朝焼けを見るために

神様からの贈り物。一瞬の時。

乱舞

2009-02-12 18:27:07 | 流水子
 捲くられた袖、リネンのシャツのライムの色が鮮やかに目に入る。そこから伸びる腕は思ったよりもたくましく見えた。スポットライトのあたった光る鍵盤の上を、その繊細な10本の指が軽やかに踊る。
薄暗いフロアー。スポットの当たるピアノが、そこだけは神がおりてくる聖域だと主張している。
入り乱れ踊り刳る舞台の上の踊り子のように、そのやや男性としては細い、しかし意外に骨ばった指は天から降りてきた神と一体化しとりつかれたかのようだ。

こんな日を夢みていた。いつか自分の小さな空間を持ち、自分の好きなことだけをそこに並べることができたらどんなにいいだろうと。ことに夢見事は夢で終わってしまい、その夢が現実になることはない。しかし、諦めてしまったらそれは夢の中で夢をみただけのことにすぎない。夢をみるだけならば眠っていればいい。
眠ることの出来ない人間が、夢をみることは難しい。ならば夢をみないで夢に向かっていけばいいのだ。そのためには何をすべきなのか?ひとつひとつ紐解いていくように、時間をかけながらその方法を探り始めた。

「嫌!といえばいいのよ。」
「どうしてそう、自虐的なの?」
「決断ひとつでしょ。」
様々な言葉を回りから浴びせられた。それは、夢を現実にするための一歩でもあった。
『嫌!』とは言えなかった。言うことは簡単だろうと。でも、その一言を言うことよりも、黙って物事をこなすほうが私にとっては楽なことだったのだ。
『自虐的?』意識したことはなかった。大変だとか、本当にダメだとかもしも自分で思ったとしたら、だれでもその場から逃げたしているだろう。逃げ出すことをしないというのは、その自覚が足らないのか、どこか精神のタガが外れているだけなのかもしれない。
「苦労を苦労と思わないのね。」
そう母に言われたこともある。いったい苦労ってなんなんだろう?自分よりも大変な思いをしている人はたくさんいる。
本来怠け者の私は、全力でいきているのだろうか?素直にYESと答えることはできない。
まだまだやれることがあるのに、それをしないでいるのだから。
『決断』それは、自分の気持ちも、環境も、回りもすべて準備万端整ったときに、自然に下せるものなのではないだろうか。決断を下せないということは、自分に自身がなく、何をしていいのか迷って、人の何かを羨んでいるときなのではないのだろうか。
人を羨ましいと口にだしたことはない。それはそう感じたことがないからなのだと思っていた。でも、そればかりではない。自分に出来ない、自分にこないチャンスが人にくることに、自分が許せないだけだったのだ。かけっこや、計算で友達に負けるは一度も悔しいと思ったことはなかった。活字が大好きだった私は、図書館の本を漁ることは誰にも負けなかった。
自分の納得のできないことが何よりも嫌いだった。ワンマンな父が、理不尽な怒り方をしたときは、どんなに殴られようが、絶対に謝ることはしなかった。自分が悪くないのに、謝るということが許せない子だった。それは今でも同じ。
納得ができれれば何がおこったところで、それは私の中でのOKなのだ。自分の中に負を持ち続けることの不快感ほど自分を許せないものはない。そして、それを誰かに理解してもらいとも思わないのだから、どんなに頑なな性格なのだろう。

 優しいライム色が視界の中を踊る。鍵盤の上を流れるように踊ることがこの上のない喜びだと言わんばかりに。
その音に聴きいる人がいる。テーブルの上を同じように指を躍らせている人。音を立てないように、グラスを口に持っていく人。腕組をしながら、つま先でリズムを刻む人。それぞれの楽しみ方で彼のピアノを楽しんでいる。
そして私は、そんな人たちをながめながら、自分の人生に手を合わせる。
「生きるって楽しむことだよ。」
乱舞する指が、そう語っているような気がした。

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