『あの時と同じね。』
『うぅん』
『4年前のあの時と。』
『そうかぁ。』
『ん、本当は何もかも違うのよ。でもあの時と同じ。』
『俺達は、あの時より確実に4つは歳を取っている。』
『そうね。』
『何より、こうして生きている。』
『…。』
『同じ、違う、海を同じ場所から同じ様に眺めている。』
『だから、あの時と同じ。』
『だから、あの時と違う。』
『こうして、今だけでも一緒にいられる。…から。』
『4年か…。』
『そう、4年。あまりにも長く、あまりにも短い。でしょ。』
『その長くて短い間に、何回逢えた。』
『さぁ。数えたことはないわ。』
『片手で余る。』
『一年に一回。まるで牽牛と織姫ね。七夕のその日にしか逢えない。みたいに。』
『長い時間が、瞬く間に過ぎた。』
『…。』
『あの時…。』
『やめましょう。昔話にすぎないわ。』
『昔、昔、のその昔か。』
『そうよ。封じ込めたもの。なの。』
『そうしないと、今がなかった。』
『そうよ。自分を保って生きてはこれなかった。あの時のように。』
『頑張ったよな。』
『あなたが、頑張れって言い続けてくれた。』
『それしかできなかった。』
フロントガラス越しに見る海は、白波が立っていた。西に傾きかけた陽の光を受け、白波はうっすらと黄金色に鈍い光を放っていた。
あの頃の記憶は、そこだけ抜け落ちたようになかった。
思い出したくないのか、本当に記憶がないのかは今となってはどうでもいいこと。記憶がないという事実以外なにもない。
ただ、今を生きていられるのは、あの日その男性がここにいたから。ここに来てくれたから。
もし、あの日あの時、その男性がここに現れてくれければ、あの波に誘われていた。
様々なしがらみにがんじがらめになり、戻ることも、踏み出すことも、立ち止まることさえ不可能だった。そうとしか思うことができなかった。
纏ってしまった鎧は、独りでは脱ぎ捨てることもできず、むしろあがけばあがくほどに、皮膚を破り、肉に食い込んで、心にその破片を突きたてた。
些細もない言葉が盾を砕き、槍の如くつきささる。あまりのつらさに痛ささえも感じることができなかった。
届くはずのない心の叫びを、受け止めてくれた。
あの日あの時、私を誘い飲み込もうとした波は、今は穏やかな優しさを漂わせている。
同じ海、同じ波、そして、紛れもなく私とその男性がいる。
今ここに。
『海を見に行くの。』
その電話に胸騒ぎを覚えた。そんな時に限り、続けさまに入る仕事の連絡。
折り返しの電話で、おおよその場所を把握した。車を向かわすことができたのは、胸騒ぎからかなりの時間が過ぎた時だった。
不確かな場所は、その女性を捕まえるのに、更に時間を要した。
じっと車の中から、海をみつめている横顔が見えた時には、正直ほっとした。
あれから4年。忘れた頃に入ってくるメールに、この女性の取り戻した日常を思う。そして、その裏にあるこの不規則に打ち寄せる波のような感情の揺れに触れる。
いつも透明な部分を持っている。薄いガラスのような儚さ。その反面どんなことが起きようが、動揺の色さえみせない、自分の不透明な殻は厚く覆い被せていた。
この女性のあわせもったもの。不思議。
『何も覚えてないの。気が付いた時には、母親に戻っていたの。また、私がいなくなった。』
俺は、あの日のことを鮮明に思い出すことができる。時間の経過を追ってまで。この女性の表情ひとつまで。
そして、見えるはずのない、自分の顔まで。その時の焦りまで再現できる。
昔、昔の話なのか。
この波が、呼んだ。波の上を駆ける風が呼んだ・・・のかも知れない。
==第十六話完==
『うぅん』
『4年前のあの時と。』
『そうかぁ。』
『ん、本当は何もかも違うのよ。でもあの時と同じ。』
『俺達は、あの時より確実に4つは歳を取っている。』
『そうね。』
『何より、こうして生きている。』
『…。』
『同じ、違う、海を同じ場所から同じ様に眺めている。』
『だから、あの時と同じ。』
『だから、あの時と違う。』
『こうして、今だけでも一緒にいられる。…から。』
『4年か…。』
『そう、4年。あまりにも長く、あまりにも短い。でしょ。』
『その長くて短い間に、何回逢えた。』
『さぁ。数えたことはないわ。』
『片手で余る。』
『一年に一回。まるで牽牛と織姫ね。七夕のその日にしか逢えない。みたいに。』
『長い時間が、瞬く間に過ぎた。』
『…。』
『あの時…。』
『やめましょう。昔話にすぎないわ。』
『昔、昔、のその昔か。』
『そうよ。封じ込めたもの。なの。』
『そうしないと、今がなかった。』
『そうよ。自分を保って生きてはこれなかった。あの時のように。』
『頑張ったよな。』
『あなたが、頑張れって言い続けてくれた。』
『それしかできなかった。』
フロントガラス越しに見る海は、白波が立っていた。西に傾きかけた陽の光を受け、白波はうっすらと黄金色に鈍い光を放っていた。
あの頃の記憶は、そこだけ抜け落ちたようになかった。
思い出したくないのか、本当に記憶がないのかは今となってはどうでもいいこと。記憶がないという事実以外なにもない。
ただ、今を生きていられるのは、あの日その男性がここにいたから。ここに来てくれたから。
もし、あの日あの時、その男性がここに現れてくれければ、あの波に誘われていた。
様々なしがらみにがんじがらめになり、戻ることも、踏み出すことも、立ち止まることさえ不可能だった。そうとしか思うことができなかった。
纏ってしまった鎧は、独りでは脱ぎ捨てることもできず、むしろあがけばあがくほどに、皮膚を破り、肉に食い込んで、心にその破片を突きたてた。
些細もない言葉が盾を砕き、槍の如くつきささる。あまりのつらさに痛ささえも感じることができなかった。
届くはずのない心の叫びを、受け止めてくれた。
あの日あの時、私を誘い飲み込もうとした波は、今は穏やかな優しさを漂わせている。
同じ海、同じ波、そして、紛れもなく私とその男性がいる。
今ここに。
『海を見に行くの。』
その電話に胸騒ぎを覚えた。そんな時に限り、続けさまに入る仕事の連絡。
折り返しの電話で、おおよその場所を把握した。車を向かわすことができたのは、胸騒ぎからかなりの時間が過ぎた時だった。
不確かな場所は、その女性を捕まえるのに、更に時間を要した。
じっと車の中から、海をみつめている横顔が見えた時には、正直ほっとした。
あれから4年。忘れた頃に入ってくるメールに、この女性の取り戻した日常を思う。そして、その裏にあるこの不規則に打ち寄せる波のような感情の揺れに触れる。
いつも透明な部分を持っている。薄いガラスのような儚さ。その反面どんなことが起きようが、動揺の色さえみせない、自分の不透明な殻は厚く覆い被せていた。
この女性のあわせもったもの。不思議。
『何も覚えてないの。気が付いた時には、母親に戻っていたの。また、私がいなくなった。』
俺は、あの日のことを鮮明に思い出すことができる。時間の経過を追ってまで。この女性の表情ひとつまで。
そして、見えるはずのない、自分の顔まで。その時の焦りまで再現できる。
昔、昔の話なのか。
この波が、呼んだ。波の上を駆ける風が呼んだ・・・のかも知れない。
==第十六話完==
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