鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

橋本賢助 鳥海登山案内より【山上】

2021年06月05日 | 鳥海山

 橋本賢助 鳥海登山案内より【山上】の部分を紹介。

 【山 上] (さんじやう)翌朝になって目を覺しても、今が盛夏の候であるとは何うしても考へられない程寒い、顏を洗ひ口を漱いだら、早速新山頂上まで行って、大平洋から昇る朝日の影を拜むがよい。(普通は七高山に行くが著者は新山を勤めるのである)それこそ非常な壯觀で、とても昨日見た入日の比ではない、既に神々しい心持がして、自づ頭の下るの黨えるだらう。然し多くの日には橫雲があつて、太平洋の水平面から昇る所は 仲々見られない事を告げて置く、若し夫れ諸君の登山した日、此の景色を見る事が出來たならば、實に幸福な且又精進のよい人である。然し雲の上から出る所にしても、決して下界の朝日とは仝日の論でない。「人閒天未だ明けざるに、旭日を堂上に發し、日既に沒せるに猶夕陽を脚下に置く」とは、實に高山に於て始めて云ひ得る言葉であらう。此際の顧みて日本海上を眺め給へ、若し其所に大きな鳥海山の墨繪が、藍灰色の日本海上に描かれてゐるのを認め得たならば、之又諸君の幸福である。之はつまり日の出に際して鳥海山の山形が、日本海上に寫されたのであつて、之も稀に見得る現象だからである。川崎氏が嘗て山形新聞に「若し天れ此の現象を、山頂に一泊して、新山頂上から見たならば、是亦天下の大觀とするに足るものがあらう」と云ったのは、卽ち此觀である。 歸つて來ると丁度御祈祷の時刻であるから、心身を淸めて御本社にぬかづき、恭しく天下泰平寶祚無窮を祝禱し、倂せて各自の懇祈を、抽んずるがよい。

 

 影鳥海が見たくなったでしょうか。すべてが正しく旧字体になっていないのはこれを書き写したものの力量不足とPCの辞書のせいです。

 ※オンラインで旧字体に統一してくれるサイトを発見しました。→オンラインで舊字體に統一してくれるサイトを發見しました。

 この橋本賢助 鳥海登山案内が出版されたのは1918(大正7)年、訂正版が1923(大正12)年に出ています。残念ながら手元にはありません。その後多くの本がこの鳥海登山案内の記述をもとにして書かれています。

 橋本賢助という人は口演童話家として有名な方だったそうで、山形師範学校の卒業、その後同校で訓導兼教諭として教鞭をとっていたそうです。其在校中に書かれたものが「鳥海登山案内」「高山之智識」等だということです。これは早稲田教育評論 第 30 巻第1号に松山 鮎子という方が書いています。橋本賢助は博物学の研究者でもあったということで彼の「鳥海登山案内」は全編を読んだわけではありませんがそれもいかんなく発揮されていると思えます。これもぜひとも手に入れて全編読んでみたい鳥海山に関する本の一冊です。


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