朝焼けを見るために

神様からの贈り物。一瞬の時。

「 待ち合わせの間に 」

2007-05-24 21:58:53 | 流水子
 少しの待ち時間時間合わせに、暫く顔を出していなかったbarの扉を押した。
「いらっしゃいませ。今日はお一人ですか?」
「ちょっと時間合わせ。マスターに顔を忘れられちゃうんじゃないかと心配になって。」
ドリンクメニューを広げながら、マスターの笑顔にほっとする。
「忘れませんよ。暫くぶりでしたね。」
「そう、少しおとなしくしていたのよ。」
店の奥、ミーティングスペースで数人のグループが楽しそうに宴を開いていた。
「少し待ってくださいね。すぐに戻ってまいります。」
「どうぞ、急がないわ。」
そのグループのオーダーを捌くマスター。カウンターの中は相変わらず、かなりの種類の酒と銘柄がところ狭しと並べられている。定番の焼酎の一升瓶から、様々な色のリキュール、ビンテージ物のモルト。マスターの奥行きの広さを伺い知れる。
「少ししかいられないから、とりあえずビールをお願い。」
「承知しました。」
プレスの効いた真っ白な上着に、小さな色とりどりの石が光る花をモチーフにした、小さなメガネホルダーが変わらずに揺れている。そんな何気ないお洒落が、マスターの人を逸らさない何かを物語る。
厨房のオーダーがまだ続いているのだろう、手を休めることなく調理人のKさんが、目で挨拶をしてくれる。そんな優しさが、この店の暖かさなのだろう。
一頻り話しをして、時計を見る。ちょうど一杯のビールが待ち合わせの時間に丁度いいようだ。
「マスターごめんなさいね。またゆっくり寄らせていただくわ。」
「ありがとうございます。お待ちしております。」
戸口までおくってくれるマスターにお礼をいって、そろそろネオンの明るさがまぶしくなる夜の街へと足を向ける。

 

切った電話のディスプレイ、メールの入っている小さなマークをみつける。
『もう店の中。』
短いメールを確認する。慌てて、4段の中途半端階段を上がり、エレベーターの矢印を押す。5のボタンを押し閉まる扉に、気持ちのスイッチを切り替える。
崩したローマ字で書かれた店の名が、グレーの扉の目の位置にある。その扉をゆっくりと押すと、カウンターの奥一人で座っている友の姿が見えた。半年振りの彼女の元気な顔。暗い店内、足元の段差に気付かずに、躓きながらカウンターに座る。
既に水割りを飲み始めている彼女、久々の再会の挨拶もそこそこに。もっとも、長い気の置けない付き合いの中に、そんな片苦しさは無用のもの。いつものスコッチをロックでお願いして、堰を切ったように話を始める。時折メールで近況を交換していたものの、実際に顔をみながら、お互いの心情を語り合うのはまた別のもの。
「で、どうしたの?何があったの?」
「ん。まぁね、」
春先の娘の一件にと話の矛先は向かう。
「でも、そうやってすぐに駆けつけてあげたり、ちゃんとしてもらったってことは、子供もしっかりと理解しているわよ。」
子供のいない彼女だが、姪っ子や私の子にまでいつも心を砕いてくれる。
「でもね、そんなことでくじけそうになるのかと思ったら、何もかもを抱え込んで手をかけて育てた育て方が間違ってしまったんじゃないかと思ってしまったわ。」
「何もあなたが、自分を責めることは何もないわよ。」
「でもね、なんだか可哀想になってしまって。自分の時と比べるとね。」
「環境や様々なものが時代と共に変わりつつあるってことなのよ。」
彼女の慰めにスコッチの酔いも手伝いながら、溶けていくものがある。
「そんなことをね、助けてくれる男性もいまだにいないのかと思うとね。淋しい青春をおくるんじゃないかと思って、それもまた少し心配だわ。」
いつのまにか、深刻な話も笑い話にとなっていく。
一品、二品と、ここのbarの自慢の料理が、カウンターに並び始める。空いたグラスにバーテンダーが気を利かせてくれる。二杯目のスコッチを頼む頃には、娘の話からいつかしら互いの話へと話は移る。
「今ね、ココにくるまでに久しぶりに電話をつなげたの。」
それだけ言えば、彼女には誰のことなのかはわかる。
「私にはそういう人が、主人だわ。」
「そうね、それが本当は一番いいことなのよね。でも、私にはそれが出来なかった。いつも言うけど、彼がいなければ彼がいてくれたから、潰れないでここまでこれたの。でも、それを亭主に求めることは出来なかった。」
「付き合いの長さや深さ、そんなものじゃないのよね。」
美味しく出されたものを、カウンターの中、目の前の調理人が満足そうな顔を向けてくれるほろに食べ、二杯めのスコッチも空になる。
「そろそろ・・・」
自分達に課された時間はキチリと守りきる、分別のある大人の女を演じ切る。そんな不問律がいつの間にか私達の中にある。先に家路を急ぐことになる彼女、私が一人で残された時間を過ごせる場所へと、カンウンターのスツゥールを降りる。
 


広い通りを一人で友達と待ち合わせの店に向かう。握っていた携帯が振るえメールの着信を教える。
『もう少し時間がかかります。』
友からの連絡。もう少しのんびりマスターとの会話を楽しめばよかったかしら?そんなことを一瞬思い、繁華街とは少し外れた待ち合わせのbarに向かう。一人、まだそんなに馴染みではないそのbarのカウンターに座る自分を思い、握っていた携帯の短縮ナンバーを押す。
「はい!」
珍しい時間の私からの電話に、かなりの戸惑いがその一言から伝わる。
「今、大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫だよ。どうした?」
私が大丈夫なのを声で確認した彼は、いつもの彼に戻る。そんな些細な感情も、携帯の握りしめた手の中に全てが伝わる。
「声を聞きたかったの。」
滅多に、今までに言ったことがない言葉がスルッと自分の口から出たことに、私の方が一瞬と惑ってしまう。さっきのたった一杯のビールの酔いが手伝ったのだろうか?まさか、ビール一杯で酔ってしまうことはないはずなのに。ふふっと笑った彼の顔が浮かぶ。
「お友達と待ち合わせなの。少し時間が空いてしまって。珍しいでしょ。」
「・・・」
「お友達がナンパされたいって、それで出てきたの。」
冗談とも本気ともつかない私の話に、
「面白いお友達だね。」
そう笑って返す。無言ともいえない間を置いて、
「ナンパしに来て!とってもイカレた格好してるのよ。」
本当にビール一杯で酔ってしまったのかしら。それとも、そんな冗談めいたことを言わないと、積まれた心のブロックが崩れてしまいそうだというのだろうか。
「えぇ。」
本気にしたわけでもないのだろうが、少しまた違う戸惑いを彼が持ったことが面白い。が、それを面白がるほどの余裕はなかった。
「やっぱり、仕事以外では出てこないの?」
「あぁ、出ないなぁ。」
「昔はあんなにでたのに。」
懐かしい時を思い出す。高架の下を抜けながら、上を通る電車の音が時折携帯からの声を消す。
「出たといっても、あの仲間の時がほとんどだろ。今はその仲間も・・・」
語尾が消える。言葉が途切れたのか、拾う雑踏のせいなのか。
「もう、お誕生会もしないものね。祝ってもらっても嬉しい歳でもないわね。」
毎月、毎月、誰かの誕生日を口実に、今は立て直されたビルの路地裏の小さなくすんだおでんやを懐かしく思い出す。
「蝋燭の火を消すのが大変だ。」
「そうね。」
私が始めてお酒の席というものを覚えた場所は、今はもうない。
「どうした?娘は?」
「うん、大変だったけど、どうにか自分を取り戻したみたい。」
「そうか、よかったな。」
「どうなるかと思ったけど、自分の目的を取り戻せば、また自分の道が見えてくるから。」
「そうなんだよな。」
「今夜も遅くまで、そこでお仕事なの?」
一人事務所にこもる彼の姿を思い浮かべる。
「今日は、昼間客と会っていたから、まだ残っているんだ。でも以前のように忙しくはないよ。」
時代の波は、様々な職業に押し寄せているらしい。何年か前の、勢いだけで突っ走っていた彼を思い出す。私より丁度10歳年上の彼に、その頃の勢いだけの忙しさと仕事の面白さで突っ走っている彼、そんな彼に足元の不安定さを忠信することはできなかった。ずっと商売という安定のしない生業の中で育ち生きてきた私には、普通の安定した家庭に育った彼がその頃感じることのできない何かを感じてはいた。そんなことをも思い出しながら、更に話を続ける。
ゆっくりと、ゆっくりと時間を計りながら、待ち合わせのbarに向う。角ごとで立ち止まり、星が薄っすらとも見えない夜の空を仰ぎ、その代わりに点々と灯が灯り並ぶネオンを見る。
「ゴメンね。いつも泣き言ばかりだわ。」
「いや、いいよ。大丈夫。何もしてやれない。」
彼のところだけに、安心して全ての自分をさらけ出し泣きに行ける。実際に彼に会うわけではない。会えるわけではない。こうして電話することすら滅多にあることではない。それでも、彼のところだけに、私は安心して泣きに行ける。決して、彼の肩を借りて泣くことなどできるはずはないのに。そんな場所があるから、私は泣かないで前に歩いていくことができる。
待ち合わせのbarがある、小さな雑居ビル。5Fの黒い白抜きの看板に灯が灯っていることを確認する。
「待ち合わせの場所に着いたわ。楽しんでくるわ。」
「あぁ。」
「ナンパしにきてはくれないでしょ。」
「・・・」
このままずっと握りしめていたい電話。踵を返して、彼の事務所に向かいたい気持ちを抑える。『迎えに来て。』
そうは言えない私。もしも待ち合わせおすっぽかしたとしても、わかってくれる旧友。でも、今夜は彼女と久々にゆっくりと話が出来る。それを楽しみに出てきたのだ。
「じゃぁ、また電話します。」
「じゃぁ、楽しんでおいで。」
彼が電話を切る前に、いつも慌てて電話をきる。もしも、彼が電話を切ってくれなかったら・・・私は。彼の電話がプチと音を立てて切れたら、いつまでも終話の音を聞き続けてしまいそうだから。次はいつになるのかわからない未定の約束も、長い彼との付き合いの中で何度交わされたことなのだろう。約束をすることによって、また彼と何かが繋がっていられる、そんな気がしているのかもしれない。





一人乗るエレベーターの短い時間は、生の強いスコッチを苦い薬のように一揆に飲み干すような、そんな一瞬なのかもしれない。



                  Fin.


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