鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

中村不折の描いた笹小屋はどこ?

2024年07月20日 | 鳥海山

 かなり奥行きのある小屋に見えます。蕨岡登拝道にあった四か所の笹小屋のうちどれを描いたものかと思っていたのですが。

 今回発見した写真を見て横堂であろうと思いました。

 先日の写真、山形の小屋に見えますがよく見ると奥に見える横堂に向かって結構長い小屋に見えます。駒止の小屋跡はそれほど大きくないし、八丁坂もそれほど広い土地ではなかったようです。河原宿かとも思ったのですが河原宿の笹小屋も写真で見るとそれほどでもなさそう。何よりも橋本賢助が「「此の笹小屋は當山小屋中の最も大きなもので」と書き残していますので横堂であると思います。

 実際今この場所に行ってもこの痩せた地に横堂と笹小屋があったとは信じられません。またこの横堂には昭和の中頃までは強力も荷揚げしていたということです。昭和の中頃には笹小屋も木造に建て替えられました。

 

 このころまでは強力が山頂のほかにこの横堂にも荷揚げしていたことがわかっています。

 

 それにしても現今の鳥海山、鉾立口は駐車場が下まで満杯、路上駐車も満車。とても登る気にはなりません。入山規制する時期が来ているでしょう。それとも一時のブームでやがてだれも見向きもしなくなるか。でもその頃には山は荒れ放題、無残な姿となることでしょう。


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