美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

ある韓国映画とドイツ移民の話

2014-11-10 14:45:03 | Weblog

たまには劇場で映画でも観ようと、スマートフォンでレビュー評価の高い作品を検索すると「怪しい彼女」(原題 Miss granny)という韓国映画が一位でした。近年の韓日関係もあってか、メディアでは韓流という言葉もすっかり聞かれなくなるこの頃、ネット上とは言えここまで高評価ならばと、面倒がる家内を引っ張って出かけました。新宿駅近くの映画館に入ると遅い時間に関わらず満席、ネットや口コミの威力は無視できません無視できません。あらすじは、若くして夫を亡くし、女手一つで幼い子を育てるため、時には人に後ろ指も刺されながらも必死で生きてきた70代の女性がある日突然20歳の姿となり、叶わなかった自由な人生と夢に向かって再スタートするというものです。荒唐無稽な内容ながら、外見は20歳、中身は老人という難しい役を演じきった女優の天才的といえる演技力の為か自然に受け入れて観ました。先進諸国をはじめ多くの国が高齢化を迎える中、同様の問題を抱える韓国、そして韓国社会ならではの事情や価値観などが脚本、音楽などのバランスの中で笑いと涙で絶妙に表現され、久しぶりに良い余韻に浸りつつ映画館を後にしました。

この映画で主人公の夫は、ドイツに出稼ぎに行きそのまま帰らぬ人となるのですが、1960年代の韓国移民史を知らない人には何でドイツまでと思うところです。当時のドイツは急速な経済発展と労働力需給の不均衡により、 外国人労働者を輸入し始め、韓国の高い失業率とあいまって、大量の労働力輸出と韓国移民史が始まりました。 1963年12月、第一陣として、247名の坑夫志願者が就業のためにドイツへ渡り、 第二陣として1964年10月に429名、三・四陣として1965年に540名がドイツ中部の炭坑地帯である ルール工業地帯の鉱山に就業します。彼らは当時、高い飛行機代のため船で渡航しました。そして鉱夫の次には移民として韓国の看護士たちがドイツに渡ります。坑夫として仕事をしにやってきた人たちの多くは韓国では高学歴所持者でしたが、貧困な韓国の現実を逃れ、輸入された労勧者として慣れぬドイツ鉱山の地下1000mで 労働をするようになったのです。看護士たちも、韓国の病院勤務とは異なりドイツでの仕事は言語の問題と差別的待遇から単純労働まで強いられ、肉体的にも精神的にも多くの苦労を経験します。そんな異国の地で若い看護士と坑夫たちが結ばれることもある意味自然の流れであり、実際に結婚するケースも珍しくありませんでした。映画とは異なり、帰国を待つ恋人との別れは様々な形があったかも知れません。

謎の写真館で記念写真を撮ったことで若返ったおばあさん。美容外科医としては喉から手が出るほどの欲しい夢のカメラですが、歳を重ね外見的な若さは失っても、懸命に生きてきた証としてそれ以上に価値があるものを手にしていることを映画のラストでは教えてくれます。気になる方は映画館へ・・・

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 英雄の苦しみ | トップ | ハワイの光と影 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事