ゲンとの再会は何十年ぶりだろうか。自らの被爆体験を基に書き上げた中沢啓二原作の漫画「はだしのゲン」が週刊少年ジャンプで連載がスタートしたのは1972年、私が小学生の頃である。日本は韓国戦争(朝鮮戦争)特需を基に始まった高度経済成長を歩みはじめ、1956年の経済白書に宣言された「もはや戦後ではない」という言葉が国民一人一人まで実感されてきた時代。漫画雑誌も黄金期を迎え、多くの人気漫画が連載されていた。しかし、それら漫画の中で「はだしのゲン」に描かれた広島原爆投下の実態の生々しい描写は、子供の目にもおどろおどろしく、またそんな悲惨な状況下での主人公ゲンのしぶとさと明るさは不思議な対比として鮮明に記憶に残っている。
「ミュージカルはだしのゲン」は、木山事務所プロデューサーの木山潔が原作者の協力のもとに制作され1996年初演、2013年まで日本各地、さらにニューヨーク、モスクワ、ポーランド、韓国など世界で400回以上の公演を重ねた。今回の作品は、木山氏の意志を引き継いだPカンパニーが木島恭氏の脚本・演出のもと今現在の時代背景、様々な状況下で求められたバージョンアップ版「はだしのゲン」と言ってもよいだろう。漫画に描かれた主人公の父 中岡大吉はかなり短気で己の正義感や価値観にてらして間違ったものに対しては、相手が誰であれ立ち向かい、時には暴力もじさないという人物である。一方、劇中の大吉は、同様に徹底した平和反戦主義を貫く頑固ものであるが、優しさと風格を感じる演技に誰かの面影を感じながらみると配役 加藤頼とあり、名優加藤剛さんの次男であった。そしてゲン(中岡元)役の女優(いまむら小穂)の元気な坊主少年としか見えない(失礼!)エネルギ―溢れる演技と、演劇全体に流れる「踏まれても、踏まれても、踏まれるほど大きく育ち、やがて豊かな実をつける麦のように強く生きる」というテーマが悲惨な物語でありながら観るものに勇気と可能性を示してくれる。
強い反戦意識と共に、人種や民族による差別に対しても明確に否定し、子供たちにも周囲の言動に追従しないよう厳しく諭す父 中岡大吉。そんな大吉に対して尊敬の念を持ち、ゲンの母の身重もあり貧窮する中岡一家に食料を届ける朴さん。朴さんは植民地支配下時代、徴用や徴兵という名のもとに連行された朝鮮人の一人である。実際、戦争末期は人的資源の不足が深刻になり日本の国家総動員法も朝鮮半島まで適応され、当初自由募集であった徴用も次第に強制的さをおびるようになる。原爆投下当時、広島、長崎にも多くの朝鮮人労働者とその家族が在住していた。そして数万人が被爆、市内に集中して居住していた彼らは被爆後も頼る知り合いもなく残留放射線の影響を受け続けた。さらに劇中にあるように避難所でも差別の為十分な手当もうけられないケースも多かった。結果的に祖国に帰れぬまま多くが死亡し、2万3千人が漸く韓国に生還するも日本に7千人あまりが残留したとされる。祖国に戻った彼らを待ち受けたのは、放射能汚染に対する周囲の偏見と日本の為に働いたことに対する非難の中で「忘れられた被爆者」として永らく放置されることになる。2016年伊勢志摩サミットへの参加で訪日したオバマ元大統領が広島へ訪問した。
現職米大統領として原爆死没者慰霊碑への献花と演説は歴史的な出来事としてまだ記憶
に新しい。しかし、そこからわずか200mの場所にある韓国人原爆犠牲者慰霊碑の存在はあまり知られていない。
超ロングセラーとして1000万部以上発行された漫画「はだしのゲン」の原作者中沢啓二は7年前に肺がんで他界し、最初の「ミュージカルはだしのゲン」のプロデュサー木山潔も後を追うようにその2か月後に同じく肺がんで世を去る。しかし、世代を超えて漫画は読み継がれ、ミュージカルは再びリニューアル上演された。「自分の頭でよう考えろ、何が本当で何が嘘か、自分の目でよく見ろ」ゲンの父は多くの犠牲者に代わって今の私たちに問い続けている。
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