もこにゃんとばあば

もこにゃん もうすぐ八才(2015年生れ)
登場数は少ないですがヨロシク!にゃん

停戦

2023-02-23 05:12:06 | 俳句・短歌

停戦を臨む子等には春遅し

雪道を転ばぬように七百歩

     眩しき道を一歩踏みつつ

 

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停戦。その言葉は幼い兄弟にとって希望の言葉だった。

戦火を逃れて、祖父と暮らす少年を描いた絵本「ぼくと弟はあるきつづける」(岩崎書店)のお話である。

「停戦になったら、さいしょの船で、おまえたちをむかえにいく」。

遠い故郷から届いた手紙に父はそう記した。「おにいちゃん、テーセンって、なに?」「テーセンまでなんて、まてないよ」。

弟は嘆く。それでも両親に会いたいという願いを、その言葉に託すしかなかった。

日本画家の小林豊さんは、訪れた中東・アジアでの体験を基に数多くの絵本を出している。

「ぼくと弟はあるきつづける」は黒海地方を舞台にした3部作の完結編だ。

祖父が他界し、旅する2人は多くの人と出会い、支えられる。多様な言葉を話す人々が集う村。

秋の収穫をもたらす豊かな土地。小林さんの描く柔らかな世界はかえって残酷な現実を浮き彫りにする。

ロシアのプーチン大統領は年次報告演説でウクライナ侵攻を改めて正当化し、継戦の方針を表明した。

バイデン米大統領が訪問したウクライナのゼレンスキー大統領は徹底抗戦の構えで、停戦協議は再開の見通しが立っていない。

絵本の兄弟は停戦合意の知らせを受け、港町にかけつけた。

その顔も忘れかけた両親の姿を船上に見つけた時、「この旅にでて、はじめて、ぼくの目から、なみだが、こぼれました」。少年の戦争の終わりであった。(北海道新聞卓上四季2023.2.23より)

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日々テレビで放映されるロシアの侵略で被害に遭った人々、なんとも言えないくらい悲しいことです。

近隣の諸国をも巻き込んでの戦争は一刻も早く止めてとプーチンに言いたいです。

この戦争はNATOとロシアの戦争だと言われていましたが、昨今のNATOの動きを見ていると、そう思います。

こんなことが今の日本に起こったらどうなるのでしょうか?

昨日のテレビで東京に隕石が落ちるとなった時の放映をしていましたが、何故そんな放送をしたのでしょうか?

何か隠されているなと感じます。

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今日は令和天皇の誕生日です。

可愛い徳仁親王殿下がお生まれになって国民は皆喜びました。

そんな令和天皇も63才です。

今朝の新聞で陛下が対話の大切さが大事と強調されていました。

日本人のよい所は対話だと思いますが、昨今の「ていねいは何もしないの意思表示」をしている岸田さん、ちゃんと対話しましょうよ!

令和天皇のカラオケの十八番は氷雨だそうですよ、私も一度カラオケの発表会で披露させてもらったことがありました。

親近感を覚えます。


はだしのゲン

2023-02-22 05:33:50 | 俳句・短歌

春めくも人間界はまだ寒く

人が死に五十回忌も過ぎしとき

    お参り止める人の悲しき

 

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ヒップホップ・グループ、ライムスターの代表曲「B―BOYイズム」に「そのたくましさ見習え はだしのゲン」という詞がある。その曲を聴いて、被爆地の広島で懸命に生きた少年を思い浮かべた人は多いだろう。

日本文化研究者コンドリーさんもその一人だ。

曲に関する自著で、家が燃えるなかで親が死ぬのを見た後、感情的・身体的にもがきながら生きたとゲンの心境を詳述した。

短い歌詞から分析が具体的に広がったのは漫画を読んだ経験があったからだろう。

漫画などの作品を、見聞きした時の感情や環境と無縁に記憶することは難しい。

「漫画そのものよりも、それを読んだ経験や漫画を取り巻く諸イデオロギーのほうへ読者は目を奪われる」とは文芸評論家陣野俊史さんの論考である。

広島市教育委員会が小学校の平和学習教材で「はだしのゲン」の削除を決めた。

家族のため浪曲で日銭を稼ぐ場面などに説明を要し、被爆の実相に迫りにくいという。

場面の背景を探る学びこそ平和学習にふさわしいはずだ。全国で起きた学校図書での閲覧制限の働きかけと同じにおいがする。

中沢啓治さんが「はだしのゲン」を書いたのはお骨揚げの骨も残らなかった母の葬儀が端緒だった。

「繰り返し、伝えるしかない」。そんな思いを込めた漫画だ。

反核や反原爆や、あるいは反日とは別の概念の下で読んではどうか。陣野さんの提案である。(北海道新聞卓上四季2023.2.22より)

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広島市教育委員会、どうしたんだい

広島市の教育に危機感を覚えますね。

岸田さんのお膝元でこんなことが起こっていたなんて、もう忘れろって言うことですか

先の戦争を舐めちゃダメでしょ

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今日は言わずと知れたニャンニャンニャンの日です。

2月22日の日付けは猫の日制定委員会が中心となって募集した全国の愛猫家からの約9,000通以上にもなる公募によって決定されているそうです。

また、例年2月22日には各地で愛猫家たちが主催するイベントが、多くのペットショップなどでは猫に関する催しが行われている他、近年ではSNS上で自慢の愛猫や、自身の猫コスプレをお披露目するのが恒例となってきております。

早速わがやのもこにゃん登場と行きたいところですがまだ夢の中のようです。

ですので、近影を見てね。

 


銀河鉄道

2023-02-21 05:32:11 | 俳句・短歌

新月の二月の星冴えかえる

しんげつのにんがつのほしさえかえる

星々の海に旅立つ漫画家の

     次行く先は平和の星なり

 

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疎開先の愛媛県で終戦を迎えた漫画家松本零士さんにとって忘れられない夜がある。

公職追放となり炭焼きで生計を立てていた元陸軍少佐の父親が、満天の星の下で話してくれた南方の星の海の美しさと敵機撃墜の悔恨である。

飛行隊長だった父親は撃墜のたび逡巡(しゅんじゅん)した。

「一瞬、そいつの家族のことが頭をよぎるんだ」。

天空を埋める星々とそのまたたきを映す大海の幻想的な光景とは対照的な戦争の現実。

松本さんの作家としての原点だ。松本さんは戦後、敗戦の苛酷さを目の当たりにした。

わが物顔の進駐軍、戦争孤児、困窮する暮らし、相次ぐ自殺者。

貧しくとも、民間パイロットの依頼を「二度と空は飛ばない」と断り続けた父親の姿から人としてのありようを学んだ。

宇宙戦艦や銀河鉄道の話から4畳半暮らしの悲喜まで。

多くの作品を残した松本さん。「二度と太陽を見られないかもしれないから」夕日は嫌いだという兵士の絶望。

他者の犠牲の上に成り立つ永遠の体を拒否する少年。

通底するのは命の在り方に対する問いかけだ。

米国訪問時、「広島、長崎のことをどう思いますか」と尋ねられたことがあった。

原爆に対する米国人の苦悩に触れた松本さんは答えた。「聞いてくれてありがとう」。

相手方の境遇や思いに心を致すことができるのが、人が人たる理由の一つだろう。

85歳で星の大海に旅立った松本さんが教えてくれた。(北海道新聞卓上四季2023.2.21より)

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「銀河鉄道999」メーテル・鉄郎、懐かしいな~、でもその奥にはやっぱり先の戦争が見え隠れしていました。

戦争が終わってもう78年経つのにです。

テレビアニメでなく漫画本を見たいなと思います。

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今日は漱石の日だそうです。

当時の文部省が文豪・夏目漱石氏に対して、その功績から文学博士の称号を贈る計画が持ち上がりました。

が、これを知った同氏は自分に肩書きは必要ないと提案を一蹴。

1911(明治44)年2月21日に、夏目漱石自身が称号付与を辞退する旨の手紙を時の文部省専門学部局長に送りました。

その気概に感銘を受けた有志たちが、後日、称号辞退の手紙を送った日となる2月21日に記念日を設けたそうです。

ユーモア精神にあふれ、負けず嫌いだったといわれている漱石の作品の中に「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「三四郎」などパッと思い出す名前もあります。

いずれも読んだ記憶はありませんが、テレビドラマで見た気がします。


地獄坂

2023-02-20 05:35:50 | 俳句・短歌

この世からあの世の喜び多喜二の忌

人の世にあるまじきかな拷問の

     仕打ちを受けし今日は多喜二忌

 

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息の上がる急傾斜が続く。地獄坂の名もうなずける。

上り詰めた先に小樽高商(現・小樽商大)のキャンパスはあった。

大正末期の3年間、1人の学生がここで学び、青春を送った。

後のプロレタリア作家小林多喜二(1903~33年)。

今も同じ敷地にある樽商大の付属図書館は、彼が書き込んだ本を大切に保管する。

芥川龍之介や志賀直哉の作品の余白には「頭のいいトリック」「生活を善意に静観」と記した。

万年筆だろうか、細字の丁寧な筆跡から文学青年の勉強ぶりが読み取れた。

卒業後は拓銀に入行し、坂を下った先の銀行街「北のウォール街」で働く。

恵まれた待遇のエリートとなったが、苦学した自身の境涯を忘れなかった。

貧困や格差の拡大、労働者の搾取…。経済発展の影の部分を見つめ、社会変革を目指しペンを握った。

<ぼくはそのなつかしい国のことを考えて、深い感動に捉えられている。そこには運河と倉庫と税関と桟橋がある>。

30年に上京後、獄中から出した手紙には望郷の念が満ちる。

「蟹工船」「東倶知安行」「不在地主」といった代表作は小樽で書かれた。

虐げられた者と共に歩んだが、東京・築地署で特高警察の激しい拷問を受けて亡くなる。

ちょうど90年前のきょうの出来事だ。

<階段のように山にせり上がっている街を、ぼくはどんなに愛しているか分らない>。

命があればどんな作品を書き継いだか。(北海道新聞卓上四季2023.2.20より)

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作家としてプロレタリア文学を牽引し『蟹工船』『一九二八年三月十五日』『党生活者』などを著した小林多喜二こばやし たきじ氏の忌日、1933(昭和8)年2月20日。

拷問により亡くなるなんて、こんな不幸なことはないですね。

主義主張に拷問は不要です、変えようがないのだから!

友人の詠んだ短歌が「あーまたこの二月のきたと母セキのめかね曇るや今日は多喜二忌」

彼女は多喜二や三浦綾子の作品を読むサークルに入っているそうです。

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私は難しい文学は苦手ですね~。

赤川次郎の漫画的小説の作品は500冊以上は読んだかも。

以後はノンフィクション系の作品をたくさん読みました。

最近は目も悪くなってきたので、映像で見ることが多くなってきました。


流されろ!

2023-02-19 05:11:56 | 俳句・短歌

やさしげな雨待ちをりて今日雨水

雨水から啓蟄になり土匂う

    鈍行列車のよふに近づく

 

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四海(この世界)が困窮しては天から与えられた幸いも永く断たれる。

道徳の欠けた為政者が国家を治めれば災害が相次ぐ―。

1837年(天保8年)2月19日、大坂で起きた大塩平八郎の乱に際し大塩が訴えた檄文(げきぶん)の冒頭だ。

大坂町奉行所与力として役人の不正摘発に力を入れた大塩は、飢饉のさなかに賄賂が横行し民百姓が困窮する事態に憤った。

乱はその日のうちに鎮圧されるが、各地に一揆が広がり幕藩体制は揺らぐ。

時移り大阪が舞台の森友学園問題が発覚したのは6年前の2月。

「私や妻が関係していたとなれば、首相も国会議員も辞める」と述べた元首相は不幸にも帰らぬ人となったが、生前のインタビューを載せた「安倍晋三 回顧録」(中央公論新社)が物議を醸している。

森友問題は消費税増税を延期した「私の足を掬うための財務省の策略の可能性がゼロではない」。

財務省は当初から土地取引が「深刻な問題」だと分かっていたはずなのに「私の元には、交渉記録など資料は届けられなかった」。

自身は策略にはまった被害者と言わんばかりである。

決裁文書改ざんに関しても「改竄(かいざん)なんかするから、まるですごい底の深い疑惑があるかのように世論に受け取られてしまった」と人ごとだ。

末端の財務局職員が自殺したのを忘れたかのような言葉の軽さは徳に欠けていよう。

思わず檄文をつづりたくなる後味の悪さが残った。(北海道新聞卓上四季2023.2.19より)

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まったくもう~ですね!

道徳のかけた為政者の思考は雨にでも流されてほしいものです。

以前のブログ覗いてみてください。 安倍晋三評伝 - もこにゃんとばあば (goo.ne.jp) 

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太陽黄経が330度のときと(中央標準時2月19日 7時34分)定義されており、2023(令和5)年は2月19日が「雨水うすい」に該当します。

2月中旬以降は雪や氷が解けて水となり、雪が雨に変わって降るという意味合いからその名が付いているそうです。

日一日と太陽が上がってきているのを実感する季節でもあります。

特に私は朝方人間なので、早朝から起きて何やかや机上の仕事を片付けるタイプです。