先日 NHKで紹介された古代日本と朝鮮半島に関する内容は非常に興味深いものでした。卑弥呼や邪馬台国の存在に限らず、3世紀から7世紀の歴史は未だに謎が多く、東アジア地域の物質的、人的な交流も多くは明らかになっていません。そこには、科学的な資料、遺跡の発掘、調査が十分でない面もありますが、近代から今に至る両国間の問題もある意味見えない障害となっているのではと感じます。今回 韓国南西部の小さな島の沿岸と海を挟んだ九州で、それまでの常識を覆す発見がありました。
今から3年前、韓国南西部、全羅南道沿岸の島の古墳から鉄製の甲冑が発掘されました。それは当地では出土したことがない5世紀ごろ制作され、日本 倭国で多く用いられていた倭系甲冑と呼ばれるものです。同時にこの古墳から百済時代高い地位の者が身につけていたと考えられる金銅製の冠も発掘されたことから、九州地方から渡ってきた軍人が百済王に仕えていたのではないかと考古学者は推察しています。そして昨年、福岡県古賀市でさらなる大発見がありました。6世紀ごろと考えられる小さな古墳から大量の朝鮮半島由来と考えられる金銅製の馬の装身具・馬具が発掘したのです。X線CTで解析したデータをもとに、3Dプリンターで復元模型を作成し分析した結果、新羅王家の官営工房でつくられた当時の日本では珍しい精巧なデザインの作品であることが判明します。その時代、日本はヤマト王権が支配し、外交では新羅と対立関係にあったことから、これだけの装飾馬具が日本で発見されたことは驚きです。研究者らは、九州北部の豪族は古代の海上交通などを担った海の民の子孫で、新羅とも独自の交流を持ち、新羅とヤマト王権双方へのパイプを生かし、両者の仲介、いわば和平工作を行っていた可能性を指摘しています。
交通や情報手段の発達により「グローバル化」が自然な流れであり、誰もが未来に向けて進む方向性と捉えている最近ですが、遥か古代にあって国境という枠を乗り越えた人々の交流が今以上に存在したわけです。今回の発見とその歴史的価値は日韓両国の学者が固定観念を捨てたことで可能となりました。いにしえの先人たちの行動はグローバル化という言葉以前に、国を超えて地域地と地域、人と人の繋がりがいつの時代でも大切であることを私たちに教えてくれます。