ハイテクノロジーと退化
日本で携帯電話の本格普及が始まったのは、1993年頃からで、携帯といっても重さは200gを超えていました。当時新し物好きの私が買ったのも、その1~2年後ぐらいで、現在の携帯に比べると、かなりゴツイ形で、バッテリーも大きく、気軽にポケットにというより、カバンに入れて持ち歩く感覚でした。機能的にも、電話をかける以外特別なものは、付いておらず、新婚当時、地震などの緊急時の連絡用などと、理由をこじつけて購入しましたが、実際は、ほとんど使用しませんでした。その後、携帯電話は、ハードや性能の向上とともに、10年ほどで急速に広まり、現在は世帯普及率96.3%とほぼ全世帯に、行きわたりました。いつでも誰とでも連絡が取れる便利さは、一度手にしてしまえば手放せないものでしょう。
しかし、最近 携帯電話を通話ツールとして使用する頻度は減少しています。連絡も電話ではなく、メールだけで行うことが多く、直接電話がかかると警戒してしまう人も多いと聞きます。また、アップルのiPhoneに代表されるような‘スマートフォン’といわれるパソコンの多機能性を持った携帯電話が登場したことで、さらに本来の通信道具から、個人個人の気分転換、気晴らしのための娯楽道具に変化して来ています。知り合いの持っているスマートフォンを借りて覗いてみると、そこに内蔵されているアプリケーションソフトの多さに驚かされます。カメラ、音楽再生やゲーム、ネット検索は勿論、ビデオ再生、小説や漫画ライブラリー、英会話、占い、ナビゲーション・・・、とにかく何時間でも過ごせそうな豊富さです。現在このようなアプリケーションソフトの数は、20万種類を超えるそうで、中には美容整形シュミレーションソフトなどもあるようです。時間を節約し、効率よく情報を得るための道具が、いつしか、携帯電話と睨めっこしている莫大な時間の浪費に繋がっているような気がします。人は便利さを求めたつもりが、本当に必要な知識を、自ら探して考えるという、実は最も大切な能力が失われていないか心配です。機械や道具の進歩と本能的な能力の退化は、電子情報ツールの場合、思考力にも当てはまるかもしれません。
携帯がない時代、友人や恋人との待ち合わせで、時間になっても相手があらわれず、イライラし、やがて心配で不安になった経験は、皆さんも会ったのではないでしょうか?その代わり会えた時の安堵と喜びも一入だったと思います。ちなみに今だったら、携帯に熱中して相手が来たことも気づかないでいるかも知れませんね。