良妻賢母
韓国で今年の6月から発行される5万ウォン札の肖像に、はじめて女性として申師任堂が採用されます。申師任堂(シン・サイムダン 1504~1551)は李氏朝鮮中期の女流書画家として高名ですが、それ以上に高名な儒学者 李粟谷(イ・ユルゴク)の母であり、韓国で良妻賢母といえばこの人というような存在です。李粟谷はすでに5千ウォン札の肖像となっていますから、母親はその十倍の価値での登場となります。
しかし、彼女の登場には、一部の女性団短からは意義を唱える声もあったようです。その理由が、彼女の良妻賢母というイメージでした。つまり、韓国社会の家父長制度と儒教的価値観の象徴として選ばれたということです。女性団体が言うには、紙幣の肖像として女性を選ぶなら一個人として、その活動や業績で選ばれるべきであるということでしょう。そういった面では、最後まで候補として争った3.1独立運動家 柳寛順が選ばれることを望んだようです。しかし、一般の女性のアンケート結果でも申師任堂を押す声が圧倒的でしたが・・・
そもそも良妻賢母という言葉が使われ始めたのは 1900年以降で、朝鮮時代の儒教思想とは異なります。18世紀の朝鮮儒教の書にも 「婦人は勤と倹と男女有別を守れば十分であり、男のように学問をすることは有害である。」とまで書かれています。その後、1908年に女子高等女学校ができ、女子の教育目的に母親として、その子、特に将来国を担う男子の教育が強調されるようになりました。いわゆる賢母の概念です。元をただせば、17世紀後半の産業革命以降、近代家族の意識がヨーロッパに目覚め、教育係りとして母親の家庭内の分担が生まれたと考える人もいます。そして 明治維新後、欧米教育を模範として女子教育を指導した日本政府が、良妻賢母を一つの教育理念に定め、植民地下の台湾、韓国もその影響を受けた面もあるかもしれません。
良妻の定義は別としても、賢母は今の韓国では確かに、かつての日本の教育ママを遥かに凌駕しているのではないでしょうか?その意味では、申師任堂の登場は正しい選択であったかとも感じてしまいます。