韓国内だけでなく、朝鮮半島全域で老若男女問わず、謡われ、愛されてきた民謡と言えば「アリラン」をおいて他にない。2012年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に「民謡アリラン」として登録されたが、3大アリランといわれる江原道の旌善(チョンソン)アリラン、全羅道珍島(チンド)に伝わる珍島アリラン、慶尚道の密陽(ミリャン)アリランをはじめ、国内だけで50種、韓半島全体では100種、歌詞は3000通りあるとされる。共通するのは、謡の前後に入る「アリラン アリラン アラリヨ~」のフレーズと心の奥に響く旋律だ。様々な地域で人々に、口伝によって永く歌い継がれたアリランだが、アリラン百説というように、その起源や「アリラン」という単語の語源も古代語、人名、地名、嘆き言葉など諸説があり定まったものはない。近年、私たちがよく耳にするメロディーと、「アリラン、アリラン、アラリヨ、アリラン峠を越えていく 私を捨てていく愛しい人は 十里も行かずに足が痛む」という内容の歌詞は、日本の植民地下の1926年に上映された映画「アリラン」(監督・脚本・主演 羅雲奎)主題歌として制作されたものである。映画は大ヒットし、歌も多くの人々に定着した。朝鮮半島の長い歴史の中で、侵略や戦争で土地を追われ、時に山を越え、海を渡った同胞たちの中でも「アリラン」は謡われた。「アリラン峠」は実在しないが、彼らにとっては、不安と期待の中で超えざるを得なかった心の峠であった。
今回紹介する「アリランラプソディ―海を越えたハルモニたち」は、戦前より多くの在日コリアンが住み着いた神奈川県川崎市桜本地区で暮らすハルモニたちにフォーカスをあて、優しい視線で根気よく、彼女らの日常や想いをカメラに収めたドキュメンタリー作品だ。監督は桜本を二十年以上撮影してきた在日二世の金聖雄(キムソンウン)監督(60)。金監督自身は大阪鶴橋出身で6人きょうだいの末っ子。母親は韓国・済州島出身で日本に渡り、日本語の読み書きも出来ないながら婦人服の卸をして子供ら育て上げた。彼女が77歳で亡くなった年、同世代の桜本のハルモニたちと出会うことで、自分が母の人生に関して何も知らなかった事に気づく。そんな思いで桜本ハルモニたちを記録した作品「花はんめ」(2004年公開)が監督デビュー作となった。その後も監督はハルモニたちを訪ね、カメラに収め続ける。彼女らのしわが年輪のように深く刻まれて行く様に、ハルモニたちが経験した過去を歴史として残さなければという想いも強くなる。ハルモニたちも、そんな監督と接しながら、辛すぎて忘れようとしていた記憶を少しずつ語り始める。彼女らが在日コリアンに対するヘイトスピーチへの抗議や戦争反対を訴えるデモに参加するのも、心の奥に閉じ込めていた苦しい経験が突き動かした行動かも知れない。完成した映画を鑑賞したハルモニたちの笑顔をみて、「心から映画を作ってよかった。」と話す金監督、「映画とは?監督としては失格かもしれないが、作家性や芸術性などどうでもよい。」という言葉の裏には、ハルモニたち同様、困難の時代を生きた母親や在日の人々の歴史を残すことが、この映画の意義であり使命であるというメッセージかも知れない。
脳科学の研究が進むことで、記憶と共に忘却のメカニズムもわかってきた。人間が戦争や災害など悲惨な体験をした場合、悪い記憶として心に刻まれる。普段は考えまいとしても、ふとしたきっかけに思い出され、不安や恐怖、悲しみがフラッシュバックされトラウマとなる。研究では無理に忘れようとするより、リラックスした環境で信頼できる人に体験を話すことが、記憶の安静化、トラウマの改善に繋がるという。戦争前後にハルモニたちが受けた様々な体験の記憶も、それに寄り添い話を聞くことで、彼女ら自身の心を癒すのは勿論、国の記録ではなく、実際に存在した個人の記憶として残せるのではないか。
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