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海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

9.29県民大会から一年

2008-09-29 16:26:07 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 教科書検定で「集団自決」の軍強制記述が削除されたことに抗議して、昨年の9月29日に宜野湾市の海浜公園で開かれた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」から一年が経った。当日、私は会場の一角にもうけられた琉球朝日放送の仮設スタジオから集会の様子を見ていた。現場から実況中継されている番組に出ていたのだが、当初は集会の合間に少しコメントをするだけかと思ったら、最初から最後まで座っていて発言することになった。
 実はその番組には藤岡信勝氏も出演することになっていた。ところが土壇場になって藤岡氏は出演をキャンセルし、番組の中で議論する機会はなかった。いま思えば何とも残念なことだが、県民大会後の藤岡氏の行動を見て、キャンセルの理由が分かった。藤岡氏が番組に出演していて、実際に県民大会の現場を目にしていたなら、その後に「参加者は二万人」というデマキャンペーンを展開することはできなかっただろう。おそらくは県内の状況を情報収集し、かなりの人数が集まりそうだということを知ってドタキャンしたのであろう。仮に藤岡氏が参加していたなら、県民大会のあの場で何を言っていたか、ぜひとも聞いてみたかったものだ。本音を言ったらその場で吊し上げられる、とびびって逃げ出してしまったのかもしれないが。 
 一年経ってあらためて県民大会の式次第を見てみると、まさに全県民的な取り組みとして行われたことが発言者の顔ぶれからも分かる。参考のために以下に列挙してみる。

司会:比嘉正詔(沖縄県平和祈念堂管理事務所長)
1.県民へのアピール(開会の挨拶) 諸見里宏美(沖縄PTA連合会会長)
2.「平和の火」リレーの入場・点火
3.大会実行委員長挨拶        仲里利信(沖縄県議会議長)
4.沖縄県知事挨拶           仲井真弘多
5.沖縄県教育委員会委員長挨拶   中山勲
6.各団体代表挨拶と発言       
 (1)地方四団体            翁長雄志(沖縄県市長会会長・那覇市長)
 (2)高校生               津嘉山拡大(読谷高校3年生)
                       照屋奈津美(読谷高校3年生)
 (3)戦争体験者            吉川嘉勝(渡嘉敷村教育委員会委員長)
 (4)戦争体験者            宮平春子(座間味村字阿佐)
                       代読~宮里芳和
 (5)女性代表             小渡ハル子(沖縄県婦人連合会会長)
 (6)子ども会代表           玉寄哲永(沖縄県子ども会育成連絡協議会会長)
 (7)青年代表              照屋仁士(沖縄県青年団協議会会長)
7.大会決議採択            西銘生弘(沖縄県高等学校PTA連合会会長)
8.ガンバロー三唱(閉会の挨拶)   仲村信正(連合沖縄会長) 

 ヤマトゥの右派グループは、この県民大会を「サヨクの同調圧力」によるものとキャンペーンしているが、それがまったくのデタラメでお笑いぐさでしかないのは、発言者を見れば明らかだろう。実行委員長の仲里県議会議長や仲井真県知事、翁長那覇市長などは保守系の政治家であり、その他の発言者も幅広い団体、年代から参加している。いったい県知事や県議会議長をはじめとしたこれらの人々が、「サヨクの同調圧力」に屈したとでも言うのだろうか。ヤマトゥの右派グループは、この県民大会が「超党派」で全県民的な取り組みとして行われたことを、意地でも認めたくないのだろう。 
 ここで大切なのは「超党派」という形で実行委員会を作りながら「検定意見の撤回」を前面に掲げて大会が開かれたことだ。幅広い枠組みで実行委員会が作られると、ともすれば団体間の思惑や駆け引きで妥協的かつ曖昧なスローガンや要求になりがちである。しかし、この県民大会では「検定意見の撤回」が大会名となり、決議文ではそれに加えて「集団自決」の「強制」記述の復活も明確に要求された。保守系の県知事や県議会議長、県教育委員会委員長などが「検定意見の撤回」を求めて政府・文部科学省と対峙するというのは、ヤマトゥでは考えられないのではなかろうか。沖縄だって基地問題や経済問題をはじめ、普段は与野党間の激しい対立がある。しかし、この県民大会に関しては別だったのだ。
 沖縄県民の大半が沖縄戦で家族や親戚を喪っている。沖縄戦の犠牲者を持つということに与党も野党も保守も革新もない。沖縄戦の史実を歪曲しようとする者に対しては、政治的・社会的立場を超えてともに抗議の意思を表明する。沖縄でもそう簡単には実現できない全県民的な取り組みとして9.29県民大会が開かれたのは、沖縄戦の体験が県民全体に共有されていることの証でもあっただろう。
 そして、共有された沖縄戦体験を核として、県民の怒りの声は地の底から湧き上がるように広がっていった。県内全市町村と県議会で「検定意見撤回」を求める決議が上がったが、議員たちを突き動かしたのは自らや家族、そして地域のお年寄りたちの戦争体験であり、それが歪められたことに怒る地域の人たちの声であった。
 その声の集約の場となった会場には、戦争を体験したお年寄りから若者、小・中・高校生、両親や祖父母に手を引かれた子どもたちまで、世代を超えた県民が集まった。みな発言者の言葉に聞き入っていたので、静かな集会と言われたのだが、それは参加した一人ひとりが声を持っていないということではなかった。自分の言いたいことを壇上の人たちが確かに語っている、そういう実感があったからこそ静かに聞き入っていたのではなかろうか。それは普通の政治集会ではあり得ないことだったろう。
 そうやって参加した県民に対し、沖縄県内のマスコミの「扇動」によって集まったかのようにヤマトゥの右派グループはデマ宣伝を行っている。しかし、それは彼らが沖縄県民の心情を理解できていないことを浮き彫りにするだけだ。マスコミによる情報操作で大衆など動かせる、という安直な考えで昨年の県民大会の実相がつかめるはずがない。県民が具体的に動き出したのは、3月末に教科書検定の結果が明らかになってからだが、それから半年ほどの間に運動は急速に盛り上がった。その盛り上がりの根底にあったのは、戦後60年余にわたって沖縄県民が積み上げてきた沖縄戦の証言記録や研究であり、体験者の語りなのだ。
 沖縄県内でこれまで発行されてきた沖縄戦の証言集は膨大な量になる。そして、記録されることはなくても、家族や親族、地域の中で体験者が語ってきた言葉の量は、それをはるかに上回るだろう。沖縄戦の体験を語り、それを聞き、記録していく。あるいは、語れないその沈黙の意味を考え、表情や身振りに表れる体験の過酷さを想像していく。そのような積み重ねのうえに沖縄戦の体験は共有され、それを基底に置いて一年前の県民大会は成り立っていたのだ。あれだけの運動と人の集まりが、一朝一夕にできるはずはない。
 県民大会の中でも、参加者が一番集中して聞き入っていたのは、渡嘉敷島と座間味島の「集団自決」生存者の証言であっただろう。沖縄戦体験者は日々亡くなっている。肉声でその体験を聴ける時間はそう残されていない。沖縄戦の史実が歪曲されることに、体験者が自ら重い体験を語りはじめている姿を見て、その声に真摯に耳を傾けようという思いを持った人たちが、あの場に集まったのだ。沖縄戦の体験を聞こう、聞きたい、記憶を受け継ぎたい、そういう思いを持っている人が、若い世代を含めて沖縄には大勢いる。大会に集まった人の姿を見ながら、私が一番嬉しく、励まされたのはそのことだった。
 一年経ったいま、問題となった教科書は教育現場で使われている。訂正申請がある程度通ったとはいえ、記述は不十分であり、「検定意見撤回」と「強制記述の復活」を求めた大会決議は実現されないままだ。9.29県民大会実行委員会の委員長は不在であり、政党間の思惑の違いが露呈して、運動の停滞も指摘されている。これから克服すべき問題は多いが、だからといって一年前の思いや大会の意義を見失い、忘れてはならない。
 何よりも大切なことは、あの場で一人ひとりが、沖縄戦について学び、体験者の話に耳を傾け、記憶を共有し、受け継いでいこうという思いを深めたことであり、これからそれを生活の場で実行していくことだろう。そして、教科書検定問題に粘り強く声をあげ続けることだ。
 大江・岩波沖縄戦裁判や教科書検定問題、そして9.29県民大会という一連の動きが起こって、私自身あらためて沖縄戦や「集団自決」、十五年戦争について学びなおしているのだが、これまでいかに不勉強であり、無知であったかに打ちのめされている。これから力を入れて学び、調べ、体験者の話に耳を傾けねば、と思っている。

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2 コメント

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行かなくっちゃ (黒蝶真珠)
2008-10-07 15:33:16
集会の呼び掛けを新聞で見た時、湧いた気持ちは”行かなくっちゃ”だった。政治集会にはむしろほとんど参加したことはなく、5年前に失業して以来、介護の日々を送っているので、腰が上がったのは寧ろ不思議だった。TVの中継番組の架設舞台の前に座った私たちの場所からは檀上の人々の姿は見えなかったが、語られるメッセージは映像のように心に届いた。会場には年輩者や子供連れの母親の姿が目立っていた。一点を見つめる表情には、語り継ぐという確かな意志が見えた。どんな困難な状況でも、いや、だからこそ、まやかしでない真実が人々を動かすのだと、凪いだ海の底の人々の力強い意思の力に、癒され蘇る何かがあった。
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沖縄県民の意識 (とよチャンネル)
2008-10-18 14:52:02
9.29県民大会から一年が経ったのですが、沖縄戦の「歴史認識」についてはまだまだ渦中の栗のように沖縄県民の意識の根幹にあると思います。
私ごとなのですが、下記の写真撮影依頼の際に沖縄戦の強制集団死について考えさせられた。

http://toyoanneru123.ti-da.net/e2033355.html

どのようにそれらの問題を記録し継承するかがあやふやになってはいけないし、沖縄の基地返還の民衆運動への県民意識を停滞させないよう考えていかないといけないだろう。
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