鳥海山の雪解け、雪渓の雪が解けるなどと皆さんは書くと思います。現在の表記では「雪解け」と書くのが一般的です。解と溶と融は実は意味するところが全部違います。「雪解け」と書くとなんだか雪がばらけるような気がしませんか。そう、本来の「解」は牛を刀でバラバラにするところからきています。「溶」は「塩が水に溶ける」「暑くてチョコレートが溶けた」と書けばその状態変化の様子が想像つくと思います。「アスファルトが解けた」とは書きません。同じ「溶」でも金属の場合は「熔接」となりますが今は漢字の貧困、常用漢字などという無茶な取り決めのせいで「溶接」と書くことが多いです。
「融」は「融雪」と書くように「固体が熱などによって液体状になる」場合に用います。「融」の字は、「鼎(かなえ)から虫がはい出るように蒸気が上がる」さまを表しているのだそうです。ではなぜ今は「雪融け」と書かないで「雪解け」と書くか、雪をバラバラにするわけでもないのに。ここにも漢字の貧困化が碍をなしています。「害」じゃないですよ。そう、常用漢字がいけないのです。常用漢字では「融」を「とける」と読むことはできないのです。ですからお役所では「融雪剤」とは使えても「雪融け」とは書けません。「とける」はその場合によって使い分けがあることがわかります。これを「解」という一文字ですべての意味を表そうとするのは日本の文化を無みする(なみする)ものではないでしょうか。
(雪融けのイメージとは少々違うかもしれませんが)
前の文章でなぜ「貧困化が碍を」と書いたのかというと、「碍」の文字に意味があるからです。「碍」は邪魔をする、妨げるという意味があります。電線の途中にある白いもの「碍子」ですね、あれは電気の流れを妨げるものなので「碍子」です。しかし常用漢字などという日本人を駄目にする決め事のために「碍」という漢字は公用文には使えないのです。新聞はそれを真似ているにすぎません。一般の人はいくら使ってもいいのです。なにもお役所、新聞の真似をする必要はありません。
よく障害者などと書きますがまるで害をなすものになってしまっているではありませんか。お役所仕事では「障がい者」などと漢字をまだ覚えきらない幼子のような書き方をしています。本来は「障碍者」と書かなければいけないのです。残念ながら昨年文化審議会では「碍」の文字を常用漢字に入れることを見送ったそうです。日本語を不自由な見にくいものにしているのは常用漢字という制限のためなのです。なぜこんな取り決めが出来たのかといえば、それは根本が明治の漢字廃止論にあるのです。
これを書く程漢字について多くは勉強していませんのでこれ以上は書きませんが、常用漢字にとらわれず「雪どけ」は「雪解け」とは書かずに「雪融け」と書きたいものです。これなら文章として目で見て感覚がわかります。「雪解け」では雪が崩れるようですね。漢字は本来見て理解できるようにできているのです。もちろんひらがなを使って悪いわけではありませんが「雪どけ」なんて小学生以下の書き方をしてはいけません。