セヘ福(ボック)マニバドゥシップシオ。我家の新年は、二人の受験生を抱えていることもあり、特別な計画どころか正月らしい行事は何もない、まさに‘無正月’でした。唯一お正月を感じたことといえば元旦に‘トック’を食べたことぐらいでしょうか。トックッは棒状の餅(トッ)を薄く切ったものを、牛や鶏のスープで他の具材と一緒に煮た韓国版お雑煮です。トックッで使用するトッは、もち米ではなくうるち米であるため、食感は異なりますが、正月(韓国では旧正月)を祝う意味で餅を、それも食べ方まで酷似しているところは、あらためて両国の文化的な共通性を示す一例でしょう。
正月やその他祝事には欠かせないものとして、日本以上にトッは韓国人の生活に浸透した食文化と言えます。それだけ同じトッでも、トックッに入れるカレトッの他、チュソク(秋夕、旧盆)に作るソンビョン(松餅)、家族の慶事や結婚式に出されるシルトッやインジョルミ、屋台でおやつ代わりに食べるホットッなど、その形や製法も様々で餅専門店があるほど、その種類は豊富です。餅の定義を、米をはじめ穀物に熱を加えて固めたものとすれば、餅の起源は古く、中国の伝説では春秋時代の呉国という説もあります。呉国発祥説は別として、その後農耕や他の文化と共に朝鮮、日本に伝播したと考えることは十分可能で、韓日の文献上に初めて登場するのは、韓国では三国時代の「三国史記」「三国有史」であり、日本では奈良時代の「豊後国風土記」です。そしてこの「三国史記」の「新羅本記」の中にトッ(餅)にまつわる面白い記述があります。新羅の第二代王南解王の死後、次の王を決めるに当たり、王の息子と婿のどちらにするかということでもめました。先代の遺言では、二人を区別なく公平に選ぶようにという言葉があったためです。二人は争うどころかお互いに譲り合い、最後はトッを噛んだ歯跡から歯数が多い方が王位を継ぐことで決めることにしました。当時は歯数が多いものがより知恵が深いという言い伝えがあったようです。結局息子が第三代儒理王となったと記されています。
この話とは逆に、朝鮮時代の第12代王である仁宗は、トッによって毒殺され腹違いの弟に王位を奪われたとされています。トッも餅も両国で誇れる食文化ですが、やはり「搗いた餅より心持」と諺通りです。