海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

『癒しの島、沖縄の真実』を読む(3)

2008-07-22 23:49:55 | 読書/書評
 『癒しの島、沖縄の真実』の第五章は「気分は琉球王国」と題されていて、沖縄独立論について論じられている。その中に次の一節がある。

 〈少女レイプ事件の後、早い段階で「独立」を言い出したのはテレビ・ニュースキャスターの筑紫哲也さんだった。朝日新聞記者時代、復帰直前の沖縄に特派員として勤務したことのある筑紫さんは沖縄理解者、沖縄応援団としても知られるが、一九九五年十月二十一日、本島の基地の村・読谷村でこんなことを言っている。
「沖縄の問題を解決するのに日本政府はむしろ邪魔。大田知事が米国へ直訴しても軽くあしらわれるのは外交権がないから。本当によい解決をするには日本政府を(交渉から)はずすことだ」
「乱暴なようだが、分離独立も選択肢の一つとしてありうるのではないか」
 沖縄県民の気持ちが分かる筑紫さんとしては「提起」の熱い思いを込めて言ったのであろう〉(二四〇~二四一ページ)。

 一九九五年十月二十一日といえば、宜野湾市の海浜公園に八万人余が集まって県民大会が開かれた日だ。その後に読谷村で開かれた講演会での発言だと思うが、筑紫氏はここで沖縄の日本からの〈分離独立〉を〈選択肢の一つ〉として示している。
 それから十年余が経った時点で、筑紫氏は以下のように発言している。月刊「サイゾー」06年4月号に掲載された、岡留安則氏との対談での発言である。

〈筑紫ー……ところが、辺野古の問題でもそうですが、今や、特措法という法律をつくっちゃって、「おまえらは、従わないとダメなんだ」と、今までにない段階に入ってくるんですよ。そうなると、だんだん少数民族問題になってくるんです。だって、ババはすべて沖縄に押しつけているわけだからね。そうなると、今までの親と子のような関係ーー本土復帰だって〃母なる祖国に帰ろう〃という非常に心情的な、祖国復帰運動なんですからーーがどんどん希薄になっていって、距離が開いてくる。まぁ、沖縄の人たちは非常におとなしい人たちだから、北アイルランド問題のようにはなってないんだけどね。だって、酒を飲んでるとみんな、「沖縄は独立しろ」なんてバカな話ばっかりするんだもん(笑)〉。
岡留ーそうですね。独立願望はあるんだろうけど、じゃあ現実的にどうかと言えば具体的な戦略があるわけじゃないし、独立派を集めようといっても、沖縄では1000人も集まらない。よく言われるけど、あくまでも酒場の独立論にすぎない(苦笑)。〉(引用は『噂の真相闘論外伝』インフォバーン23~24ページより)

 この十年余で筑紫氏の考えが変わったのか、呆けて昔の発言を忘れたのか。いや、もともと九五年の読谷村での発言自体が、県民大会の熱気に当てられたか、聴衆へのリップサービスでしかなかったのだろう。
 酒を飲みながら「沖縄は独立しろ」と言っている沖縄人を、その場ではおそらく筑紫氏はにこにこしながら眺めていただろうし、理解のある素振りを見せてもいたのではないだろうか。しかし、腹の中では「バカな話ばっかりする」と笑っていたというわけだ。まったく、大した「沖縄理解者」「沖縄応援団」だ。
 二人の対話はさらに以下のように続いている。

〈岡留ーでも、僕は沖縄に住んでるし、沖縄シンパの筑紫さんだからあえて言いますけど、沖縄の人たちはかつては悲惨な戦争を強いられたんでしょうけど、今はむしろ本土と一体化して、経済振興策もあって豊かになっている部分があるでしょう。まぁ、もともと人がいいというのもあるんでしょうけれど、辺野古基地建設の問題で頭にきて酒を飲んでも、三線を引いてカチャーシーを踊ったりして、「まぁ、いいか」というテーゲー主義で終わってしまう(苦笑)。
筑紫ーそうなの。それもまた、苦難を強いられた島に生きてきた人の知恵なんだよね。
岡留ー沖縄にいる若い人たちはずっとそれを見て育ってきているわけだから、苛立ちや無力感に苛まれて成人式で暴れるのも無理はないという気がする。昔の過激派の暴力学生としては(笑)。
筑紫ーあぁ、そうでしょうね。だから、沖縄は、なんくるないさー(なんとかなるさ)的な一方で、自殺率も高いんですよね。〉(24ページ)

 つくづく反吐をもよおす会話だ。日本を代表するニュースキャスターと長年呼ばれたり、反権力雑誌で儲けた金で那覇市の新都心にマンション住まいをしていると、沖縄人を高みから見下ろして、かくも傲慢な物言いをするようになるものらしい。安直かつ画一的な沖縄人イメージを持ちだし、さも沖縄に対する知識や理解があるかのような顔をしてデタラメなことを吐き散らしている、こういう「沖縄シンパ」を気取っている連中ほどタチの悪いものはない。てめーらはヤマトゥで大した運動も作り出せないでいて、よくも偉そうに辺野古の基地建設に反対している沖縄人を嘲笑できるものだ。バカの一つ覚えのようにナイチャーは「テーゲー主義」だの「なんくるないさー」という言葉を使うのだが、それで沖縄を語ったつもりか。

 〈本書には「内と外」との眼を併せ持つ者のみが描きうる「真実」が溢れている。〉という筑紫氏が書いた一文が、『癒しの島、沖縄の真実』の帯には寄せられている。沖縄で生まれ育ったウチナンチューには「内」の眼しかないので、沖縄の半面しか見えない。沖縄にいるヤマトゥンチューは「内と外」の両面が見えるので、より沖縄の「真実」が分かる。最近、そういうことを口にするヤマトゥンチューが増えた。
 よそからきたヤマトゥンチューだから沖縄のことが分かる、というのは、ウチナンチューにしか沖縄のことは分からない、という言葉の裏返しでしかないのだが、どれだけ「沖縄理解者」「沖縄シンパ」を気取ろうとも、腹の底では沖縄を高みから見下ろしている連中に、沖縄や沖縄人をどれだけ理解できるだろうか。ウチナンチューの多くは、そういうヤマトゥンチューをよそ者として歓迎はしても、簡単に本音を見せはしないのだ。

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2 コメント

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Unknown (ys)
2008-07-23 16:36:46
岡留氏のブログとこのブログを交互に読んでいて、岡留氏も沖縄についていろいろ書いているのですが、小生、どうにもそれに違和感を感じていました。それが氷解した気がします。なるほどけっきょく沖縄に根を置く者の覚悟の有無というものが、おそらく先生と岡留氏の言葉に重みの差を与えいるんだと思うのです。
 やはり彼らにとっては沖縄とは、それにまつわる発言によって理想の自己を表現するための政治的小道具でしかないのでしょうか。まだ決めつけるわけではありませんが、そのように思えてなりません。
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Unknown (なーふぁんちゅ)
2008-07-24 20:19:41
今回の書き込みを読んで、大城立裕さんがみた復帰運動中の光景を思い出しました。
復帰運動の応援にヤマトから来た組合員(?)が、復帰デモの際、沖縄人の警官に向かって「この権力の犬が」とののしったのを、大城さんは「彼ら警察官が一番日本復帰を望んでいるのに」と冷ややかな目で書き留めています。この大城さんの文を読んだ時、胸にぐっとくるものがありました。
それはそうと、
昨今の道州制論議はどう思われるのですか?那覇中央集権政府が作られそうで怖いです。みんな、沖縄内は一枚板であることを暗黙の前提に話をしていますが、私の今まで生きてきた印象ではそうではないだろうという認識がありますので。
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