「マイクを持って先頭を歩く人に合わせ、まるでお祭りのように皆が声を上げながら進んでいました!ちょっと不思議な光景でした!」先日クリニックの若い女性職員が遭遇したのは、どうも安保法案採決に対する抗議デモの一団だったようです。デモ活動自体は民主主義の国ならば普通に見られる光景です。ドイツではベルリンだけでも一日平均8つのデモ集会が開かれ、フランスではそれこそ日常茶飯事といってもよい程、連日いたる所でデモやストライキが行われます。さすが「フランス革命」成された地ですが、民主主義とは常に個人の権利を守るべく主張することという理念が徹底しているのでしょう。一方、日本ではメーデーなどの定期的な集会を除いては普段デモを目にすることもなく、自分とは関係ないもの、そして参加者に対しては特別な一部の人々という認識があります。当院の職員が感じた違和感も日本ではごく当然のものかも知れません。
うって変わって隣の韓国はアジアの中でデモが最も盛んな国です。最近は労働組合や政府の政策への抗議デモが主ですが、地域の再開発反対、女性地位向上、その他個人的な主張を掲げた小規模なもの、中にはプラカードを持って立っているだけの一人デモまで様々です。韓国でこれほどデモが民衆の中に根付いているのは、近代の韓国史はそのまま民主化運動の歴史とも言えるからです。1960年3月に行われた大統領選挙の不正に反発した学生や市民による4月19日の大規模デモにより李承晩大統領が下野した4.19革命から、その後1980年代軍事独裁政権打倒を叫んで繰り広げられる民主化デモは、その時代を創り上げ象徴するものでした。私が留学していた時期もまさに80年代、デモが日常の世界でした。大学のキャンパス内で自然と起きるデモ集会とそれを制圧しようとする機動隊(戦闘警察)、そして普段は隠れていてもデモが起きると皮の手袋を嵌めて学生を追い回し、時には殴打するジャプセと呼ばれる人間たち。私のような留学生もあまりの横暴には憤慨するものの、生まれて初めて味わう催涙弾になすすべもなく逃げ回るしかありませんでした。韓国社会の現実が未だに多くの問題は抱えているとしても、一人一人の行動がなければ何も変わらないことは過去から学んだ教訓でしょう。
今回国会前で開かれた数万人規模のデモの様子は世界のメディアでも広く取り上げられました。特に英国BBCは無関心、無気力と普段批判されている日本の若者の行動に驚きをもって伝えています。韓国の例に限らず、小さな行動が大きな力に成り得ること、そして
えてして若い世代から始まることは歴史が示す通りです。