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海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

大江・岩波沖縄戦裁判控訴審3

2008-06-27 17:01:08 | しまくとぅば
M:梅雨が終わーたがやーり思たとぅ雨ぬうぽーくなてぃや。
S:あんすとぅよ。夜ぬうちに降いしや、しださぬ上等やえっしがよー。
M:ぃやーが部屋や暑さぎさーえっとぅや。
S:クーラーんねんとぅ昼間や死にがたーなんどーやー。
M:大学ぬばーに国文科ぬある教授が、ウチナーやどぅく暑せーとぅ哲学とぅか文学すーぬ場所やあらん、でぃ言ちゃっくたんよーやー。
S:確かにどぅく暑せーねーから、ぬるんとぅるんしち物考えーやならんさ。
M:あんちや言ちん、仕事さんねー物かまらんくしぇーらさー。生活や大丈夫やえーみな?
S:我んなー?
M:ぃやーれーるさー。
S:もちろん、ウチナーじ物書ちゃーしち暮らすんでぃいうしや、簡単なくとぅやあらんささー。えっしが、我んやどぅーちゅいむんるえっとぅ、あんすかしわーやねんしがてー。若せぬばーからなままでぃ、いるいる経験ぬんしちちぇーとぅよー。生存能力やちゅーよか有んばーらんがやーりち思とぅしがてー。
M:あんえーねーしむしが。
S:話や変わいしが、大江・岩波沖縄戦裁判ぬん控訴審ぬ始またーさやー。
M:次にや結審ないがすら分からんでぃいうとぅ、てーげー進行やぺーさぎさーえっさーや。
S:原告側ぬちゃんねーぬ新証拠出じゃち、証人ぬん誰る出じゃすがやーりち注目しちゅたしが、拍子抜けしちゃーさー。争点ぬんうっぴんちゃーしか出じゃしゆさんたんばーれーがやー。座間味島ぬ宮平秀幸りいうぬちゅーん、けっきょくや証人ならんてーさや。
M:歳ゆい出じゃち恥かかしねーちむぐるさぬ。出じらんぐとぅ正解えってんばーらんな。
S:新証言りち文書や出じゃちぇーぎせーしが、うぬブログじん批判しちちゃーしがてー、原告側や自爆すんばーあらんな。藤岡信勝があまくまじ書ちゃい、あびたいしちゃっくしが、我から見ーねー、うぬちゅーてーげーどーばいえっさーりる思まりんばーよ。書ちぇーぬ評論読みば、けーてぃ梅澤かい不利ないぬくとぅ書ちゃっくんばーえっとぅ、てーげー珍らーせぬちゅーどーや。
M:どぅなーじ分からばーげーらや。ちらー見っちん、そーじんぶんあいぎさーやあらんしが。
S:原告側や代理人ぬん34人から6人にぴなとぅんでいうとぅ、しんくぬ船からうぇんちゅぬぴんぎしとぅゆぬむんえっさーや。
M:あいやいちん、司法りいうしや上かいいちしんでー反動的ないとぅや。油断さんぐとぅなままでぃよかー応援しちかんねーならんしが。
S:あんすとぅや。

コメント (13)    この記事についてブログを書く
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13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (かむじゃたん)
2008-06-27 18:24:53
国文の教授は亡きO教授か。
なるほど、暑いから哲学、文学は流行らん、
とは言い得て妙。

またぞろ、小林あたりが蠢き、沖縄の「教授」が
使われる。

大江・岩波裁判は、彼らにとって、十分、目的を
果したということだろうか。それでも、裁判官も
バカが多いから「トンデモ判決」が出ないとも
限らない。沖縄の世論はどうだろう。

と思いつつ、暑くて頭が回らない。
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うちなーぐち変換 (ni0615)
2008-06-27 20:17:36
「標準語→うちなーぐち変換」サイトはみつかりましたが逆がめっかりません。せめて、ここんとこだけでも理解したかったのですが。
============
S:・・・藤岡信勝があまくまじ書ちゃい、あびたいしちゃっくしが、我から見ーねー、うぬちゅーてーげーどーばいえっさーりる思まりんばーよ。書ちぇーぬ評論読みば、けーてぃ梅澤かい不利ないぬくとぅ書ちゃっくんばーえっとぅ、てーげー珍らーせぬちゅーどーや。
M:どぅなーじ分からばーげーらや。ちらー見っちん、そーじんぶんあいぎさーやあらんしが。
============
藤岡さんが書けば書くほど梅澤さんが不利になる、かな?肝腎のニューアンスがぜんぜんわかりません。標準語に安住してる罰ですね、ザンネン(涙)!

例の桜ビデオで、宮平さんが『藤岡さんって方いますか?』って標準語で突然いいだし『ハイ、私です』と答えなさったので「英霊が引き合わせてくれた偶然」というキャッチが真っ赤な嘘だと私でも分かりましたけど。
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誤解しみそーらんきよー (目取真)
2008-06-28 03:17:11
国文科の教授は亡きO教授ではありませんので、誤解なきよう、うにげーさーびら。
「どーばい」という言葉は他の地域でも使うんでしょうか。今帰仁では馬鹿とか間抜けぐらいの意味です。「どー」というのは道理とか筋が通っているという意味でしょうか。道理の無い人、本来あるべき状態から外れている人を「どーねーぬー」とか「どーぱがー」とか言ったりもします。「どーの無い人」「どーの剥げてる人」という意味ですね。
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新証言は嘘 (阪神)
2008-06-29 17:10:23
やっぱり宮平氏は証言出来ませんでしたね。新証言は藤岡に強要されて創られた嘘話ですから。以前の宮平氏は違う証言してますからね。つくる会の会員は新証言にすがりついたのですが、今はどう考えているのでしょうかね。藤岡を突き上げないのですかね。思考停止した馬鹿集団だから、新証言の事はもう忘れてしまったのかもしれませんね。新証言の嘘をばらすのをもう少し遅らせておけばよかったと悔やんでます(笑)
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新証言について (目取真)
2008-07-01 12:12:45
コメント有り難うございます。
宮平秀幸氏自身が法廷に出て証言することはないようですが、「新証言」は原告側から出されるようです。
また、梅澤氏が座間味村の幹部の申し出を断った、という証言を宮平氏が最初に行ったのは、2001年6月28日付毎日新聞の記事のようですから、今回の裁判が始まってから言い出したわけではありません(それ以前に証言があればご教示下さい)。「藤岡に強要されて作られた逸話」とは断定できないのではないでしょうか。
なぜ宮平氏が2001年頃からそのような証言をするようになったのか。別の理由、背景を考える必要があると思います。
ただ、いずれにしろ「新証言」は多くの矛盾を持っていますから、それをどんどん突いて、逆に原告側を追いつめたいものです。
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「要旨」から消された「村長」の存在 (ni0615)
2008-07-02 07:18:28
阪神さん、目取真さん
おはようございます。

>宮平秀幸氏自身が法廷に出て証言することはないようですが、「新証言」は原告側から出されるようです。

6月30日になってようやく原告側サイトで控訴理由書の要旨が発表されました。宮平秀幸「新証言」にも触れています。しかし「村長の存在」はバッサリ切り落とされています。原告側弁護団も「村長の存在」は無視したいのでしょうか? 「控訴理由書」の「全文」ではどうなっているのでしょうか?

>また、梅澤氏が座間味村の幹部の申し出を断った、という証言を宮平氏が最初に行ったのは、2001年6月28日付毎日新聞の記事のようですから、今回の裁判が始まってから言い出したわけではありません

「村長がいた」「村長が忠魂碑で演説した」村長が全てを仕切っていたという点は今回初めてであり、藤岡信勝氏が褒め称えていたポイントではなかったでしょうか。

>阪神さん

ビデオ「戦争を教えてください」における宮平証言1992年 の書き起こし拝見しました。3月25日の晩は家族と行動をともにしていたんですね。ですから、戦隊長にも村長にも宮平秀幸さんは会っていない。

返信する
訂正 (ni0615)
2008-07-02 07:33:31
今確認しましたら、2001年の毎日新聞でも宮平氏は村長のことを語っています。謹んで訂正します。

ただ、忠魂碑での村長による「解散演説」はなく、集合時刻も解散理由も、「新証言」とは違っています。証言は直接話法ではなく記者の理解として記されています。
=======
毎日新聞 2001.6.28

 3月25日早朝から座間味島は戦争のもっとも苛烈なルツボに投げ込まれた。

 戦争という悲劇のクライマックスの幕が一挙に開いたのだ。夜9時頃、本部壕前で梅沢少佐と村長らの話を聞いた。村長らは『軍の足手まといや捕虜になるより住民一同自決したい。爆弾か手榴弾を』と要求したが、『弾丸一発でも敵を倒すためにある。住民に渡すことはできぬ』と梅沢少佐はきっぱり断った。 「僕は少佐らの近くに居た」と宮平さん。軍命令のよる住民集団惨死ではなかったとの証言である。

 夜中近く、「忠魂碑前の広場で自決するので集合」と役場から各避難壕に通報。だが集合は少なく、集まった人々も砲弾飛来で逃げ散ったという。死装束として晴れ着を着た住民たちもいたが、「殺される事」への本能的恐怖心が強かったのだろう。

 この通報は座間味集落のみで阿真、阿佐の集落へは届いていない。宮平さんが家族を連れて整備中隊壕へ向かったのは26日未明。自決の手助けを頼むためであった。
=======
http://www.bes.ne.jp/forum/bingoohrai/robouta/old/133/index.html
http://www.bes.ne.jp/forum/bingoohrai/robouta_bak/back02.html 
返信する
1991年時の宮平証言 (京の京太郎)
2008-07-02 13:44:51
日本テレビ制作ドキュメント「戦後なき死ー自決の島1991」でも宮平氏は25日夜の忠魂碑の前での村長の話の内容を証言されていますが、今回の原告側採取の証言内容とは違います。村長が「食料を軍に提供し、足手まといにならないように日本人らしく自決しよう。軍から爆薬を貰える約束ができているから到着をまつように」との話。しかし弾薬が到着しないまま、艦砲射撃があり、各自壕へ舞い戻った。・・・との証言をされています。「死んではいけないと命令されている。…」とは一言も有りません。なぜ新証言なるものが出てきたのか本当のことが知りたいものです。
返信する
本部壕前会見は? (ni0615)
2008-07-03 07:09:52
京の京太郎さん
> 日本テレビ制作ドキュメント「戦後なき死ー自決の島1991」でも宮平氏は25日夜の忠魂碑の前での村長の話の内容を証言されていますが

わあ、あっちこち出まくりだったんですね。映像や書きお越しの記録はおそらく大江・岩波弁護団に集約されるのだと思いますが1点だけ教えてください。

「戦後なき死ー自決の島1991」における戦隊長と村首脳との本部壕前会見はどうなんですか?
・宮平秀幸氏は聞いていたか
・そこに野村村長は居たか
返信する
1991の宮平氏証言内容 (京の京太郎)
2008-07-03 14:41:07
「戦後なき死ー自決の島・1991」の宮平証言シーンの内容                  *解説(ナレーション)上陸の前夜、住民達の避難壕に全員忠魂碑に集合せよとの伝令が走った。  *忠魂碑前の広場に立つ宮平氏の証言「えー。村長さんがそこの方へおみえになりまして、もういよいよ最後だから私たちのいま作って残した農作物、食料は軍の方へ提供して、そして日本軍が持久戦に持ち込めるように私たちは死して国に奉公するという気持ちで何も怖がらないで、本当に日本人らしく最後を遂げるから、今日この場所でみんなそろって自決致しますので、覚悟して下さい。という村長のお話があったんです。そして軍からの協力で爆薬が貰えるということになっていますので、その爆薬でここでみんな自決しますので腹を据えておって下さい。後は爆薬が到着するのを待つだけです。」  *解説(ナレーション)だが日本軍からの爆薬は届かなかった。夜の闇の中、艦砲射撃が激しくなり、人々は大混乱に陥いり、忠魂碑前での自決は中止となり、家族単位でそれぞれの壕に逃げ帰った。(映像)忠魂碑に残る艦砲射撃の跡を指し示す宮平氏。・・・本部壕での会談参加の証言は一切有りません。村長は爆薬の到着を忠魂碑前で待っていた。という証言ですから「新証言」につながるような内容のものも一切有りません。以上です。 
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