今でも思い出す。七月一日のことだった。
その日は日曜日、一人で湯ノ台口滝の小屋から山頂を目指した。
滝の小屋にも河原宿小屋にも人影はなく、休日というのに誰とも遇う事がなかった。
大雪路、小雪路はまだ大きくつながっていたがそこを通り過ぎ、薊坂を息を切らしながら登る。夏の快晴の日射しの下、額から次々と落ちる汗は目に沁みこみ、それでも溢れ出るような額からの汗は歩く毎にポタポタッと岩に落ち黒い大きな染みをつくる。
伏拝岳に取りつき山頂方面、御浜方面を見渡すが登山者は誰も見当たらない。
山開き当日で賑わっていると思っていたのだが、あとから聞いたらこちらの思い違いで山開きは翌2日だったのだ。
社務所前で一風した後山頂に辿り着き新山まで登る。
そこから社務所方向には戻らず七高山に向かうべく大きく残る雪渓をトラバースする。前に歩いた人の踏み跡が七高山の取り付きまで続いている。
(当日の写真ではありません。)
丁度真ん中辺りまで来た時だ、足を踏み出した途端、雪渓が大きく崩れバランスを失った。
仰向けの状態で滑落だ。背中のリュックが橇となってどんどん滑り落ちて行く。手を左右に拡げ脚も左右に大きく拡げ文字通り大の字になって踏ん張るが加速は止まらない。落ちていく方には雪渓から飛び出た黒く大きい岩が待っている。
もうダメだと観念したその瞬間、まさに大きく開いた足が岩を跨ぐ格好ですんでのところで止まった。
首を上に向けて見ればここまで相当な距離滑り落ちてきた。ようやくのことで立ち上がれば膝がガクガク震える。立ち続けるのも容易ではない。左腕がいやに痛いと思って見ると、暑さで左の長袖を腕まくりしていたものだから大きく腕の皮が剥け全面汁が滲み出ている。この皮の剥けたのはその後しばらく治らなかった。
震える足を抑えながらなんとか七高山に登り、行者岳まで降り、そこから文殊岳の分岐まで戻る。
薊坂を下り大雪渓を降りて行くが気が動転していたものだからルートを見誤り雪渓が大きく崩れ落ちた崖のようになっている所へ出てしまった。見れば河原宿小屋はずっと右手に見える。気を取り直し右方向へ進みなんとかルートを確保することができ河原者小屋までたどり着いた。
(誰もいない河原宿、これも当日の写真ではありません。)
やはり誰もいない。静かな夏の夕暮れ、半ば放心状態でゆっくりと車道終点まで下った。
真夏の青い空、人っ子ひとりいない鳥海山、自分の足音以外聞こえない山の中、こんな経験は後にも先にもこの時だけだった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます