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海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

ダーウィン展

2008-06-17 05:22:44 | 生活・文化
 ヤンバルはイジュの木の白い花もあらかた散って、今はミープッカギーの白い花が咲いている。和名では何というのか知らないが、木の汁が目に入ると腫れるということで、子どもの頃からミープッカギーと呼んできた。直訳すると目が腫れる木という意味だ。川沿いによく生える木で水を好むのだろう。今帰仁の実家のそばを昔は小川が流れていて、川岸にこのミープッカギーが生えていた。名護にもこの木は多く、東江にはけっこう大きな木がある。艶やかな葉に白い花が映えて清楚で美しい。レモン形の実は熟むと紫色になって、子どもの頃はとても美味しそうに見えた。しかし、薄皮の下は固い繊維質で鳥も見向きもしない。
 アパートの一室でパソコンに向かっていると、昼は窓の外からソーミナー(メジロ)の囀りやチンチャイ(和名は知らない)、ピユーシ(ヒヨドリ)、シロガシラの鳴き声が絶えず聞こえてくる。近くの森に行くとホーピル(アカショウビン)の声も聞こえるし、夜になるとシロバラクイナの鳴き声も聞こえてくる。
 東京にいた数日間で耳にした鳥の鳴き声は、カラスとハトくらいだ。息苦しいくらいの人の数にうんざりして、道を歩くのも苦痛に感じた。数日間東京にいて一度も映画館に行かなかったのは、この二十年くらいで初めてかもしれない。二日間神保町の古本屋街を歩いて、最後の日に空港に向かう途中で、上野公園の国立博物館でダーウィン展を見てきた。二時間ぐらいしか時間が取れず、じっくり見たかったのに後半は急がねばならなくて残念だった。
 幼稚園生の頃、家の近くの小川で捕ってきたイトトンボのヤゴをヨーグルト瓶に入れて飼っていた。ある日、瓶の縁に半透明のヤゴの抜け殻があった。ヤゴが脱皮してトンボになるという知識がなかったので、不思議な思いで黄色みがかった半透明の抜け殻を見つめていた。ヤゴと一緒に川から取ってきた藻草が入れてあるヨーグルト瓶は、父がサボテンを並べた白いペンキ塗りの棚の端っこに置いてあった。鉄腕アトムに似た少年が走っている姿が青い塗料で印刷されたゲンキヨーグルトの瓶だ。これは何だろう、と不思議に思ったことと、風に揺れる抜け殻の様子が今でもはっきりと記憶に残っている。
 幼稚園から小学校にかけて、川や田んぼでターィユー(鮒)、トーィユー(闘魚)、タゴ(テラピア)、タナガー(手長エビ)などを捕ったり、今帰仁を流れるゥプンジャーガーラ(大井川)で釣りをして過ごした。最初はヨーグルト瓶でヤゴを飼い、そのつぎはエゴーのマヨネーズ瓶でトーィユーを飼い、そのあと水槽を買ってもらってターィユーやタゴを飼いと、魚を飼うのが好きだった。小学校四年生の時に親が家を新築し、その時に庭に池を作ったので、鯉と一緒にチクラ(ボラの稚魚)やテラピアを池に放って飼っていた。隣のおじさんが中国原産の草魚を分けてくれ、70~80センチくらいあったと思うが、池で悠々と泳いでいた。近くの原っぱから草を取ってきて与えると、手からじかに食べるくらいなれていた。残念ながら一年くらいで死んでしまったが、目が口よりも低い位置にあり、なかなか愛嬌のある顔をしていた。中国の大河では二メートル以上に成長するということだったが、日本では利根川に放流されて生息していると図鑑で読んだ記憶がある。今も利根川にいるかどうかは知らない。
 まーそんなこんなで魚類が好きだったので、高校2年生くらいまでは大学は生物学科に行こうかと思っていた。途中で将来は詩か小説を書いて生きようと思い、そのためにはきちんと日本語を学ばなければ、と思って国文科に行くことにしたのだが、そうでなければ生物の教師になっていただろう。もっとも、煩悩具足の自分のことだから、生物学科に進んでいてもヤンバルの自然が破壊されていくことに腹を立てる日々を送っていただろうが。
 夜明けとともに多くの鳥の鳴き声が聞こえてきた。幾十もの鳴き声の重なりとその変化は万華鏡のようだ。


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1 コメント

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Unknown (Stray-Cat)
2008-06-18 22:21:29
生物学者じゃなく作家目取真俊がいてくれて、一読者としては幸運に思う。辺野古の浜の海がめの目に映ったものだとかは、読みたくてもほかでは読めない。しかし読むたびに、ノスタルジーに浸るどころか自分ののどをかきむしりたくなる。生き物たちを迫害する凶暴で傲慢な存在である自分に愕然とする。嫌気がさす。

『 動物を殺すということが、人を殺すことに対して見るのと同じ目で見られる様になる日がいつか来るであろう 』 ―レオナルド・ダ・ビンチ

私ら文明人が野山と海を本来の持ち主に返すほど謙虚になれる日は、どうしたら来るのでしょう、ダ・ビンチ先生。

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