった。

今思うと先生も大変だっただろうなぁ~って思う。

当時、ゲームウォッチといのがとても流行っていて、私達は塾の授業が始まるまで

もっぱらみんなで盛り上がった。

そして授業が始まってみんな真剣に問題を解いていると・・・ふと見ると

先生がそのゲームウォッチをやっているではないか!

紳士的で七三分けで、すごくましめそ~な渋い先生がゲームウォッチをぴこぴこ

やっていらっしゃる姿はなんだか私達生徒にとってちょっぴりうれしかった。

ある時、先生が立ち上がる時に「ぷっ!」っておならをされたことがあって・・・

ちょっとのことで笑い茸が増殖してしまうお年頃のてんてん達は、

笑ったら先生に悪い・・という思いやりを忘れていなかったがために

必死で笑いをこらえていて5人とも呼吸困難で死にそうになったこともあった。

そうそう・・一度先生の靴下の裏に穴があいていたのを発見してしまったこともあった。

誰も先生に「靴下に穴開いてるよ~」と指摘することはなかった。

この時もやっぱりみんな呼吸困難になるほど笑いをこらえていた。

真面目で渋い、怒るとすっごい怖い先生なんだけど時折見せてくださる

おちゃめな姿とのギャップに口にこそ出さなかったけど生徒達はみんな好感を持って

いたように思う。

でも基本的にはとても厳しい先生だった。

そしてやはり母が言ったとおり奇跡はすぐに起こった。

2学期の通知表を見てびっくり!自分でも腰を抜かしそうになった。

5人が5人とも国語・英語・数学すべて「5」になったのだ。

実はてんてんも他のみんなも塾以外ではほとんど勉強をやらなかった。

勉強するのは塾に通っている時間のみだったのだ。

けれど学校のテストの問題が楽勝でスラスラと解けるようになっていたのだ。

今でもあるのかなぁ?塾で使っていたテキストは「馬のマークの参考書♪」で有名

な受験研究社の問題集だったと記憶している。

この受験研究社の問題集はかなりレベルが高いらしく、これをスラスラと解ける

ようになったら学校で習う数学はなんでもできるようになると先生はいつも

言ってくださっていた。

てんてんは特に数学が大の苦手だった。

けれどこの先生に教えていただくようになってからあの全くわからなかった

「方程式」というものを解くことがおもしろくておもしろくて仕方なくなってしまったのだ。

親もそれには本当にびっくりした。

実はそれから中学校3年生のまさに受験のその日まで国語・英語・数学は塾以外では

勉強したことは一度もなかった。

それぐらいに「自信」がついていたのだ。

てんてんは何を思ったのか、みんなが必死で勉強を始める中学3年生に

なってからすぐにバンドを組んで毎日毎日塾以外の日は仲間とスタジオや

各々の家でバンド活動に励んでいたのだった。そう・・遊びほうけていたのだ。

親からは「あんた・・何考えてんの?」って言われたけど、やっぱり

いつものようにそれ以上は何も言わず楽しそう~にしているてんてんを

ただただ見守ってくれていた。

そして・・・そして・・・やっぱり母が言ったとおり、塾のみんなは全員希望どおりの

高校に合格したのだった。

うれしかった~~。あの合格したときの喜びは今でも忘れていない。

そして、いつも厳しく教えてくださった塾の先生が最後の授業として

家に来てくださった。

おしゃべり花盛り、キャピキャピ娘達も先生の顔をみて初めて先生の前で

泣いてしまった。

「先生~~~本当にありがとうございました~。先生のおかげです。」

とても厳しかった先生も目に涙をうっすらためて、「ようがんばったなぁ。」「よかったなぁ。」

と一緒に喜んでくださった。初めて先生が優しく微笑んでくださるお顔を見たのだ。

その先生とはその日以来今日に至るまで一度もお会いしたことがない。

そう・・・実は誰も先生の名前、そして先生がなにものなのか?どこに住んでいるのか?

全く知らなかったのだ。

それは親達も・・。

唯一電話番号だけはてんてんの母のみが知っていた。

それは万が一、なにかの都合でみんなが全員揃って欠席する場合、

先生に連絡をとるためにてんてんの母親だけが教えてもらっていたようなのだ。

そして約2年間のうちに一度だけ生徒全員が風邪をひいてしまったため

今日は塾をお休みにしてほしいという連絡を母がしたときも

電話口には奥さんらしき人がでられて、「はい、塾です。」と応答されたらしい。

普通、苗字を名乗ったり、「○○塾です」というのに「塾です。」というのはなんとも

不思議だった。

かすかな記憶で友達の一人が

「先生の名前なんて言うの?」って直接先生に聴いたことがあったように思うが

先生に上手にはぐらかされて、それから暗黙の了解のような形で

誰も先生の名前を聴いたり素性を探ろうとする者はいなかった。

この塾を紹介してくれた母の友達もやっぱり先生の素性を全く知らないらしい。

今の時代だったらもしかして考えられないことかもしれないね。

やっぱりてんてん母だ。てんてん母もまた人を疑うことを知らない人なのだ。

当時友達同士では、先生はあまりに紳士的で教え方も抜群に上手なので

実は現役の高校の先生でなにかの都合でお金に困っていて、

塾のアルバイトをやってはるんじゃないか?という憶測をしていた。

学校の先生は復職はしてはいけないからね・・。

だから自分の素性を明かせなかったんじゃないかと・・。

でも本当にそんなことはどうでもよかった。

名前も知らなかった先生だけど、あの塾の時間は本当に楽しかった。

大好きな友達5人組で勉強できたこと。

先生にはいっぱい迷惑かけて怒らせらけど、でも年頃の娘の

つきないおしゃべりは楽しかった。

そして高校受験合格に導いてくださった恩人・・・。

紛れもなくてんてんの人生になくてはならない人物の一人だった。

今、もしお元気でいらっしゃれば80歳くらいかなぁ?

叶うならもう一度会ってみたような気もするし、なにより是非うちの娘、まゆかの

先生になっていただきたいと思う。

でも・・先生はこのまま「謎の人」のままでいるのがいいのかもね・・。

今、思い返してみるとこの先生だけではなく名前も知らない人から

何度助けていただいたことを思い出す。

でもそんなこと本当に関係ないのだろうなぁ・・。

たった1日だけの出逢いだったけどすごくお世話になった人達・・。

たった15分だけど親切にしていただいた方達・・。

(沖縄に住んでいるときはそれをたくさん経験した。)

本当にみんながいてくださって今のてんてんがいる・・。

やっぱり「出逢ってくださって・・本当に本当にありがとうございます。」です。

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