日本で数々の賞を総なめし、韓国でも非常な好評を博した演劇「焼肉ドラゴン」。残念ながら私自身は2008年初演の以来、2011年、2016年と見逃し続け、次回の上演こそと待ちわびていた矢先の映画化の知らせに正直少し複雑な思いがあった。勿論、大いに期待する半面、果たして演劇ならではの臨場感や一体感が映画のスクリーンでは抽象化、一般化されどこか遠く感じてしまわないだろうかと。しかし映画初監督にも拘わらず鄭義信の手にかかればそんな心配は杞憂であった。
ストーリーの舞台は高度成長期、関西地方の空港そばにあるトタン屋根長屋が連なる一角の小さなホルモン屋。この地域は戦時中 軍用飛行場建設のため多くの朝鮮人労働者が集められ住み着いた場所である。戦後空港は米軍に接収、周囲の地域も国有地として摂取されるはずが、混乱の中で行き場を失った朝鮮の人々が住み着き、そこへまた日本の他の地域だけでなく、朝鮮半島からも同郷の知人や親せきを頼って人が集まり暮らしていた。植民地時代兵隊として徴収され、左腕を失いながらも故郷の済州島に家族と共に帰るべく懸命に働き続けた「焼肉ドラゴン」の店主 金龍吉(キム・ヨンギル)もそんな一人。 一方、龍吉の再婚相手 英順(ヨンスン)も同じ済州島出身で、彼女は所謂「済州島四・三事件 」後 娘一人連れ命からがら日本に渡りこの集落にたどり着く。朝鮮戦争後、反共を掲げてきた韓国では永らくこの事件への言及はタブー視されていたが、2003年廬武鉉大統領就任後、初めて国として島民に謝罪するとともに、真相解明、数万人といわれる犠牲者の名誉回復を宣言された。韓国映画「jiseul(チスル)」はこの事件を題材に描かれた作品で、2013年にサンダンス映画祭(米国 ユタ州)で韓国映画として初めてワールドシネマグランプリを受賞している。 そして今年の4月3日、文在寅大統領は追悼記念式に出席し改めて盧大統領の意思を引き継ぐことを誓う演説を行っている。在日一世の歴史的背景、そして店主夫婦のように何故様々な困難と闘いながらも異国の地にしがみつき生きざるを得なかったかを理解するうえでは忘れていけない歴史である。
映画は大阪万博開催の直前の1969年、金家の長男 時生(ときお)が‘嫌いだった’町の細い路地―子供らの笑い声と泣き声とわめき声、おっちゃんやおばちゃんが怒鳴りあう声が朝から晩まで騒がしい―を通り実家「焼肉ドラゴン」帰ってくるところから始まる。鄭義信監督が演劇の戯曲を執筆する最中、昭和の時代考証として多少意識したという邦画「Always 三丁目の夕日」にも感じる懐かしさの匂い。しかし「焼肉ドラゴン」の味付けはより力強く、うるさく、にぎやかで、楽しく、愛おしく、哀しい、まさに噛み応えのあるホルモンで、韓国ドラマや映画に出てくる人間たちの激しさ、熱さともどこか異なりものである。物語は一家の長女(真木ようこ)その幼馴染 哲男(大泉洋)、次女(井上真央)との三角関係、三女(桜庭ななみ)の不倫、長男 時生(大江晋平)のいじめ問題を中心に展開していく。ベテラン、若手の出演者一人々の息づかいを感じる演技は、まさに目の前で舞台を見ている錯覚に陥る。出演者がアボジ、オモニを中心に真の家族になって行く過程は、オモニ英順役のイ・ジョンウン、そして特に映画化にあたって鄭義信監督が店主 龍吉役はこの人しかいないとオファーした韓国の名脇役 キム・サンホの存在は大きい。彼の日本語による静かで長い昔語りは、演技力云々より龍吉の生き様を言葉に移し替えた心の呟きである。
この作品を「在日」というジャンルで括られることは監督も望んでいないはずだ。大切な人がいれば苦しくても、悲しくても「明日はきっとえぇ日になる」と信じる「究極の家族愛と希望」の物語である。鄭義信監督が日韓どちらでもない‘棄民’と表現するある在日一家の話が、両国で高い評価をうけ、感動を与えるのはその為だろう。