鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

鳥海山蕨岡口登拝道の笹小屋

2024年07月17日 | 鳥海山

 大正から昭和にかけて蕨岡口世廃道には四つの笹小屋があったことがわかっています。「」内は橋本賢助 鳥海登山案内によります。

 「途中一般に變化に富み笹小屋が四ヶ所もあつて、登山者の便利をはかる許でなく、途々の飲料水る豊富であるから アルミの水呑一つさへあれば澤山だ」(他の登拝道に笹小屋はありませんでした。)

 一番目の笹小屋は駒止、嶽の腰林道に入りしばらく行くと左手に空き地がありますがそこです。

 「蕨岡口最初の笹小屋で冷汁や金剛杖等を賣っている。登山者を乘せた馬は此處まで來ては引返し、丁度下山の時を見計らつて再び迎馬(むかひうま)として此處まで來て居ると云ふ。此處から上には駒を上げないと云ふので此の名がある(然し實際は横堂迄通ずることが出来る)」

 そこから登ると次は横堂の笹小屋です。

 この写真は初めて見ました。昭和6年の消印が押してあります。(明治でも大正でもないのは葉書表面の様式からわかります、宛先を書く方が表面。)

  以前にも紹介した写真ですが左手に見えるのが笹小屋です。

 「【横 堂】(よこだう)山路四里。實測頂上までの略々半分の所で箸王子(はしおうじ)神社があり次第二の笹小屋も在る。社務所の出帳所も置かれて登山者の便利を計つて居る。昔は一の木戸とも云った。此の笹小屋は當山小屋中の最も大きなもので馬の脊なりの出に道を扶んでトンネル形に建てたものである。ぞれが枯れた「ネマガリダケ」(俗名ジダケと云ひ一見クマザゝの如くである。當山には最も多い種類の一で、根際がまがつてゐる、葉もクマザゝよりは細長い)で圍てゐるから、色からしてカマボコの様である。中では白玉 (所謂鳥海山の力餅)・草鞋・イケウマ等をを賣つて居る」

 ここから先しばらく行くと八丁坂の笹小屋です。

 「暫らく行くと行手にあたつて一つの瀧を發見する、之が即ち八丁坂白糸瀧である。仝時に坂の下に嘗て第三の笹小屋を認める。」

 滝の小屋とは異なる場所です。残念ながら写真は発見されていません。八丁坂の登り口にあったようですが山本坊さんによれば、今行ってもわからないだろう、とのことです。

 最後が河原宿の笹小屋、こちらも何度か紹介しましたがこの写真です。

 「誰しも先づ小屋に腰を下して疲れを休めるが、此の時前の雪路が心の字に排列して居る事に氣がつくだらう、之が即ち「心字雪」である。此小屋でも素麺「白玉」等を賣つて居る、炎天の日、此處まで来て此の二品を食べれば、何時しか汗は沈み、座に寒さを覺えるに相違ない。」

 「蕨岡口の河原宿は海抜凡そ五千尺當山七合目位のテーブランドで、山中随一の美麗なるお花畠の所在地である、然も川あり丘陵あり濕地あり高原あり、宿屋はないが之に代るべき笹小屋があつて夏季中は此處に茶屋をはって番人が居るのみならず植物の豊富な所であるから僅かの移植に依つて優に當山に於ける百二十有余種の高山植物を集める事が出來る」

 白玉は近年までこの先の拝所に供えて拝したそうです。(蕨岡般若坊談)

 


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