平和の定義
人が病気になって始めて健康の大事さを感じるように、平和であることも、普段はその大切さ、有難さを意識せずに過ごしているのかも知れません。日本は1945年の終戦後、新憲法のもと、平和の中で経済発展を遂げ先進国という位置を確立してきました。もともと勤勉な国民が、どんな紛争にも係わらず、内乱もなくひたすら経済活動に専念してきた結果とも言えます。しかし、これは決して世界的にも、歴史的にも当たり前の事ではありません。逆に言えば、人類の歴史上、戦争のない時期はなかったと言われる中で、例外的なこととも言えるかも知れません。実は、日本はそれ以前も250年間続いた江戸時代を代表に、歴史上の他の国々に比べると、戦争や戦乱が非常に少ない国です。そこには、人々の知恵や努力もあるでしょうが、やはり隣国と離れた島国であるという地理的条件が大きいと考えられます。
それに対して朝鮮半島は、他の世界史上の地域に劣らず、侵略、内乱と、多くの戦争時代を耐えてきました。そして今も、最後の冷戦地域と言ってもよい分断国家としての苦悩を抱えています。個人の性格が遺伝子のみではなく、環境により様々な影響を受けるように、韓国人、中国人、日本人は、顔かたちも文化的にも非常に似た部分が多い反面、各国の歴史的な背景や環境により、国民性が違うのも当然の事でしょう。そして、特に環境の中では、戦争をどれだけ経験してきたかということが、価値観や性格に対しては、最も大きな要因ではないかと思います。
「平和」というものの定義には、‘積極的平和’と‘消極的平和’があるとされています。積極的な意味の平和とは、豊かさ、安全、秩序、健康、環境保全など「平和とは何か?」と進んで問いかけた時の答えであるのに対し、消極的平和とは、ずばり「戦争のない状態」です。ベンジャミン・フランクリンの「良い戦争も悪い平和も存在しない。」という言葉は、戦争の苦しみを知った人間の本心でしょう。しかし、同時に平和は待っていて得られるものではないことも歴史は証明しています。