「風流無談」第15回 2008年9月6日付琉球新報朝刊掲載
雑誌『WiLL』緊急増刊〈沖縄戦「集団自決」〉特集号に、ジャーナリストの鴨野守氏が取材・構成した梅澤裕元座間味島戦隊長のインタビューが載っている。その中で梅澤氏は、沖縄戦当時、座間味村の助役・兵事主任・防衛隊長だった宮里盛秀氏について以下のように語っている。
〈彼は、鹿児島で除隊した退役軍人です。非常に優秀な兵隊だったと思う。私はその男が非常に好きだった。私が村の人達と大事なことを話す時、いつも彼が窓口でした〉
〈那覇の近くに漁師の村があり、そこから一番優秀な男たちを選んで、王様が慶良間諸島に住まわせたらしい。魚を取りながら、同時に中国との接触、連絡係になってくれということで。
だから選ばれた人たちなんです。その慶良間のリーダーをしていたのが座間味のリーダーです。その流れが宮里盛秀助役の家系です。あれは立派で軍人の塊みたいな男でした〉
宮里盛秀氏について梅澤氏がここまで語ったのは珍しいが、それにはわけがある。前回の本欄でも触れたが、一九四五年三月二五日の夜に、玉砕するので弾薬をください、と訪ねてきた盛秀氏ら村の幹部に対し梅澤氏は、死ぬでない、山中の壕で生き延びよ、弾薬はやれない、と追い返したと証言している。
これについては、「今晩は一応お帰りください」と梅澤氏は言った、という宮城初枝氏の証言との食い違いがこれまで問題になってきた。実際に梅澤氏が、死ぬでない、生き延びよ、と言ったのなら、どうして盛秀氏は家族や村民を巻き添えにして「玉砕」=全滅を行ったのか。その疑問を解消するために梅澤氏は、盛秀氏が〈非常に優秀な兵隊だった〉〈立派で軍人の塊みたいな男でした〉と賛辞を送っているのである。
つまり、梅澤氏が止めたにもかかわらず、あえて「玉砕」を行うほど盛秀氏は軍人精神に満ちあふれる人物であった、と描き出そうとしているのである。そのために梅澤氏は次のようにまで言う。
〈村の人たちは、私の説得も聞かずに自決していったけれど、それは当時の価値観からしても、立派な決断だったと思います〉。
だが、このような梅澤氏の主張は、大きな矛盾をはらんでいる。盛秀氏が〈退役軍人〉であり、〈非常に優秀な兵隊〉〈軍人の塊みたいな男〉であったなら、島の最高指揮官である梅澤隊長の命令に反する行動をとることは、逆に考えられないのだ。
かつて帝国陸・海軍に入隊した男子は、以下のことを初年兵教育でたたき込まれた。
軍人勅諭〈一、軍人は礼儀を正しくすへし
…下級のものは上官の命を承ること実は直に朕が命を承る義なりと心得よ〉
陸軍刑法「第四章 抗命ノ罪」
〈第五十七条 上官ノ命令ニ反抗シ又ハ之ニ服従セサル者ハ左ノ区別ニ従テ処断ス
一 敵前ナルトキハ死刑又ハ無期若ハ十年以上ノ禁錮ニ処ス
二 軍中又ハ戒厳地境ナルトキハ一年以上七年以下ノ禁錮ニ処ス
三 其ノ他ノ場合ナルトキハ二年以下ノ禁錮ニ処ス〉
上官の命令は朕=天皇の命令であり絶対服従である。敵前において上官の命令に背くも
のは死刑に処す。これは戦争当時、兵役経験者は言うまでもなく、住民、学生でも多くが知っていたことだ。
盛秀氏は防衛隊長でもあり、梅澤隊長の指揮下で行動していた。梅澤氏の発言は単なる説得ではなく、盛秀氏にとっては命令の意味を持つ。軍隊経験があり、梅澤氏からその能力を認められていた盛秀氏が、どうして「抗命の罪」を犯してまで、家族と村民を巻き添えにし「玉砕」=全滅の選択をしなければならないのか。梅澤氏のインタビュー発言は、そのような疑問を抱かせずにおかない。
むしろ盛秀氏の行動から明らかになるのは、米軍上陸の際には軍とともに住民も「玉砕」するよう事前に命じられていて、それを忠実に実行したということではないのか。沖縄島との交通や通信はとっくに軍の管理下におかれ、三月二十三日以降、座間味島は米軍の空襲や艦砲射撃が始まり戦闘状態に入る。そういう状況下で盛秀氏に命令を下せるのは、梅澤隊長以外にいたのだろうか。
「玉砕」とは本来、軍人・軍属の全滅を指す言葉である。宮里盛秀氏をはじめ命を絶った座間味村の幹部たちは、島の日本軍も米軍に切り込み攻撃を敢行し、「玉砕」すると信じて疑わなかったはずだ。まさか梅澤隊長が生き残るとは、夢にも思わなかったであろう。
その梅澤隊長が六十年以上も経ってから裁判を起こし、住民の「集団自決」に自分は関係ない、責任はないと主張している。その一方で、〈当時の価値観からしても、立派な決断だったと思います〉と言う。それでは梅澤氏は、米軍の捕虜となり生き延びた自らをどう評価するのだろうか。
雑誌『WiLL』緊急増刊〈沖縄戦「集団自決」〉特集号に、ジャーナリストの鴨野守氏が取材・構成した梅澤裕元座間味島戦隊長のインタビューが載っている。その中で梅澤氏は、沖縄戦当時、座間味村の助役・兵事主任・防衛隊長だった宮里盛秀氏について以下のように語っている。
〈彼は、鹿児島で除隊した退役軍人です。非常に優秀な兵隊だったと思う。私はその男が非常に好きだった。私が村の人達と大事なことを話す時、いつも彼が窓口でした〉
〈那覇の近くに漁師の村があり、そこから一番優秀な男たちを選んで、王様が慶良間諸島に住まわせたらしい。魚を取りながら、同時に中国との接触、連絡係になってくれということで。
だから選ばれた人たちなんです。その慶良間のリーダーをしていたのが座間味のリーダーです。その流れが宮里盛秀助役の家系です。あれは立派で軍人の塊みたいな男でした〉
宮里盛秀氏について梅澤氏がここまで語ったのは珍しいが、それにはわけがある。前回の本欄でも触れたが、一九四五年三月二五日の夜に、玉砕するので弾薬をください、と訪ねてきた盛秀氏ら村の幹部に対し梅澤氏は、死ぬでない、山中の壕で生き延びよ、弾薬はやれない、と追い返したと証言している。
これについては、「今晩は一応お帰りください」と梅澤氏は言った、という宮城初枝氏の証言との食い違いがこれまで問題になってきた。実際に梅澤氏が、死ぬでない、生き延びよ、と言ったのなら、どうして盛秀氏は家族や村民を巻き添えにして「玉砕」=全滅を行ったのか。その疑問を解消するために梅澤氏は、盛秀氏が〈非常に優秀な兵隊だった〉〈立派で軍人の塊みたいな男でした〉と賛辞を送っているのである。
つまり、梅澤氏が止めたにもかかわらず、あえて「玉砕」を行うほど盛秀氏は軍人精神に満ちあふれる人物であった、と描き出そうとしているのである。そのために梅澤氏は次のようにまで言う。
〈村の人たちは、私の説得も聞かずに自決していったけれど、それは当時の価値観からしても、立派な決断だったと思います〉。
だが、このような梅澤氏の主張は、大きな矛盾をはらんでいる。盛秀氏が〈退役軍人〉であり、〈非常に優秀な兵隊〉〈軍人の塊みたいな男〉であったなら、島の最高指揮官である梅澤隊長の命令に反する行動をとることは、逆に考えられないのだ。
かつて帝国陸・海軍に入隊した男子は、以下のことを初年兵教育でたたき込まれた。
軍人勅諭〈一、軍人は礼儀を正しくすへし
…下級のものは上官の命を承ること実は直に朕が命を承る義なりと心得よ〉
陸軍刑法「第四章 抗命ノ罪」
〈第五十七条 上官ノ命令ニ反抗シ又ハ之ニ服従セサル者ハ左ノ区別ニ従テ処断ス
一 敵前ナルトキハ死刑又ハ無期若ハ十年以上ノ禁錮ニ処ス
二 軍中又ハ戒厳地境ナルトキハ一年以上七年以下ノ禁錮ニ処ス
三 其ノ他ノ場合ナルトキハ二年以下ノ禁錮ニ処ス〉
上官の命令は朕=天皇の命令であり絶対服従である。敵前において上官の命令に背くも
のは死刑に処す。これは戦争当時、兵役経験者は言うまでもなく、住民、学生でも多くが知っていたことだ。
盛秀氏は防衛隊長でもあり、梅澤隊長の指揮下で行動していた。梅澤氏の発言は単なる説得ではなく、盛秀氏にとっては命令の意味を持つ。軍隊経験があり、梅澤氏からその能力を認められていた盛秀氏が、どうして「抗命の罪」を犯してまで、家族と村民を巻き添えにし「玉砕」=全滅の選択をしなければならないのか。梅澤氏のインタビュー発言は、そのような疑問を抱かせずにおかない。
むしろ盛秀氏の行動から明らかになるのは、米軍上陸の際には軍とともに住民も「玉砕」するよう事前に命じられていて、それを忠実に実行したということではないのか。沖縄島との交通や通信はとっくに軍の管理下におかれ、三月二十三日以降、座間味島は米軍の空襲や艦砲射撃が始まり戦闘状態に入る。そういう状況下で盛秀氏に命令を下せるのは、梅澤隊長以外にいたのだろうか。
「玉砕」とは本来、軍人・軍属の全滅を指す言葉である。宮里盛秀氏をはじめ命を絶った座間味村の幹部たちは、島の日本軍も米軍に切り込み攻撃を敢行し、「玉砕」すると信じて疑わなかったはずだ。まさか梅澤隊長が生き残るとは、夢にも思わなかったであろう。
その梅澤隊長が六十年以上も経ってから裁判を起こし、住民の「集団自決」に自分は関係ない、責任はないと主張している。その一方で、〈当時の価値観からしても、立派な決断だったと思います〉と言う。それでは梅澤氏は、米軍の捕虜となり生き延びた自らをどう評価するのだろうか。
日本旧軍の名誉を回復せよ!
梅澤氏は、こんな言葉で名誉欲に浸っています。
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/?cmd=upload&act=open&page=%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%94%AF%E3%81%88&file=%E6%A2%85%E6%BE%A4%E3%83%BB%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%A6%E5%B8%B0%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%90%86%E7%94%B1.jpg
(「国の支え」平成19年10月1日 http://mid.parfe.jp/siryou/H19-10-15-umezawasyougenn/top.htm より)
「公」たる日本旧軍の、自己保身体質が見事に凝縮されています。