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たまには真面目にジョン・コナー

2012年12月06日 | 日記
この前

地上波で放送してたターミネーター3を
子供達と一緒に観てた時の話です


実はこのターミネーター3
だいぶん前にも子供達と観た事があります

まぁ随分前なので大体の話の流れやオチをおぼろげに覚えてた程度なのですが


すると映画の途中で子供が「ここで○○が出てくるねんなぁ」とか「そのあとアナイなってコナイなって‥」

みたいな事を言うのです







「ヨーそんなに細かくて要らんトコまで覚えてるなぁ!」Σ(゜ロ゜」)」


と感心したのですが


よくよく考えると僕も子供の頃
親に同じような事言われてたのを思い出しました


そう


子供の頃の記憶力って無駄にスゴいですよね


僕みたいに40歳近くになると人の名前とかでもすぐに出てこなくなってきて
「イーーーッ!」ってなる事がよくあります(●゜皿゜)



そしてある日
フト気づいたのですが



『歳をとれば月日の流れるのが早く感じる』とか

『子供の頃、一年が永遠のように長く感じてたのに歳をとると一年なんてあっと言う間のように思う』
って言いますよね


でも子供であれ年寄りであれカウント10を数えさせてもほぼ同じでしょうし
カップラーメンを待つ3分間も年寄りになると早く感じるなんてのは聞いた事ありません

しかし1年という長いスパンになると
やはり子供にとっては長く、年寄りにとっては短く感じてしまう認識の差はどうして生まれるのか?



先程のターミネーターでのやりとりから僕なりに思いついたのですが







大人や年寄りになると記憶力も衰えていきますが
生きていく上で忘れてはいけない事は努めて脳に記憶としてインプットしますよね
それとは反対に
生きていく上でどうでも良い事柄は優先順位の低いものから上書きや削除されて忘却していきます

でも経験値が浅くて記憶の取捨選択ができない子供時代の場合
記憶力は抜群なので事柄に優先順位などつけなくても丸ごと脳に記憶として貯めこむ事が可能でしたよね?


だから子供は
大人にとって「そんなイラン事」まで覚えてられるんだと思います


そこから考えられるのは


1年365日を過ごしてみて
大人がその1年を振り返ると「正月は○○した」とか
「そういえば花見したなぁ」とか
「夏は海に行ったっけなぁ」とか
1年間で脳内メモリーに刻まれる事象が意外と大雑把で少ないです

それに対して子供が1年間に貯めこむメモリーの情報量は緻密で膨大だと思います

故に
体感してる時間軸は同じであってもそれぞれが振り返ってみると子供にとっては1年は色々な事を積み重ねた実感を伴う相当な月日に感じるのだと思います
生きていく上で無意味な記憶を忘却していく大人にとっての1年間のエピソードは子供の何分の1くらいしか残ってないので


「1年なんてあっという間」
になっていくんでしょうね



僕なりにたどり着いた仮説ですが




どうでもヨロシい話ですね(^-^;)



全然オチの無い話で申し訳ありません<(_ _)>



タマには釣りとチンコ以外の真面目な話も書かないと僕のコカン
もといコケンに関わりますからね



ヽ(#゜Д゜)ノ┌┛Σ(ノ´Д`)ノ