車庫で作業していたら釣竿を保管してある吊り具の出っ張りに頭をぶっつけて痛い目に、これで何度目か。先代が車庫を作った時に自分の釣竿を保管するためにその時の大工さんに作ってもらったものなのですが、全ねじ棒を二本下げそれを胴縁でつないで廿という字の底の横棒を少し伸ばした形です。その出っ張りが丁度こめかみの少し上にあたるのです。ついに出っ張った部分を鋸で切り落としました。(苦竹螺旋継の庄内竿も何本かありますが埃まみれ。オークションにでも出そうと思ったのですが長尺物は梱包が面倒なのでほったらかしです。)
これで河原宿小屋の工夫を思い出してしまったのです。当時の河原宿小屋は夜はもちろん灯油ランタン。加圧するタイプです。日中は火舎磨きもします。これが吊り下がっていたのですがよく頭をぶつける人がいました。
そこで小屋番のAさん、一工夫。ランタンの底に紐を何本か下げたのです。そうすると頭をぶつける人はいなくなりました。
在りし日の河原宿小屋の様子ですが、赤丸の中がランタン。写真の時は下がっていませんが黄色い線のように紐が何本かぶら下がっていました。
このランタン、小屋仕舞いの時は棚に乗せておくのですが翌年小屋開きのために小屋を開けると土間に落ちているのだそうです。しかも火舎が割れることもなく、へこみもなく。そこで小屋番Aさん曰く、これは冬の間小屋の名かも雪に埋もれ、それが春になって小屋の中の雪が融ける時に雪と一緒にゆっくりとしたに流されるように下りてきたに違いないと。他のものも下に落ちていたそうですから。
いや本当、河原宿小屋はいい小屋でした。廃止するときに遊佐町でやらないかという話もあったということですが町では断ったそうです。場所からいっても滝の小屋よりずっといい場所です。古い文書にもしょっちゅう出てくる由緒ある小屋だったのですが春の荷揚げなどでも金がかかり、経費倒れで継続は困難だったようで閉鎖に到るということのようでした。3.11の東北大震災を口実にして閉鎖したのは前にも書いた通りです。
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