母と暮らせば&「もしあと1年で人生が終わるとしたら?」

2023年11月03日 21時39分45秒 | 介護

 今日も夏日にはなりませんでしたが、日中は外は暑かったに違いありません。

家の中で過ごしていましたので、室内は窓を開けてちょうどいい加減でした。

 

 

 

 今日の母の体調はアップダウンが激しく2~3回繰り返しました。

今朝の果物

母は朝一が調子が悪かったので、ジュースは午後から干し柿も混ぜて作りました。

ちょっと舐めて味見をしたところ、美味しかった~

今日の朝顔はこの1輪だけでした。

 干し柿が少しかたくなってしまいました。

少し前がやわらかくて一番美味しかったと思います。

 

母がこの干し柿をかじって食べ始めました。

でも、入れ歯なしでは無理だったようです

そこで、あとでジュースに入れました。

 

 10時頃になって母が復調してきましたので、今日はマッサージとパックをして遊びました

夕方にいらしたヘルパーさんが「色が白くなって血行が良くなっている」と言われていましたので、やはり効果があったかな

その間母はYou Tubeで「青空体育」を観ながら「とんび」体操をしていました。

私は読書。

昨日届いた「もしあと1年で人生が終わるとしたら?」を読み始めました。

 母に何が一番大切か聞くと「家族」と即答しました。

この家族、今生きている家族なのか、亡くなった家族も含めるのかはでしたが、この質問は愚問でした

私は何だろうとしばし考えました。

 

 「人生の最後に『より後悔がない人生だった』『より良い人生だった』と思えるために必要な条件」として

●自分で自分を否定しないこと

●いくつになっても新しい一歩を踏み出すこと

●家族や大切な人に、心からの愛情を示すこと

●今日一日を大切に過ごすこと

・・・と著者は考えていらっしゃるようです。

まだ途中ですが、「些細なことから、長い時間をかけて叶える夢まで、すべてやり切るというくらい我儘になってください」という言葉が印象的でした。

 

 

 

 

 今朝、母は珍しくパンを食べませんでした。

血圧が233-144

シチューだけ少し食べました。

 お昼はレトルトパックを使ってみたところ、お粥は別としてあとのふたつの「お肉とお野菜の含め煮」と「さつま芋に」は完食。

お粥は一袋を分けました。

昨夜、いつものように(月曜日の夜から)鎮痛剤と胃薬を飲んで寝たところ、胃がもう痛くなって・・・

胃の中でお薬が溶けているのがわかるような痛みでした。

朝起きてもムカムカ。

もうお薬を飲むのをやめました。

今日のバラ、あと2本がピンボケでしたので、今日はこの「新雪」のみ。

お昼を食べた後、母は再び不調に。

 看護師さんが1時半から訪問予定でしたが、ハプニングが起こったようで、1時間以上遅れ、しかも別の方が来られました。

どなたかが入院になったようです。

途中で救急車がどうのという電話が入って来ていました。

今日は休日ですからどこの病院が受け入れてくれるかわからなかったようです。

この時間帯は母は不調で寝ていました。

看護師さんがいらした時、昼用のパットが残り1枚と気が付き、お買い物に行かせて頂きました。

晴れていて気候がいいし、近いので歩いてお出掛け。

 

菊とホトトギスが美しかったです

 母は17時過ぎあたりから復調。

シチューを又、食べました。

その後、いつものレーズンバターロール(夕方なので2個にしました)とカフェオーレ、それにジュースをすごい勢いで飲みました。

 

 

 

 19時にお薬を飲ませる時に、ヨーグルトはもう今日1個食べていましたし、たんぱく質の補給を考えて温泉卵に混ぜました。

温泉卵自体はOKなのですが、母が冷たいと嫌がって頑として飲まなくなりました。

あ~、そうか。

こういうことって先にわかってあげられなかった、配慮がなかったなと思いました。

冷蔵庫から出してすぐだったので冷たかったのです。

多分、こういった気が付かないことは沢山、家でも施設でもあると思います。

そういったことを母はショートから帰って話しますし、もっと話を聞いて欲しいのだと感じました。

ですから、今回は帰って来た時にそばに座って聞きましたが、なかなか母の話を聞ける時ばかりはありません。

そもそも入れ歯をしていないので何を言っているか聞き取れず、聞き返すと大きな声で一生懸命に言うのですが、それは(その努力は)わかるのですが、内容はわからないことが度々あります

こちらも「は」「なに」と繰り返し、母は母で最後には「もういい

悪戦苦闘の日々は続きます。

それにピリオドを打つべく先週より食べる時以外は入れ歯を入れる(今はミキサー食なので入れ歯は入れない方が安全。皮肉なものです)ことにしたわけですが、今朝は出してしまっていました。

ショート先にも依頼していたのですが、「口の中が気持ちが悪くて入れたくないと言っても強引に入れようとした」と帰って来た時に言っていました。

なかなか思うようにいかないことは(家でもです)辛く歯がゆいことだろうと思います。

生きるのが嫌にならない母は偉いと思います

 朝、パックをしている時「今日はどこに行くの」と母が聞きました。

「どこにも行かないよ。あと3日間は家よ」と私。

そして、「ショートに行きたくないの」と尋ねてみたところ

「いいや」と目をくりくりさせて言いました。

嫌でたまらないということはないんだ。。。と、今更ですが胸をなでおろしました。

 

 

 

 

 今日はお薬が遅れていますので、23時頃に飲ませようかと思っています。

片付けが済んだら、読書か映画を観たりしながら、小一時間過ごそう~。

日々何やかやとありますが、穏やかに母と過ごせる今に感謝です

大変なこともあります。

それは確かにありますが、もし介護をしていなかったら私は今の穏やかな幸せを知らずにいたと思います。

そして、私の場合介護をしなかったら、私の中のある部分が大きく欠落していたかもしれないとさえ思います。

母と私はそんなに仲のいい母子ではありませんでした。

仲が悪くもなかったのですが、一人前に反発心も持っていました。

私は父親っこでしたし。

でも、この介護する相手が父だったらどんなに大変だったことかと思います

母だからこうして何だかんだと言いつつも一緒に居られるのかも。

それは仮定なので全く想像ですが。

とにかく、今、穏やかでいい時間を過ごさせてもらっていると母には感謝です。

ま、あまりいい介護者ではありませんが

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2023.1103

 

海将が語るリーダーの条件

 

まず誰よりもリーダー自身が
己を厳しく律して努力し続ける、
その姿勢が信頼と人望を生み、
強い組織や人材を実現する土台となっていく
━━━━━━━━━━━━━━
真殿知彦
(海将、海上幕僚副長)
○月刊『致知』2023年12月号
特集「敬、怠に勝てば吉なり」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

●明治から昭和に至る激動の時代に、
近代的な海軍建設とその人材育成に心血を注いだ
海軍兵学校の歴代校長の言葉や生き方には、
いまの私たちが学ぶべき点が多くあるといいます。
海将、海上幕僚副長の真殿知彦氏に、
深刻な内憂外患に直面する日本に
求められるリーダーの条件を語っていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)

 

テンプル騎士団とは? 十字軍との違い、バラ十字会との関連


バラ十字会日本本部AMORC


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こんにちは、バラ十字会の本庄です。


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文章を以下に転載していますが、下記のリンクをクリックして、公式ブログでお読みください。興味深い、歴史的に重要な写真が掲載されています。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1084078&c=3304&d=ed84

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朝晩がすっかり寒くなりましたね。

暦の上では来週は、もう立冬です。


いかがお過ごしでしょうか。



日本本部の代表を務めていて、ときおり尋ねられるご質問があります。

それは、テンプル騎士団とバラ十字会にはどのような関係があるのですかというご質問です。


ひとことでお答えするとすれば、はい、あります。



◆ テンプル騎士団とは

テンプル騎士団とは、フランス人のキリスト教徒の9名の騎士が12世紀初めに創設した騎士団です。

その目的は、パレスチナに住むキリスト教徒とエルサレムに向かう巡礼者をイスラム教徒から警護することでした。


これからご説明するようにテンプル騎士団の団員は、宗教間の和解を促そうとする高い理想を持っていた人たちであり、その中枢は哲学学派でもあり、国際金融システムを構築して巨額の富を蓄えた実務的な人たちでもありました。


しかし、当時のフランス王の策略により、カトリック教会に対する異端の嫌疑がかけられ、騎士団長ジャック・ド・モレーとメンバーの多くが、宗教裁判を経て火あぶりの刑になり、1311年に活動が停止しました。


◆ 十字軍の結成と、その真の目的

今から1000年近く前、11世紀の終わりごろのできごとですが、当時のローマ法王(ウルバヌス2世)がカトリック教会の会議で次のことを訴えました。


イスラム教徒がパレスチナを占領して、その地に住んでいるキリスト教徒を虐殺している。

また、聖墳墓と呼ばれる、エルサレムにあるキリスト教の聖地を占拠し冒涜しているので、奪い返す必要があると訴えたのです。


歴史家によればこの訴えは、完全な嘘とまでは言えないとしても、真実からかなり離れていました。



当時この地を支配していたトルコやエジプトのイスラム教徒は、キリスト教に寛大であり、キリスト教徒の巡礼も認め、この地で2つの宗教は比較的平和に共存していたのです。


ローマ法王の真の動機は、カトリック教会の支配をパレスチナにまで広げて経済的な利益を増やすためだったと、多くの専門家が考えています。



しかし、ローマ法王のこの訴えは成功し十字軍が結成されました。

何千人もの一般の人々がヨーロッパを横断してエルサレムに向かい、途中の国でも賛同者が加わり、十字軍の規模は膨れ上がりました


彼らはさまざまな土地で、略奪や殺人を行いました。

十字軍は“聖なる戦い”であるので、十字軍に参加している間に犯した罪には有罪の判決が下されることはないと兵士は教えられていたのです。


その後13世紀の終わりまで、何回もの十字軍の遠征が行われ、そのたびに各地で虐殺や略奪が起こりました。


◆ 十字軍への非難とテンプル騎士団の誕生

十字軍の遠征のごく初期から、フランスの少数の騎士たちが、キリスト教徒であったにもかかわらず、その残虐な行ないを非難していました。


一方で、十字軍の影響によってパレスチナでは、キリスト教とイスラム教の対立がとても激しくなっていました。


1118年に、9人のフランスの騎士がエルサレムに移住し、テンプル騎士団を結成しました。その目的は、パレスチナのキリスト教徒が攻撃されたときに彼らを守ることでした。


しかし、パレスチナからイスラム教徒を排除することには関わっていませんでした。

また、十字軍からユダヤ教やイスラム教の施設を守ることも行っていました。

最初の騎士団長はユーグ・ド・パイヤンという人でした。



この騎士団の本部が、古代のソロモンの神殿(テンプル)があったとされる場所の近くに置かれていたことが、テンプル騎士団という名前の由来です。


騎士団のメンバーの大部分は、勇敢であるばかりか高潔であるという評判が広まり、カトリック教会から公認されたこともあり、テンプル騎士団に入ることを志願する人が多数に上りました。


また、その人道主義的な活動は多方面からの支持を受け、テンプル騎士団は多くの国にまたがる巨大な組織に成長します。


◆ テンプル騎士団と十字軍の違い

テンプル騎士団のメンバーはキリスト教徒だったのですが、十字軍の活動とは一線を画し、十字軍によって行われているイスラム教徒の虐殺を非難していました。


また、イスラム教の学者たちと密接に交流し、多くの知識を受け取っていました。

当時のイスラム世界は、あらゆる分野で西洋よりもはるかに進んでいたのです。


イスラム教の学者たちからテンプル騎士団へ、錬金術、秘伝哲学、数秘学、象徴学などの知識がもたらされました。


またテンプル騎士団の中枢の人たちは、ユダヤ教の指導者たちとも密接な関係を保っていました。



十字軍は多くは、ほとんど何の訓練も受けていない一般の人たちで、信仰心は強い人が多かったようですが、教育はほとんど受けていませんでした。

そして、宗教ではなく、政治と経済の利害関係に基づいた命令を受けている指揮官たちに率いられていました。


一方で、テンプル騎士団のメンバーは、よく訓練を受けた騎士などであり、異文化に深い理解を示し、他の宗教に寛容であり、キリスト教とイスラム教の間の戦いが収まり、あらゆる宗教が和解することを望んでいました。

また、カトリック教会に無条件に従う集団ではありませんでした。


以上のご説明で、十字軍とテンプル騎士団は、性質が全く異なるということがご理解いただけたことと思います。


◆ フランス王の策略とテンプル騎士団の壊滅

他の宗教への寛容や異文化についての理解でも、テンプル騎士団は進んでいましたが、それだけではありませんでした。

彼らによって、国際取引を行うことができる銀行システムが歴史上初めて作られたことが知られています。


このシステムによって、テンプル騎士団は莫大な財産を手に入れていました。



当時フランスは、国の財政が危機に瀕していました。

フランス王フィリップ4世(フィリップ端麗王)は、テンプル騎士団の進んだ考え方を憎悪しただけでなく、ローマ法王を利用して、その財産を手に入れることを決断します。


フィリップ4世の策略により、テンプル騎士団には異端の嫌疑がかけられ、当時の騎士団長ジャック・ド・モレーやメンバーの一部は、宗教裁判を経て火あぶりの刑になります。

そして騎士団の活動は1311年に停止されました。


◆ フリーメイソンとの関係

テンプル騎士団には、レンガ職人、石工、大工、鍛冶職人など、あらゆる種類の職人の集団が加わっており、特に有能な職人が集まっていたことが知られています。


裁判から解放された騎士団員の一部は「職人組合」という名で知られるギルドに参加しました。

ギルドとは極めて古い歴史を持つ、中世ヨーロッパの商人や職人の同業者の団体です。


フリーメイソンは18世紀の初頭に結成された国際的な親善団体ですが(それより以前だという説もあります)、中世のメイソン(石工)のギルドが起源だとされており、テンプル騎士団と関連がある可能性があります。


◆ バラ十字会との関係

さて、テンプル騎士団とバラ十字会にはどのような関係があったのでしょうか。


先ほどお話ししたように、テンプル騎士団の人たちは、錬金術、数秘学(宇宙の秩序の基礎としての数の意味を研究する学問)、象徴学に深い関心を持っていました。


さらに、ユダヤ教の秘伝哲学、キリスト教のグノーシス派の思想も研究していました。

これらの分野はまさに、中世から近世のバラ十字会員が主に研究していた分野と同じです。



テンプル騎士団の良く知られている象徴は、クロスパティーと呼ばれる赤い末広がりの十字なのですが、騎士団の中枢のメンバーは、自分たちの秘密の象徴としてバラ十字を用いていたことを示す文献がいくつか残されています。


ですから、当時のバラ十字会とテンプル騎士団は密接に関わっていた可能性があります。



フランスの社会学、哲学、宗教史の専門家であるフレデリック・ルノアーはこう語っています。

「ソロモンの神殿、あるいは古代エジプトにさえ遡ることのできる秘伝哲学の知識が、テンプル騎士団を通してバラ十字会に伝わったのであろう」。


実際にも、当会に伝えられている用語や式典、考え方の多くに、テンプル騎士団からの影響が見られます。



なお、ドイツの文豪ゲーテの作品『メールヒェン』(緑の蛇と百合姫の物語、1795年)は、薔薇十字団の宣言書『クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚』(1616年)に触発されて書かれたことが知られています。


そして、テンプル騎士団の理想を表した寓話だというルドルフ・シュタイナーの説があります。

このことについては、次の記事をお読みください。


参考記事:『ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテと神秘思想、主な作品の紹介、テンプル騎士団』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1084079&c=3304&d=ed84



何世紀も昔のことなので、謎に包まれている部分も多いのですが、知られている情報は以上のようなことであり、テンプル騎士団からバラ十字会に、さまざまな知識や伝統思想が伝わったのだと推測されています。



ここで、ひとことお断りしておかなければなりません。私やバラ十字会は、今までのようなご説明で、現在のカトリック教会のことを非難しているわけではありません。


ただ、数世紀前の人類の歴史に起こった悲しいできごとをご紹介しています。



このメルマガで、ときおり話題にしていることですが、バラ十字会AMORCの世界中の会員には、カトリック教徒の方々も含む、あらゆる宗教を信仰する方々がいて、またもちろんですが、宗教を信仰していない方々もいます。


そして、会員の間には、宗教的な立場の違いを超えた寛容の精神と友愛が実際に成立していますし、この状況が世界のすべての人たちに広がることを心から望んでおり、そのことを活動の目標のひとつにしています。


ですから、バラ十字会はある意味では、テンプル騎士団の理念を受け継いでいるとさえ言うことができます。


◆ テンプル騎士団と秘伝哲学
最後に、もうひとつご紹介しておきたいことがあります。

テンプル騎士団の中枢の人たちは、ユダヤ教とキリスト教の秘伝哲学のことを特に重要な知識だと考え、熱心に研究していました。


ユダヤ教の秘伝哲学はカバラと呼ばれます。下記の記事で解説されていますので、ご参照ください。


参考記事:『カバラとは? 生命の樹とセフィロトと流出について、数の象徴学と数秘術』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1084080&c=3304&d=ed84



これらの秘伝哲学は、バラ十字会の哲学にとって欠かせない要素になっています。


しかしバラ十字会以上に、テンプル騎士団の哲学を専門に受け継いでいる団体があります。


それは、「伝統マルティニスト会」(Traditional Martinist Order)と呼ばれる哲学団体です。



1931年にフランスでオーギュスタン・シャボソー(Augustin Chaboseau)が創設したこの会は、「知られざる哲学者」という異名を持つルイ・クロード・ド・サンマルタンの思想を通して、テンプル騎士団の哲学を継承しています。


伝統マルティニスト会は、残念ながら日本では活動していませんが、バラ十字会AMORCは、この会の考え方と活動に賛同し、世界中でこの会を後援しています。

(伝統マルティニスト会の秘伝哲学を学ぶ日本語教材を、バラ十字会日本本部からご提供できるようにする計画が現在進行中です。)



テンプル騎士団をテーマに、今回はかなり立ち入った話題についてお話をさせていただきました。


ご参考になったと感じていただけた部分があれば、とても嬉しく思います。



今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。


また、お付き合いください(^^)/~



◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇

■編集後記

神代植物公園で撮影したランです。オランウータンに変装している花も!?

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1084081&c=3304&d=ed84

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