いつもの金曜日

2023年11月10日 21時06分10秒 | 介護

 今朝は雨の音が目が覚めました。

結構降っていました。

その後、小降りになったりしながら一日降り続けました。

 

 

 

今朝の果物

 

 

 

 お昼御飯用に炊き込みご飯を作りました。

先日の「あさイチ」の美味しい炊き込みご飯の作り方を真似てみました。

お魚は鮭ではなくキハタマグロを照り焼きにしたものを入れました。

 

 

 今日の母は朝一は不調で、朝食後から元気になり、午前中はお台所に座っておしゃべりをしたり、TVを観たり、You Tubeで童謡付き体操を張り切ってしたりしていましたが、11時過ぎに看護師さんが来て下さった頃から段々と口が気になって仕方がなくなり顔も歪んできました。

でも、今日はカットして頂いたので、鏡を何度ものぞき込んでいました。

かわいくなったよ

 

お花を買って来たので玄関や勝手口回りが少し明るく賑やかになりました。

 朝顔は今日も咲きませんでした。

じっくり見てみましたが、もう蕾がないような・・・

 

 

看護師さんと前後してケアマネさんが来られ、この介護新聞を下さいました。

ケアマネさんはおしゃべりがお好きで(元気の素)、今日もたくさん話して帰られました。

ケアマネさんというお仕事上、本当に人生劇場のようなお話もいっぱい。

今日はご主人が糖尿病で目が見えなくなり、足も切断。

その介護をガンの奥さんがお世話されていたのですが、限界が来てご主人は施設に入られました。

その時にベッドなどもすべて処分なさったそうなのですが、昨日、その施設から老健だったかに移られました。

移られる時に奥さんやお兄さんのお顔を見られた途端、「家に帰る」「ベッドはなくても畳みに転がって寝る」「そのまま死んでもいいから放っておいてくれ」等など言われ、昨夜はスタッフの方々があれやこれやと対応なさっていらしたそうなのですが、今朝、ドクターが「そんなに嫌がる人を入れるわけにいかない」と言われ、夕方に家に帰ることになられたそうです。

奥さんはもう仕方がないから倒れるまで面倒を看ると言われたそうで

ちなみにご主人のお年は70歳。

奥さんもそのくらいだそうです。

奥さん、大変です

でも、ご主人も目も見えず足も切断し、受け入れがたくこういう状態になってしまわれたのでしょう。

自分にゆとりがないとなかなか人のことまで慮る余裕がなくなるのはわかります

本当に考えさせられました。

 

 

 

 

 母の調子が悪いので又お薬が後手後手に回っています。

夕食時のお薬を20時に飲ませましたので、少なくとも3時間空けて21時の最後のお薬を飲ませなくては

いつもの金曜日、今日もいろいろありましたが、穏やかに時間が過ぎていきました。

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2023.1110

 

世界一を育てる名指導者の言葉

 

三流は道に流され、
二流は道を選び、
一流は道を創る
━━━━━━━━━━━━━━
井村雅代(井村アーティスティック
スイミングクラブ代表理事)
月刊『致知』2018年1月号より
━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」 


≪介護の未来を切り拓く、精神科医の歩み~頸椎骨折を乗り越えて~≫


山形市にある阿部クリニックの院長・阿部憲史さんは、
学生時代に頸椎を骨折して以降、車椅子生活となるも、
絶望を乗り越え、必死で勉強をされ、
医師国家試験に合格、大学病院の精神科配属後、
今のクリニックを開業されました。

阿部さんは、精神科医として、
鬱病や適応障碍を抱える孤独な現代の若者を救う一方で、
「介護の未来を考える会」の代表も務めておられます。

ご自身が訪問介護を受ける中で、
スタッフ不足、待遇改善などの課題を痛感し、
解決に向けての働きかけの必要性を感じたことが、
きっかけだそうです。

また、阿部さんは若い患者さんと向き合う際、
ご自身の体験を語るのではなく、

「こんな弱い存在でも皆の力に支えられて仕事ができ、
 君とこうして真剣に向き合っているんだ」

という正直な想いを吐露することで、
気持ちを通わせ合うことができる、と述べられています。


ご自身も弱さと向き合いながら生きているからこそ、
そのまっすぐなお言葉は、我々に力を与えてくれます。

今回はその中でも、特集テーマになぞらえた、
先生の強い決意の言葉をご紹介します。


取材の様子はこちら
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今回の特集テーマ「敬、怠に勝てば吉なり」になぞらえれば、
私は子供の頃から一所懸命に努力して医学部に進み、
練習に打ち込んでラグビーでも活躍しました。


しかし、その結果、怪我をして車椅子生活になりました。

それで努力というものに懐疑心を抱いた時期もありました。


ただ、改めて振り返ると、怪我をして39年間、
クリニックを開いて27年間、大きな事故はなく、
ほとんど休まずにクリニックを続けてきました。


そこには「車椅子の先生だから休むのは仕方がない」
というイメージだけは避けたいという思いも当然ありました。

私は「真っ直ぐに、ひたすらに」という言葉が好きなんです。


両親の生き方から教えられたのか、
ラグビーで学んだのか、
いつしかそれが習い性になっていきました。

医療をする上で忘れてはならない誠実さ、
それはひたすら努力を続ける中で生まれるものだと思います。


人の命を扱う人間は、
そのくらいの姿勢でなくてはいけないし、
これからもその生き方を貫く決意でいます。

 

※阿部さんがこのような境地に至るまでの、
 感動的なエピソードの数々は、本誌でご堪能下さい。

 

 

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)

 

仁和寺の和尚の失策(「徒然草」52段より)


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こんにちは。バラ十字会の本庄です。


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文章を以下に転載していますが、下記のリンクをクリックして、公式ブログでお読みください。話題に関連する美しい写真、歴史的に重要な絵が掲載されています。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1085273&c=3304&d=ed84

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先日、東京調布市にある神代植物公園に行ったのですが、すすきの穂が美しく青空に映え、何種類かのトンボを目にすることができました。


いよいよ秋も終わり、冬が近づいてくる気配がします。


いかがお過ごしでしょうか。



札幌で当会のインストラクターを務めている私の友人から、『徒然草』についての、考えさせられる文章が届きましたので、ご紹介します。

▽ ▽ ▽

『徒然草』 兼好法師著

文芸作品を神秘学的に読み解く41

森和久



人間、歳を重ねて来ると自分の人生を見直し、やり残したことはないだろうかと思ったりするものです。


兼好法師が鎌倉時代末期(1330年代初め)に著した『徒然草』には、彼が見聞きしたり、思い巡らしたりしたことが収められています。


「つれづれ」とはすることがなくて、退屈な様と言うことですが、「とぜん」と呼んで、特に近現代では、伝わった東北地方に定着し、方言として淋しい様をも表します。



そのようなタイトルを付けられた『徒然草』全243段の中から、前記のテーマに合った第52段「仁和寺にある法師」を取り上げてみたいと思います。



第52段のあらすじを見てみましょう。


「仁和寺のある法師が石清水八幡宮に参詣しないまま歳を取ってしまったのを情けなく思い、ある時、思い立って、たった一人徒歩で参拝したと言うことだ。」


「(麓の)極楽寺や高良神社などを拝み、これで済んだと思い込み帰って来たのだった。」


「その後、同輩に向かって、

『長年気に掛けていたことをやっと果たすことが出来ました。聞きしに勝る尊さでおいでなさった。』

『それにしても、参詣の人たちの誰もが皆、山へ登って行ったのは何があったのでしょうか?』

『知りたいとは思いましたが、石清水の神社参拝という本来の目的を損なってはいけないので、山までは見ずに帰って来ました。』

と言ったそうである。」というストーリーです。



全くの見当違いの言動です。

このようなわけでこの法師は嘲笑にさらされたという落ちになっているのです。


この後、兼好は『すこしのことにも、先達(せんだち)はあらまほしき事なり。』と述べて、この段を締めくくっています。

この部分は後に言及することにしまして、まずこの仁和寺の法師の人となりを見てみましょう。



仁和寺は京都にある真言宗の大本山で、光孝天皇により888年に建立され、皇室出身者が代々住職となり、最高の格式ある寺でした。


我らが法師は、その寺で信仰一筋に長年修行を積み、仏門に生涯を捧げて老齢に達しました。



それが彼の一途な生き方なのですが、反面、頑固でもあります。


そんな彼ですから、当時一般的には乗り合い舟を利用するところをたった一人で、徒歩で一心に石清水を目指したわけです。


彼にとって石清水行きは、観光や物見遊山では無く、信仰の一環だったのです。

ですから当然一人で脇目も振らず徒歩で向かって、同じように徒歩ですぐさま戻ったのです。


舟などを使って安易に楽をしてしまうなど、もっての外です。



この法師の人物像が浮かび上がったことでしょう。

彼は自分の信心の深さを誇るように、『神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず』と、関係ないと思った山に上るのは冒涜行為であるかのように自慢げに述べています。


それで同輩たちはあからさまに彼の失敗を指摘することなく、陰で揶揄(やゆ)して冷笑したのでしょう。


信仰の篤さは度を超すと、独善や盲信となってしまいます。

さらには狂信となってしまうかも知れません。



では、本文最後を見てみましょう。「すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり」。

これについてよく見受ける説明は、「些細なことでも先達(先導者・案内役)はあった方が良い」となされています。


しかし、ストーリーを素直に読み取れば判るとおり、先導者も案内役も必要ではありません。

道行く誰かに、「山の上に何があるのですか?」と尋ねるだけで、「山の上には本殿があるのですよ」と答えてくれるはずです。



つまり傲慢で狭量な彼はそれすら出来なかったのです。

ですからこの最後の文は、「どのような小さいことにでも指導者が必要である」ということを翻って意味を見いだすことが出来ます。


つまり、「どんなに些細なことにでも教えられることがある、どんな時でも学ぼうとする謙虚な気持ちが大切である。」ということです。



年齢を重ねると自分のやり方を変えられない、自分の誤りや他人の考えを受け入れられない人間に陥りがちです。


従五位下まで出世しながら出家し清貧暮らしに徹した兼好は、仁和寺の老僧を取り上げて、偏狭になるな、謙虚であれと諭しているのです。

△ △ △

再び本庄です。


インターネットで調べてみたところ、徒然草の現代語訳は与謝野晶子さんの訳が最も有名なようですが、最近の他の方々の訳もあるようです。


今回の文章で取り上げられていた52段は、たった十行程度の文章なのですが、深く考えさせられます。


長い歳月読み継がれている著作の、さりげない凄みを感じさせられます。



下記は森さんの前回の文章です。


記事:『不思議の国のアリス』-ルイス・キャロル著

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1085274&c=3304&d=ed84



では、今日はこのあたりで。

また、お付き合いください(^^)/~


◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇

■編集後記

神代植物公園のバラです

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1085275&c=3304&d=ed84

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コメント (2)
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