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海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

薩摩軍来襲と運天港

2009-04-21 19:47:58 | 生活・文化
 昨日は旧暦の3月25日で、1609年に薩摩軍が今帰仁の運天・古宇利に来襲してから400年を迎える日だった。薩摩軍は27日には今帰仁城をはじめ方々に火を放ち、略奪を行っている。その後29日に出航、中部の大湾に上陸し、4月1日には首里城に攻め入っている。
 薩摩の侵略は琉球にとって大きな歴史の転換点であったが、それを直接体験した今帰仁の住民にとっても、驚天動地の出来事であったろう。源為朝が漂着したという話と薩摩が攻めてきた話は、今帰仁の子どもらが聞かされる昔話の定番で、そういう民間伝承を通して私も、運天港が歴史の舞台となったことを知っていった。
 昨日は午後から小雨の降るなか運天港を訪ねた。古宇利島や屋我地島を目の前に望む古い港は、海岸線は整備されて変わっているが、森(むい)を背後に福木に囲まれた集落は、ヤンバルの海辺の村のたたずまいを残している。古宇利大橋ができて古宇利ー運天間の定期船が運航をやめ、その分人の行き来が減ってしまったこともあり、港には釣りをしている父と子の二人、売店前に座っているお年寄り二人、あとウミンチュが二人作業をしているだけで、ひっそりとしていた。
 森には小雨に濡れた満開の相思樹の花が、深い緑にしっとりと黄色く浮かび上がり、風雨に少し荒れた湾の向こうには、建設中のワルミ大橋が見える。橋が完成すれば屋我地島、古宇利島との距離が縮まるが、それは運天にこれからどういう影響を与えるのだろうか。
 すぐ近くにある浮田の港湾にも行った。かつてそこの事務所に父が務めていて、私も半年ほど荷役のアルバイトをしたことがある。懐かしい場所だが、伊平屋・伊是名航路のフェリーの桟橋や発着所が整備され、かつての面影は古い倉庫などに残るくらいだ。新しい施設も見たかったが、5時になり閉門するという放送があったので港を出た。
 もっとじっくりと歴史を学び、現地を歩いて考えたいのだが、明日からは辺野古新基地の環境アセス説明会が始まる。これが薩摩侵略400年の沖縄の現実であり、その中で考えていくしかない。

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