『もしかして…。』
『…。』
『やっぱり。』
『失礼ですが…。』
『オレ、忘れられてしまったかな。』
『…、あっ。』
『似ているなぁって思って。』
『…。』
『毎週、あそこで車の中から見てたでしょ。』
『えぇ、娘の練習を。』
『なかなかセンスがいい。のびるよ、まだまだ。』
『ん?』
『あっちのグラウンドで、少年野球の監督をしているんだ。毎週、ほとんど同じ時間。毎週、同じ場所に車を止めて、熱心に練習を見ている母親がいるなぁと思って。そのうち、何と無く気になって。そうしたら、あれっ誰かに似ているって。』
『そうなの?私は少しも気付かなかったわ。』
『君は、いつも自分の子だけをおっているから。』
『…。』
『気付た時から…、見てたんだ。毎週。』
『そうだ、あの頃も自分達でチーム作って…。』
『そうそう、』
『試合のスコアーをつけたことがあったわ。』
『今日みたいな日だった。』
『雨上がりの、グラウンドは試合が始まってもぬかるんだまま。』
『11対3。圧勝。』
『試合が終わる頃には、みんな泥だらけ。どっちが前だか後だかわからないくらい。』
『その後、いつもの店で祝杯をあげて。』
『朝までずっと…』
車のCDは、あの頃流行ったユーミンのナンバー。娘の練習を眺めながら、懐かしい日々を思い出していた。
土曜の午後、雨上がりのグラウンド。そのグラウンドからこちらに向かってくる、ユニホーム姿の一人の男性。この土手の狭いスペースは、他に車も駐車する人もなく、謂わば私専用の駐車スペースとなっている。と言う事は私に向かって歩いてくるのだろうか。
土手を登ってくる姿をみたとき、まさかと。こんな所にそんな姿で、まして雨上がりの日に…。そんなまさかがフロントガラスにポートレートの様にその男性が入りこんだ。そのとき、『ちょっと待って!』と心の叫びとなった。ありえない、嫌充分にありえる事だった。誰かの悪戯、そんなはずもない。
当たり前の平凡な生活。住宅ローン、子供達の教育費、そして少し自分のおこずかいのためのパート。子供達の送り迎え。真面目すぎる程のマイホームパパの主人。不服も不満も探す事ができない、からこそ思い出す懐かしい日々がある。不服、不満を感じないための唯一の手段なのかもしれない。
雨上がり、昔のナンバー、私を引き戻すには充分すぎる。
水溜りが渇きはじめたグラウンドから、子供達の掛け声が聞こえる。あの日と同じ。
半年程前、一台の車に気付いた。
隣のグラウンドで陸上の練習をしている。そのグラウンドを、車の中からみつめる女性。毎週、毎週、休むことなく。その女性が見ている少女が、たまたまこっちのグラウンドまで走ってきた。望遠レンズの焦点があった時のように、その子の顔だけがはっきりと見えた。どこかでみた…、ような。誰に似ているんだろう。走り去る少女の後ろ姿を見た時、記憶の珠が弾けた。間違いない。
『白いスニーカー汚さないように…』
試合の後、汚れたユニホームを洗い流すように、二人並んで雨の中ずぶぬれになりながら、アパートまで歩いた。泥だらけの顔は前か後かわかるようになり、その女性の白いTシャツは、下着がはっきりとわかるほど、濡れてぴったりと張り付いていた。疲れと興奮を冷ますには、ほどよい冷たさの雨。長く短い夜。
あの日と同じ、ユニホーム姿。雨上がりのグラウンド。違うのは、その女性がみつめる先。野球の試合をしている俺ではなく、我が子の陸上の練習。
一人の女性として、子を持つ母として過ごしてきた日々を想像する。少女を見ていると思っていたその瞳は、グラウンドの彼方先をみつめていた。
==第十一話完==
『…。』
『やっぱり。』
『失礼ですが…。』
『オレ、忘れられてしまったかな。』
『…、あっ。』
『似ているなぁって思って。』
『…。』
『毎週、あそこで車の中から見てたでしょ。』
『えぇ、娘の練習を。』
『なかなかセンスがいい。のびるよ、まだまだ。』
『ん?』
『あっちのグラウンドで、少年野球の監督をしているんだ。毎週、ほとんど同じ時間。毎週、同じ場所に車を止めて、熱心に練習を見ている母親がいるなぁと思って。そのうち、何と無く気になって。そうしたら、あれっ誰かに似ているって。』
『そうなの?私は少しも気付かなかったわ。』
『君は、いつも自分の子だけをおっているから。』
『…。』
『気付た時から…、見てたんだ。毎週。』
『そうだ、あの頃も自分達でチーム作って…。』
『そうそう、』
『試合のスコアーをつけたことがあったわ。』
『今日みたいな日だった。』
『雨上がりの、グラウンドは試合が始まってもぬかるんだまま。』
『11対3。圧勝。』
『試合が終わる頃には、みんな泥だらけ。どっちが前だか後だかわからないくらい。』
『その後、いつもの店で祝杯をあげて。』
『朝までずっと…』
車のCDは、あの頃流行ったユーミンのナンバー。娘の練習を眺めながら、懐かしい日々を思い出していた。
土曜の午後、雨上がりのグラウンド。そのグラウンドからこちらに向かってくる、ユニホーム姿の一人の男性。この土手の狭いスペースは、他に車も駐車する人もなく、謂わば私専用の駐車スペースとなっている。と言う事は私に向かって歩いてくるのだろうか。
土手を登ってくる姿をみたとき、まさかと。こんな所にそんな姿で、まして雨上がりの日に…。そんなまさかがフロントガラスにポートレートの様にその男性が入りこんだ。そのとき、『ちょっと待って!』と心の叫びとなった。ありえない、嫌充分にありえる事だった。誰かの悪戯、そんなはずもない。
当たり前の平凡な生活。住宅ローン、子供達の教育費、そして少し自分のおこずかいのためのパート。子供達の送り迎え。真面目すぎる程のマイホームパパの主人。不服も不満も探す事ができない、からこそ思い出す懐かしい日々がある。不服、不満を感じないための唯一の手段なのかもしれない。
雨上がり、昔のナンバー、私を引き戻すには充分すぎる。
水溜りが渇きはじめたグラウンドから、子供達の掛け声が聞こえる。あの日と同じ。
半年程前、一台の車に気付いた。
隣のグラウンドで陸上の練習をしている。そのグラウンドを、車の中からみつめる女性。毎週、毎週、休むことなく。その女性が見ている少女が、たまたまこっちのグラウンドまで走ってきた。望遠レンズの焦点があった時のように、その子の顔だけがはっきりと見えた。どこかでみた…、ような。誰に似ているんだろう。走り去る少女の後ろ姿を見た時、記憶の珠が弾けた。間違いない。
『白いスニーカー汚さないように…』
試合の後、汚れたユニホームを洗い流すように、二人並んで雨の中ずぶぬれになりながら、アパートまで歩いた。泥だらけの顔は前か後かわかるようになり、その女性の白いTシャツは、下着がはっきりとわかるほど、濡れてぴったりと張り付いていた。疲れと興奮を冷ますには、ほどよい冷たさの雨。長く短い夜。
あの日と同じ、ユニホーム姿。雨上がりのグラウンド。違うのは、その女性がみつめる先。野球の試合をしている俺ではなく、我が子の陸上の練習。
一人の女性として、子を持つ母として過ごしてきた日々を想像する。少女を見ていると思っていたその瞳は、グラウンドの彼方先をみつめていた。
==第十一話完==
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