「五十にして天命を知る(知命)」と言いますが、あくまで孔子ほどの賢人君子の話であって、私のような凡人では四十で到達する‘不惑’もままならず、些細なことにも心乱されることも少なくありません。最近では、歩きながらスマートフォンを凝視している所謂「ながらスマホ」族にはどうもイラっとさせられます。周りにも迷惑であるだけではなく本人にも危険であり、イヤフォンまでしてればまさに「見ざる聞かざる」状態で実際に大事故につながったケースあるようです。そもそも、そこまで時間を惜しんで確認しなければならない情報とはいったい何でしょうか。大袈裟かも知れませんが、自分の目の前に存在する現実、事象を疎かにし、発信者が誰かもわからない、あるいは見えないものを優先する風潮には不安を感じます。
民主国家の基本の一つに「言論の自由」というものがある事は言うまでもありません。しかし大量の情報、報道が様々な形で溢れている現代においては、情報量の多さに惑わされて本当に知る権利が保障されているかが曖昧になる危険性も含んでいます。つまり、発信者が意図的に知らせたくない内容は控え、都合のよい情報や当たり障りのない情報を大量に流すこともあり得るからです。1985年にフランスで発足した国境なき医師団ならぬ「国境なき記者団」という世界のジャーナリストによる国際的非政府組織で毎年‘国別報道自由ランキング’を発表しています。2014年度は1位からフィンランド,ノルウェー、オランダ・・・と上位は常連の北欧諸国が占め、団体本部のフランス39位、自由の国 アメリカはボツワナ、南アフリカなどのアフリカ勢より低い46位でした。東アジアでは台湾が50位、韓国は昨年より7つ順位を下げて57位、そして日本は2011年以降順位を下げ続け59位でした。特に日本の場合、報道自由度を五段階に分けた分類では三番目にあたる「顕著な問題のある国」という評価となり、主要先進国で唯一含まれることとなりました。
日本からの独立後、朝鮮戦争、南北分断から軍事政権を経てようやく民主化を成し遂げた韓国では、今でも政府側の報ずる情報に対して不信感や反感から、根拠のない陰謀説を流す人々が存在し、国民の不安を煽るケースがあります。勿論、不要に互い深くなることはありませんが、どんな情報であれ最終的には自分で考え、判断する姿勢を持ってこそ、 その社会、メディアを正しい方向に導く大切な方法であると考えます。
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