美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

沖縄と済州島

2010-02-28 12:16:24 | Weblog

 

沖縄と済州島

 お正月休みを利用して沖縄本島に行ってきました。1月ですから沖縄とは言え、20度以下の気候で、私にはやや涼しい程度の気候でしたが、当地の人が寒い寒いと言っていたのが可笑しかったです。沖縄は琉球王国として その地の理を生かし、中国から朝鮮、東南アジア広域で中継貿易地として栄えました。1609年 薩摩藩の侵攻をうけ貢納を義務づけられ、さらに明を滅ぼした清に対しても朝貢をするという両属状態ながらも独立を維持してきましたが1879年 明治政府の廃藩置県から沖縄県として指定され、琉球王朝は終焉しました。

 琉球王国の成立は、1492年 南山、中山、北山の地域を統一した第一尚氏が初代王として始まりましたが、それ以前から、中国、朝鮮、日本、東南アジアとの交流が活発で、様々な神話もあるようです。その中にはアジア、中国に伝わる天女の羽衣伝説もあり、その天女の息子が建国したという説、源為朝が逃れて流れ着き、初代王になったなどの説もあるようですが、裏づけはないようです。 最近、統一新羅にかわって朝鮮半島を統一した高麗王朝時代、蒙古の侵略に対して、あくまで高麗王朝主権を主張して服従講和しようとする文官中心の朝廷に反旗を翻し、蒙古、高麗政府軍と戦い抜き、最後は済州島で破れ去った‘三別抄(サンビョルチョ)’が その後 沖縄に流れ着いたのではないかと言う学説が注目されています。これは、沖縄県浦添市で発見された高麗瓦が、三別抄が珍島に造営した城の瓦に酷似しているというもので、瓦に表記されている年度も、三別抄が済州島で決戦して敗れた1273年の可能性があると言うものです。

 非常に歴史的ロマンを感じる話です。私は、琉球王国の建国に高麗人が関わって云々を、言いたいのではなく、当時から中国、モンゴル、日本、朝鮮はあるときは争い、あるときは融合して密接に関わり合いながら生きてきたことを、今この現代こそ再認識すべきでないかと思うのです。

 

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手相と医学

2010-02-17 13:21:12 | Weblog

 

手相と医学

先日 中国人の男性が来院されて、指と指の間の隙間を埋めて欲しいという相談を受けました。理由を聞くと、占いで指の隙間からお金がこぼれてしまうと言われたということでした。脂肪を移植したり、安全な吸収性の物質を注射するなど治療自体は可能でも、一般的には、あまり治療の例がない事と、本来の美容医療的目的とは異なることなど説明し再考を求めました。また私の指も同様に隙間があること見せると、納得したように笑って帰りました。日本や韓国でも同じような手相(指相?)判断は聞いたことがあります。多分、昔 裕福で肉付きのいい人は手指もふっくらし、貧しい人は痩せて、手指もゴツゴツ骨ばって隙間だらけに見えたからではないかと想像します。

手相は3千年から5千年前 古代インドから発祥し、中国や中近東、ヨーロッパへと伝わったと言われています。ギリシャでは特に広まり、プラトンやアリストテレスも手相に関する著書があります。中国では、運命判断とともに、その人の健康状態なども診る手段としても用いられました。漢方医学で、手掌に多くのツボがあることは良く知られていますし、‘手掌医学’という学問まで存在するぐらいです。一方 現代医学でも、手の色の変化や、特徴的な指や爪の変形は、患者さんの診察時に診断のための重要なサインとして知られています。肝臓に障害のある人が、手のひらが赤くなったり、黄疸の人は黄色く変色したりするのは、よく知られている例です。ちなみにミカンを食べて黄色くなるのは柑皮症ともいって、ミカンに含まれるカロテノイドという黄色い成分が脂肪細胞に溜まって一時的に起きる事で、勿論心配ありません。

ところで、逆に指と指の間に隙間が全くない人は、手相学ではどうなのかと調べてみると、「自己中心的で他人のために何かするようなことはせず、欲張りな人が多い。」とありました。やはり手術を勧めなくて良かったようです。

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未来予想、過去 現在 そして

2010-02-17 12:55:38 | Weblog

 

 未来予想、過去 現在 そして

 今年、2010年。何か特別な響きに感じるのは私だけでしょうか?子供のころは遠い未来のように思い、様々な未来像を描いていましが、実際21世紀も10年を過ぎた今、想像してきた社会、科学、技術は、期待したほどではないというのが 正直な感想です。手塚治虫の‘鉄腕アトム’の誕生も設定では2003年で、今から7年前ですが、アトムのようなロボットが作られるには まだかなり時間がかかりそうですし、2010年前後の未来を想定した子供時代の漫画や小説、想像図の未来社会と比べると、相変わらず、車は渋滞しファッションや生活も大きな変化は無いような気がします。(これは私の個人生活だけかもしれませんが・・・) 

  1960年に科学技術庁が予測した50年後の未来技術予想に関して、文部科学省のシンクタンク期間が判定した報告があります。これによる当時予測した135項目中、実現と判断したものは54項目で的中率は約4割というものでした。実現したものとしては、電子レンジ、携帯電話、人工授精技術などで、反対に実現しなかったものには、音声を吹き込んだ(テープレコーダーとあります・・)ことを忠実にやってくれる手伝いロボット、月の拠点となる洋上の地球空港、老化防止のための人口冬眠?などがあります。また 地下鉄はなくなりモノレールが主力輸送手段になるというのも当たりませんでした。当時の各分野の第一人者の学者の予想ですが、彼らもアトムの未来を夢見ていたのかもしれません。

さらに調べてみると、1901年 報知新聞の「20世紀の予言」では、無線通信、テレビ電話、エアコン、電気自動車、レントゲン診断や顕微鏡手術など かなり具体的に100年後の技術を予言しているように感じました。東京―神戸間を汽車なら2時間半で走るとか、世界一周が7日間で可能とかかなりの近似値です。一方 人と獣が自在に会話できるとか、蚊や蚤は絶滅する、天災を予測し操るなど 自然は儘ならないというところでしょうか。

50年後の未来より100年後の未来予想が正確に思えるのは、人類 期待したほど早くは進歩していないのかも知れません。携帯電話やインターネットの普及など驚くほどのスピードで社会に広がり、生活を変えているものもあります。携帯やメールで用が足りる便利さは、手放せないかもしれません。しかし近くて遠い国といわれてきた日韓両国のように、近いけれども人間としての距離は離れているネット社会で失っているものはないか、「韓国併合」から100年を迎える今年、改めて考えてみたい気もします。

 新年、皆様に多くの福が訪れますように!(セヘ 福 マニ バドゥシップシオ!)

 

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