映画の舞台は朝鮮戦争(6.25戦争、韓国戦争真っただ中の1951年、増加する朝鮮人民軍と中国共産軍の捕虜を収容するため米軍が巨済島に設置し、約17万人が収監された当時最大規模の捕虜収容所である。
巨済島は、面積400k㎡余りで種子島とほぼ同等、済州島に次ぐ二番目の大きさの島である。釜山の南西に位置し、島から東西方向には朝鮮海峡を経て対馬に至り、その地理的条件から古来より朝鮮と日本の交通の要として知られる。弘安の役では元・高麗軍の停泊地点として、文禄・慶長の役(壬申倭乱)では日本軍が拠点となるなど、歴史上の重要な場面においてこの場所が暫し登場する。そんな地政学的影響の為かどうかはわからないが、この小さな島から金泳三、そして現在の文在寅と二人の大統領を輩出している。しかし、それ以上に個人的な巨済島への思い入れは、私の母親の故郷であることかも知れない・・・
この映画は、スイス人写真家ワーナー・ビショフ(Werner Bischof)が従軍記者時代に撮影した1枚の白黒写真―「収容所内に造られた自由の女神像の前で仮面をかぶって踊る人民軍捕虜たち」ーからインスピレーションを得て創作されたミュージカル「ロ・ギス」をモチーフに、日本でもヒットしリメーク版まで制作された「サニー永遠の仲間たち」でよく知られるカン・ヒョンチョル監督の最新作である。
巨済収容所の背景として、捕虜の中には北朝鮮人民軍がソウルや他の都市を占領するなかで強制徴募して無理やり人民軍に組み入れられた若者も多く存在した。それゆえ、休戦会議が始まる時、戦争捕虜の処理問題が持ち上がることになった。当然、収容所内でも強制的に入隊させられた反共の兵士たちと、本来の人民軍兵士たちの間での流血殺傷騒動もが頻繁にあった。そして1952年5月7日、人民軍捕虜が暴動を起こし収容所所長のドット准将が逆に捕虜になるという事件(巨済捕虜収容所 暴動事件)が発生する。ミュージカル、そしてこの映画が生まれるきっかけとなった「踊る兵士の写真」もこのような状況の中、少しでも捕虜たちの荒ぶる気持ちを静め、慰安しようとする米軍管理側の苦肉の一手の一つではないかとも想像できる。
映画のストーリーは、共産思想を持った人民軍捕虜たちが米国流の自由と文化に感化されたことを対外的にアピールしようと画策した収容所所長が、戦争捕虜によるタップダンスチームの結成を命じるところから始まる。沖縄に残した女性との再会を条件に、不承不承ダンスプロジェクトを無理やり担当させられた元タップダンサーの米軍下士官 ジャクソン(ジャレット・グライムス)のもと、捕虜収容所の一番の問題児ロ・ギス(KpopグループEXOのD.O.),少女家長として幼い妹弟を懸命に養う無認可通訳士のヤン・パンネ(パク・ヘス)、ダンスで有名になることが生き別れた妻を探す手段と参加したカン・ビョンサム(オ・ジョンセ)、栄養失調と狭心症の持病を持つが天才的振り付けの才能を持つ中国共産軍兵士シャオパン(キム・ミノ)が人種、国籍、言葉の壁を越えてダンスグループ‘スウィング キッズ’を結成する。
ブロードウェイ最高のダンサーの一人であるジャレット・グライムスの神業的なタップダンスのパフォーマンスに圧倒され、憎まれ役?の米軍人たちのダンス、スウィング キッズのメンバーのタップも見ごたえ十分である。だがやはり主人公ロ・ギス役D.O.の躍動する動きと演技は、厳しいトレーニングと才能の結晶であることは疑いようもない。 戦争、捕虜、差別、飢え、イデオロギーの違い、何一つ思い通りにならない現実の中で、タップダンスのステップする瞬間にのみ全てから解放され、内に秘めたエネルギーを自由に爆発させ青春の火を燃やしていった若者たちの物語として心に残る。映画のエンディングに流れるビートルズの「Free as a bird」はそんな彼らへの鎮魂歌である。