沖縄と済州島
お正月休みを利用して沖縄本島に行ってきました。1月ですから沖縄とは言え、20度以下の気候で、私にはやや涼しい程度の気候でしたが、当地の人が寒い寒いと言っていたのが可笑しかったです。沖縄は琉球王国として その地の理を生かし、中国から朝鮮、東南アジア広域で中継貿易地として栄えました。1609年 薩摩藩の侵攻をうけ貢納を義務づけられ、さらに明を滅ぼした清に対しても朝貢をするという両属状態ながらも独立を維持してきましたが1879年 明治政府の廃藩置県から沖縄県として指定され、琉球王朝は終焉しました。
琉球王国の成立は、1492年 南山、中山、北山の地域を統一した第一尚氏が初代王として始まりましたが、それ以前から、中国、朝鮮、日本、東南アジアとの交流が活発で、様々な神話もあるようです。その中にはアジア、中国に伝わる天女の羽衣伝説もあり、その天女の息子が建国したという説、源為朝が逃れて流れ着き、初代王になったなどの説もあるようですが、裏づけはないようです。 最近、統一新羅にかわって朝鮮半島を統一した高麗王朝時代、蒙古の侵略に対して、あくまで高麗王朝主権を主張して服従講和しようとする文官中心の朝廷に反旗を翻し、蒙古、高麗政府軍と戦い抜き、最後は済州島で破れ去った‘三別抄(サンビョルチョ)’が その後 沖縄に流れ着いたのではないかと言う学説が注目されています。これは、沖縄県浦添市で発見された高麗瓦が、三別抄が珍島に造営した城の瓦に酷似しているというもので、瓦に表記されている年度も、三別抄が済州島で決戦して敗れた1273年の可能性があると言うものです。
非常に歴史的ロマンを感じる話です。私は、琉球王国の建国に高麗人が関わって云々を、言いたいのではなく、当時から中国、モンゴル、日本、朝鮮はあるときは争い、あるときは融合して密接に関わり合いながら生きてきたことを、今この現代こそ再認識すべきでないかと思うのです。
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