美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

一国一城の主

2012-09-26 12:52:04 | Weblog

‘衣食住’とは人が生活するのに大切なものを示した表現ですが、年齢とともにその中でどれに最も重きを置くかは変わっていくような気がします。若いうちはまず食から始まり、衣そして住というようにです。戦後 高度成長期には政府の住宅政策もあり、「男が家庭を持てば一国一城の主となって初めて一人前」という価値観が形成され、‘住宅ローン’というものを生み出し庶民に組ませ、マイホーム主義を広めていきました。人々は我が家を手に入れた満足感のもと、数十年間のローンを払い続けることに特に疑問を感じることはなく、その返済のため懸命に働きました。いつかは賃貸と違ってやがては自分の城=財産になることに大きな意義を感じて。 しかし、それもあくまで「土地は決して値下がりしない」という土地神話がバブルの崩壊とともにはじけるまででした。

韓国でも近年この不動産神話崩壊が現実味を帯びてきました。韓国で不動産といえば、一戸建てよりマンションが中心ですが、マイホーム感覚以上に投資や財テクの手段としてマンションを購入する傾向があります。また、韓国独自の「伝貰(チョンセ)」という住宅賃貸制度があり、家主にある程度の額の伝貰金を預ければ、家主はその運営益を家賃代わりにするため月々の家賃などは発生しない仕組みになっています。借主にとっては、お金を預けておくだけでマンションに住むことができ、出るときは全額返還されるわけですから、魅力的な制度です。しかし、不動産を住居より将来への投資と考えれば、マンションを購入するとき初めから、借主を入れて伝貰金を預かり、その額と自分の資金を合わせて購入することで、少ない自己負担で事実上マンションが手に入るためそれなりの意味があります。しかし、やはりこれも「不動産価格は必ず上昇する」という前提があって存続できる制度です。韓国の不動産神話の崩壊は、家計資産の8割近くを不動産で持つ所有者側だけでなく、伝貰制度が成り立たなく影響で、家を持たない側にも大きな問題になるだけより深刻だともいえます。

戦後から十数年前まで、マイホームは幸福な家族の団欒を象徴する大きな道具でした。しかし、全員で一緒に食事をとらない家庭も増え、また携帯電話やネット、コンビニの普及で生活や個々の家族の在り方自体が明らかに変化してきた現代。家を所有する必要性や意義ももう一度考える機会なのかもしれません。

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父親という存在

2012-09-06 11:31:53 | Weblog

 

 以前、このコラムで触れたことがありますが。韓国で母親と息子の関係には特別なものがあります。日本でマザコンの男といえば、女性にとっては最も忌み嫌う男性像の一つかもしれませんが、韓国の男はある意味100%マザコンならぬ韓国式表現でいうところの‘ママボーイ’です。日本に比べて宗族を中心とした強い父系制である韓国社会では、歴史上、女性の社会、家系での地位は男に比べ低く、周囲から切望された男子を出産することで女性は初めて息子の母として家族の中で確固たる地位を得ます。それだけに女性も生まれてきた息子を溺愛し、すべての愛情を注がれた子供も母を天上無二の存在と考え、両者には特別な関係が形成されるわけです。儒教思想が緩み、男性優位の価値観は、昔ほどではないとはいえ、やはり少子化の中、母と息子の絆は今でも日本以上のものがあります。それに比べ、父親との関係は、日本でも韓国でも息子にとっては、少し距離のある違った存在かもしれません。

 哺乳類の世界では、胎内での成長期間を終えて、新生児が生まれた瞬間から母子関係は誕生します。その後も母から乳をもらい、その胸の中で眠り保護され、子供にとっては母親こそが必要十分な存在で、ここに父親の介入する余地はありません。哺乳類の世界で父親という存在が意味を持ち出したのは、集団生活を営む霊長類からといわれています。守られ保護されるだけの幼児期を経て、オスのリーダーのもとで、他の集団から仲間を守る術や己の集団を維持するための決まりを教わることになります。まさにこのオスのリーダーの役割が父性であり、今の人類でいうところの‘父親’誕生とも考えられます。母性は子供を自分の中に包み込んで保護し守ろうとするのに対し、父性は子供を親、特に母親から分離独立させて、一人立ちできるように外から指導、教育する役割ともいえますから、成長期の子供にとっては若干疎ましい存在にならざるを得ないでしょう。

 戦後の高度成長期から、男は仕事詰めで、子育ては母親の役割が当然という考えは日本も韓国も共通し、それを「父親不在の時代」と呼ぶ人もいました。それでも私を含め当時の子供にとっては、その無言の背中を見て、時には反発し、大人になるのに越えなければならない存在と感じたものです。先日 父が他界し、果たして自分の背中は次の世代に何を語れるか改めて考えました。

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