朝焼けを見るために

神様からの贈り物。一瞬の時。

自分の影

2010-03-19 07:34:59 | 流水子
『自分の影だけを見つめて生きる。
 季節の移ろいが分からなくなる。
 感情の動きが止まり、
 精神の繊細さもなくなる。
 直線的に考えるようになる。』

立原正秋の随筆集を読んでいた。ゆっくりと風呂につかりながら。最後の章を読み終えて、あとがきを読み始めた。
立原正秋の溺愛した娘、潮の文章。月日が経ち、父の死を受け入れ、それでもなおその歳月を想う。
洗練され、愛され、慈しみ、すべての生活が父と娘のすべてだった。
父の死を受け入れることができずに、壊れてしまった日々を乗り越えて、また父を想う。


自分の影だけを見つめて生きる日々。影。
陽を背に受けて立たなければ、影をみることはない。陽に向かって顔をあげて歩くことが、困難に思えるそんな日を過ごす。
自分の影だけを見つめる。そして、その影の中に自分を閉じ込める。影を追い歩く。逃げる影を。

毎夜襲われる、耐えがたい体の痛み。鎮痛剤はもう、その役目を果さない。飲まなければ、ベットにたどりつくこともできず、その中に体を丸め痛みを逃がすこともできない。
白い粒を流し込み、一日を生きたそのことだけを考える。
体を襲うその痛みは、肉体の痛みなのか?精神のバランスの痛みなのか?自己分析ももはやできない。
助けを求めて、声にならない叫びをあげるが、それはどこにも届くことはない。
早く夜が明けて、痛みからの解放を待ち続けるのか?夜が明けることを拒むのか?

闇の中には見つめる影すらも、その型を表すことはない。



たっぷりとした湯に、肩までゆったりとつかりたかった。
その日のすべてが溶け出すような。
芯から温まり、ゆったりと楽しい夢を見られるように。

窓のないユニットバスに、膝を抱えてつかる。湯船に張った湯をこぼさないように。
半身は冷たい空気にさらされ、窓のない閉鎖な空間は息を詰まらせる。
叫んでも響くこともなく、その声や音は外にもれることもない。
湯を抜きながら、浴びるシャワーは表面のほこりだけを流していく。





旅に出よう。
竹林の中へ。

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