自転車でご近所ウオッチング&聖金曜日
いつものように5時半頃に目が覚めましたので、今日は自転車で川ではなくご近所ウォッチングをしました。自転車を止めて写真を撮る時間の方が多くて運動にはあまりなりません ......
自転車でご近所ウオッチング&聖金曜日
いつものように5時半頃に目が覚めましたので、今日は自転車で川ではなくご近所ウォッチングをしました。自転車を止めて写真を撮る時間の方が多くて運動にはあまりなりません ......
昨年の今日(母の煮しめ)
母の煮しめ 母が久し振りにお料理を作りました。最近では何だか滅茶苦茶な感じでしたが、この煮しめはきちんと切れていますし、味もとても美味しかったです。 近所の「......
一昨年の今日(昨年の今日(引っ越す友人宅へ))
昨年の今日(引っ越す友人宅へ) 引っ越す友人宅へ 朝のウオーキング ⇒ 大きな赤と紫の光が写りました。 クンシランも大分咲き始めました。 我が家の......
三年前の今日(一昨年の今日(昨年の今日・藤の花が咲き始めています))
一昨年の今日(昨年の今日・藤の花が咲き始めています) 昨年の今日(藤の花は咲き始めています) ご近所ウォッチング 母をお店に送って行った帰り道。 びっくりでした......
朝、5時30頃目が覚めましたので歩きに行きました。
ご近所のお宅のリフォーム後に出来た畑
いいですね
今朝の庭のお花達
ホスピス勤務時代からのお知り合いのお嬢さんが早くも母の日のプレゼントを送って来てくれました。
「当日は失礼だと思い、ネットから送ったら早く着き過ぎました」とのこと。
彼女はコロナ患者を受け入れている大病院の管理栄養士です。
According to the season, I changed the hanging scroll, cut the peony in my garden and put it in a vase.
季節に合わせて、掛け軸を替え庭の牡丹を切って花瓶に生けました。
今日は午前中、台所の掃除をし、その後アメリカの友人と少しチャットをしました。
向こうの時間では23時半くらいでしたので、まだ起きていたことに驚き尋ねたら、今朝は遅くまで寝ていたからだとか。
最近の私達の話題は専ら「信仰」について。
元々カトリックのようですが、私と同じで少し変わってきたようです。
つまり、輪廻転生を信じているとかそう言ったことです。
Apr 16, 2020
私が信仰がほしいけれども確信が持てなくて悩んでいることを話し、信仰とは何だと思いますか?と聞きました。
これは話の続き(あなたは信仰深いと言われたので)への私の質問です。
すると、メッセージを残しておいてくれました。
Apr 17, 2020
For me faith is more of an acceptance of possibility .
I believe in God, because i choose to accept the idea.
The mess all around me suggest that there is no God, yet I choose to accept that God exist
Panic attacks and anxiety issues are human issues, not related to faith.
Please see yourself as a believer, the tradition of the apostle Thomas.
You are a good person, you need not worry.
Your special experience may be your caring for your mother and providing insight and prayers for others, like me.
神を探し続けることがすでに信仰なのか、信仰があれば少なくとも私のような病気にはならないでしょうし、何も怖くないのではないかと私が書いたら・・・
If you had no faith, you would not be searching. Your searching is an expression of your faith.
Illness is not a measure of faith, it is simply biology/ psychology ; you are a woman of faith , and a regular human being. All human beings have physical and psychological issues.
My own faith is rooted in my refusal to believe that the universe and history are accidents of nature. I believe there is a guiding hand. I cannot see it or even understand it, but i believe it is there, because I choose to believe it is there.
探求と選択は共に信仰なのですね?と私はメッセージを残しておきました。
Apr 19, 2020
Yes, I believe you are correct, both exhibit faith
そして、今日、私達は少しチャットしました。
彼は私よりも10歳くらい年上で、とても前向きで、成熟した人って感じです。
今日は一日、母は元気でした。
そうなると危ないのに(左手に三角巾をしています)、動き回り、何度言っても言うことを聞かず、又、転んでしまいました。
起こそうと思っても重いし痛がるし、起こすことが出来ませんでした。
本人は右手を付いて起きようとしますが、まだ骨がきちんとついていないかもしれず脆くもなっているので、それは止めるように言いました。
もう15分位でヘルパーさんが来て下さるので待つことも考えましたが、ソファーとか手を持つ介護用の棒?とかを回りに置いて何とか起き上がりました。
しかし、それでもまだベッドのそばでごそごそ。
元気になったら「もう死ぬかもしれないから片付けないといけない」と思うようです。
気持ちはわからないではないですが、はっきり言ってもうその時期は過ぎてしまったと思います。
母は時間がある時に、もったいない精神で片付けてきませんでした。
私はそれを見てきましたので、動きが悪くなってからでは遅いことをよーく知っているので今、片付けようとしています。
なかなか終わりが見えませんが・・・
16時半過ぎに来て下さったヘルパーさんは朝の方と同じで、看護師さんでした。
母の一番好きな方です。
私は今日、証拠写真を撮り、彼女に見せました。
そして、如何に何度言っても言うことを聞いてくれないかを話しました。
看護師さんも今までずっと言い続けて下さっていましたが、今日は母が泣いたようで、彼女も一緒に泣いていました。
看護師さんは最近、母と同じ年代の祖母を同じような状況で亡くしました。
ですから、そうなってほしくないからと言われて・・・
私はすでに泣きたい心境は通り過ぎており、ストレスでもうしんどくなって薬を飲んで深呼吸をしながらひたすら落ち着こうとしていました。
「辛いけれど、今は特に動かないように言い続けるしかない」と看護師さんは言われました。
「それが出来ないなら、また前のように入院以外にない」と。
そして、「今度転んだら、施設行きになってしまう。そうなってほしくないから私も言わせてもらいます。」と言われました。
母の父、私の祖父の死の前が思い出されます。
私の本気の求道の原点となった出来事です。
また、これについては後日いつか書こうと思っています。