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2日目の朝です
雨の予報だったのが奇跡的に晴れました
ツいてます♪
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朝に
ひとっ風呂浴びて
さっぱりしてから朝食
宮城は米所なので、ご飯が美味しいです(^◇^)
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チェックアウトしてからは
ホテルに荷物を預かってもらい
商店街をブラつき
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民芸品店で買い物をしたりしました
珍しい民芸品が沢山あって面白かったのですが撮影はNGですねん
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当初
チェックアウトしてからこの辺りの有名な牛タン屋さんで昼食をとり
午後1時にタクシーに乗せてもらう予定だったのですが
今の時季は日暮れが早く終盤に訪れる被災地の景色が暗くて判りづらくなるからと
ドライバーさんの機転で「出発を繰り上げましょうか?」とお電話頂いたのです
朝食を沢山食べたせいもあり正直お腹も空いてないですし
南三陸に行くと被災された方々が営む復興商店街もあり
そちらでも飲食が可能とのことなのでどうせならお昼はそこで頂こう、と
最悪、空港でも牛タン屋さんはあるので
ここで牛タンを食べるのはやめておくことにして
ホテル前で12時にタクシーに拾ってもらうようにして頂きました
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仙台中央タクシーの『語り部タクシー』
ドライバーは櫻井さんと仰います
初対面でいきなりお顔を写真に撮るのも失礼なのでこのアングルで
挨拶もそこそこに出発
櫻井さん、今日は宜しくお願い致します(^_^ゞ
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嫁さんと子供達は後部座席で櫻井さんの用意してくれた震災当時の様子をまとめたDVDを視聴
助手席の僕は櫻井さんに様々なお話しを伺いながら
タクシーは南三陸を目指します
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阪神大震災は家屋の倒壊や火災による被害が大半でしたが
東日本大震災は地震による家屋の倒壊は殆ど無かったそうです
現にこの地点も相当揺れた筈ですが建物の被害は見受けられません
本震の40分後にやってきた津波の影響を
地形的にモロに受けたか、そうでないかで被害状況に大きな差が生じたと仰ってました
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この水産加工場まで津波がたどり着いた最終地点らしく
カーブになっているこの地点の手前と先とで景色が一変するそうです
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曲がった途端
左の山肌は削られ
建造物が見当たらなくなりました…
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車道左奥に見えるのは気仙沼線のトンネルです
駅舎は津波で壊滅したそうです
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眼前に飛び込んできたのは破壊された可動堰と
傾いたままの建物
勘違いしてはならないのが
震災当時には道路も含めて大量の瓦礫に埋め尽くされていた事実
このあと防災庁舎跡を横目に復興商店街の方へと向かいました
食前に防災庁舎を見て食欲を無くしてしまわないよう櫻井さんの配慮です
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瓦礫が片され
辺りに民家も仮設住宅もない平原にポツンと
南三陸さんさん商店街はありました
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この商店街は
かつて南三陸地域でそれぞれ商店を営まれていた方々が
津波で元の場所での営業再開が出来なくなったため
なんとか営業ができそうなロードサイドの一ヶ所に集まって
復興商店街として再び立ち上げられたそうです
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店舗もプレハブですが
被災当時より今まで互いに励まし合って
本当に頑張ってこられたのでしょうね
こられたというのではなく
現在もこれからも
過酷な中を堪えていかなければなりません
現実は綺麗事ばかりではありません
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商店街の中で理容店も営業されてました
僕のお店もそうですが理容店というのは
祖父からお孫さんの代まで永くお客様と繋がりを持ったり
お互いに人生を歩んでいくような関係になってくるのですが
津波で元のお店を流され
常連だったたくさんのお客様を亡くされ
永年培われてこられた地域のコミュニティも寸断された状態で
たとえ新しい場所で営業だけ再開できても
周辺に人が殆ど住まわれていないこの地で
ゼロから、いやむしろマイナスからのスタートに至る迄の苦労は想像に耐えません
週末こそ商店街をあげてイベントを催したりして幾分か賑わうそうですが
平日はお昼時でも商店街を訪れる人はまばらです
それでも
被災を期に廃業するしかなくなった商売人さんからすれば
形は変われどお店を再開することだけでも生き甲斐を取り戻す事になるのかもしれません
もしも自分が同じ立場になったとしたら…
その時の自分に果たして再興する気力が残されているのか
なんとも云えません
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商店街の真ん中にはイベントステージがあり
ビニール張りの壁面には慰問に訪れた方々の応援メッセージが掲げられていました
イベントの無い平日は各商店で買った物が食べられるフードコート形式のスペースに活用されています
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大阪の学生さんから寄贈されたストーブも大切に使用されていました
目に見える支援ですね
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どうせなら4人ばらばらのお店で注文しよう、と各自散らばります
僕は『季節料理 志のや』さんの
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てんぷら丼定食
具のポテンシャルはもちろん、揚げ方、たれの味付け
どれをとっても完璧でした(゜д゜)ウマー
セットのうどんも
関西人の僕が食べても大変美味しかったです♪
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娘は『松原食堂』さんのラーメン
(゜д゜)ウマー
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嫁さんはマグロ丼(゜д゜)ウマー
(スイマセン店名忘れました…)
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息子は『豊楽食堂』さんのラーメン
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( ゜Д゜)ウマー
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嫁さんの〆は焼きたて&生クリームたっぷりのクレープ♪
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イヤイヤ…
味なんて二の次で、復興商店街でお金を使う事で
復興に幾らかの足しになれば…と
そんな動機で訪れた己れを恥じました
どのお店もマジ( ゜Д゜)ウマーです!
大阪でフードコートと言えばバイトが適当に作ってる感がアリアリですが
ここのお店の方々は一件一件、信念を大切に持って営んでおられます
なので
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もし宮城を訪れる機会がありましたら
是非南三陸さんさん商店街に立ち寄ってみてくださいね♪
商店街を後にしたタクシーは坂道を昇って行き
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志津川中学校のある高台へとやって来ました
中学校のグラウンドの半分には未だ仮設住宅があります
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櫻井さんがタクシーからDVDを持ち出し
当時の様子を説明してくれました
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当時何度もテレビで流された、高台から南三陸の津波を撮った動画は
まさにこの場所から撮影されていたそうです
からくも逃げ延びたものの
逃げ遅れた家族や知り合いを案じながら沢山の方々が
津波が次々と南三陸の街を呑み込む様子を
嗚咽混じりにこの高台から目撃していたに違いありません
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津波は真っ先に中央を流れる川を猛スピードで逆流し
普段なら上流→下流の河口へと川幅の広がりとともに水圧が弱まるのに対し
下流から上流へと逆流した津波は川幅の狭まる上流へ行くに従い圧力は高まり
堪えきれず堤防を乗り越えた水が周辺の街を破壊したそうです
津波の直撃を受けない山の裏側の住宅とでは被害の明暗が分かれたそうです
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しかし
それでも沿岸に近い土地を再び造成して人が住めるように沢山の重機が作業を続けていました
『巨大な地震のエネルギーは一度弾かれると1000年は来ないだろう』との
どこの学者だかの唱えた学説を建前に
盛り土をしてカサ上げすれば大丈夫と
何故か津波到達高より低い盛り土なのに国や県は着工にゴーサインを出したらしいですね
櫻井さん曰く「1000年先まで津波が来ない?たとえ宮城沖に地震が起きなかったとしても、チリ地震の津波も含めてこの200年のうち4度も津波がやってきたんですよ?だから志津川の学校は高台に移転したから難を逃れたのであって、
人間が考えれば相当命は救える筈なんです…」
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多分近い将来
リスクを覚悟で再び沿岸に住まわれるのは漁業関係者が大半だとは思いますが
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いずれそこで新たに子が生まれ育っていき
津波の恐怖を知らない世代がその悲劇を風化させてしまわぬよう
願うしかありません
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このあと
高台からも遠く確認できる防災対策庁舎へと向かいます
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たどり着いた防災庁舎の残骸
やはりここも周りに瓦礫は残されていません
剥ぎ取られたコンクリートの基礎部分のみ
かつて街があった事を窺わせます
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写真には写っておりませんが手前には献花台が設けてあり
櫻井さんが用意してくださった線香を全員であげてきました
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この庁舎から防災無線で
職員の女の子が津波がやって来る直前まで避難を呼び掛け続けて
命を落とされた話は有名です
津波は庁舎の三階はおろか屋上まで襲いかかり
アンテナに掴まるなどした数名以外は流され犠牲になられたようです
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一階の鉄骨の壁の支柱も無惨にもひしゃげています
被災当時はこの庁舎にあらゆる瓦礫が絡まりついていたそうです
津波なんて海の水が高潮のようにやってくるのではなく
破壊された防潮堤や漁船、トラックやコンテナ、はたまた住居などの瓦礫が
一緒くたになり襲ってくるので
櫻井さんがこれまでご覧になられた犠牲者の殆どが
手足がちぎれたり顔の形も変わっていたり…
損傷が激しい姿だったそうです
阪神大震災の直後は火災が発生するまでは
虫の息ながら生存されていた方がかなり残されていたのに対し
津波に呑まれた街には奇跡的に生き残った方を除き
酷い言い方ですが虫の息も残さず死に至ったケースが殆どらしいです
でも
これ程までに恐ろしい津波が
地震発生直後にやってきたのならともかく
40分の猶予があったにも拘らず逃げ遅れた人が多数いたのには
皮肉な前触れが一因したと仰られてました
実は前日にも地震が起き予想3メートルの津波警報が発令されたにも拘らず
実際に到達した津波の最大高は50センチ程だったそうです
前日の津波がその程度だったせいで
明くる日(3・11)本震後の津波警報を聞いた人々の中には
『どうせ今回も大した津波は来ないだろう…』と過信してしまい
犠牲になられた方もいたそうです
狼少年…の例えでしょうか…
あまりにタイミングが悪すぎます…
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次に僕達を乗せたタクシーが向かうのは
海沿いのルートを通っての石巻方面です
海沿いとはいえ海岸線に沿って街が繋がるのではなく
無数あるそれぞれの入り江に小さな漁港を構えた集落が点在しています
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内陸からのアクセスが比較的便利な集落は南三陸同様、盛り土でかさ上げしてから再び都市計画を考えているそうですが
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後回しにされている地域は全くのほったらかし
崩れた防潮堤も取り去る事なく海に沈んだままでした
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櫻井さん「見てください、前を走る新品のトラック。今土建業界は復興予算で大儲けですよ。1000万円で新車のトラックを買っても一年で取り戻せるそうです」
僕「てことは…当然トラックを売るメーカーも特需に沸いている…」
櫻井さん「その通り。とにかく国を挙げての復興事業ですから。大手ゼネコンが仕事を取り、関東や中部からも下請けの建築業者が大挙やって来ていますが、彼らももうじき引き揚げるのではないでしょうか」
僕「え?ここで復興の仕事が残っているのにですか?」
櫻井さん「東京オリンピックですよ。そちらの方が旨味があるのでしょうから」
僕「じゃあ…ここの復興事業は誰が?」
櫻井さん「おそらく青森や秋田、山形あたりから出稼ぎの労働者が入れ替わりにやってくると思います」
僕「なんだかなぁ…」
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僕「この辺りも野原ですけど津波が来たのですか?」
櫻井さん「いいえ全然。ここは田畑ですし、全く津波の被害は受けておりません。でも、その割りに川の護岸工事をアチコチでやっているでしょう?これも復興予算がついているからですよ。だから彼らは仕事を急ぎません。急いで終わらせると損しますから。1日かけてノンビリと作業するわけです。被災地における公共工事は向こう10年は安泰だと思います。国民の税金が実はこんな所で無駄に使われているのにメディアは取り上げないでしょう?」
僕「なーんだかなぁ…!」
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櫻井さんの機転で石ノ森萬画館に立ち寄って頂きました
ここは川の中洲に建てられていたため当然建物の被害は甚大だったそうですが
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チリ地震の教訓から一階の天井を高く設け
収蔵品や原画の展示を二・三階にしていたため奇跡的に消失を免れたそうです
仮面ライダーにゴレンジヤー、キカイダーに009、さるとびエッちゃん等々…
よくぞ宝を守られました
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中洲周辺の住宅や建物から当時の被害が窺えます
居住を放棄した建物や
頑張って再開した商店が混在していました
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それからタクシーは日和山(ひよりやま)へと昇りました
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本来ここは奥の細道で芭蕉がその絶景を眺めた場所ですが
皮肉にもこの場所は被災した石巻を一望する地にも変わってしまいました
震災前は海沿いに住んでいた人達は『誰がわざわざ海から昇ってこんな山に住むのか』と山の手の土地の事を笑っていたそうですが
今ではこの山の手の土地を奪い合っているそうで
この辺りの地価も急騰しているそうです
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写真では分かりにくいのですが河口の堤防が地震による地盤沈下で水没しているそうです
ここ石巻に限らず広範囲で地盤が沈下しており
大潮の際には水浸しになる為タクシーから降ろさずに車窓から見学してもらう事もあるそうです
日和山を下り
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『がんばろう!石巻』の看板の前へやって来ました
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そこには献花台や
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津波到達高や当時を知らせる資料が貼られていました
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震災から1ヶ月後
まだ瓦礫が散乱するこの場所に看板が書き上げられたそうです
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途方に暮れてしまうような当時の瓦礫の山も
今やすっかり片付けられました
片付いただけで
なかなか次に進めないのが現状なのかもしれませんが
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こうして津波を知らない来訪者に
当時の様子や慰霊の機会を持たせて頂ける場所があるのに対し
ここに着くまでに
部外者の立ち入りを頑なに排除するエリアもありました
関係者以外、慰霊碑に線香や献花すらさせないその場所
遠巻きに車を停め、櫻井さんから当時のお話しを伺いましたが
あまりにもデリケートなお話しなので伏せさせて頂きます
遺された遺族の心中を察すると
関係の無い人間に触れて欲しくもない気持ちは理解できます
櫻井さん曰く「あの防災庁舎の前でピースサインをしながら写真を撮る高校生もいたんですよ。あそこが一体どういう場所なのか判っているのでしょうかね…」
マスゴミも然り
そんなデリカシーの無い人間にズカズカと土足で入り込まれたく無い気持ちは
至極当然です
この件をブログに書く事自体も『そっとしておいてください』という
御遺族の気持ちに少なかれ反しているようでためらいました
逆に『がんばろう!石巻』の看板には
部外者も誰でも来て見ていってください!という意気込みを感じました
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夕方5時を過ぎた所で辺りは薄暗くなってきました
今日の出発時刻を早めるように櫻井さんが仰られた理由が納得できました
これより仙台空港へと向かいます
今日の道中
他にも様々な裏話を聞かせて頂きました
節電や震災のドタバタの中
何よりもいち早く営業の再開にこぎ着けたのが実はパチンコ屋さんで
全国からの心のこもった義援金を殆どパチンコや酒で使い果たした被災者も多く
小さな子供たちが送った大切なお金も結局は巡り巡ってパチンコ屋さんに吸いとられ
どこぞの半島へ流れていっただけというお話
勿論、酒やパチンコなどで浪費をせずに生活の再建に使った人もいらっしゃいますが
仕事が無い中、パチンコ屋さんしか開いていない状況で義援金を渡されたら
やはり心を紛らわせる為にパチンコを打ちに行くしかないのも無理ないかもしれません
櫻井さん曰く、ようは義援金を渡すタイミングが悪かったのではないかということですね…
他にも
ある大規模仮設村を通った際
櫻井さん「ここです。有名人が次々と慰問に訪れた避難所は。グラウンドもありますし、被災者も沢山いらっしゃるので有名人が炊き出しのボランティアをしているところをメディアに撮らせるのに都合が良いからです。他にも支援の手がまわっていない避難所は沢山あるのに、ここだけはメディアもこぞって取り上げたので他の避難所とで支援にかなりの格差が生じてました。でも有名人にすればお構い無し。というか他の避難所の実態なんか知らないのでしょう。知ろうともしないでしょうけど。だって、彼らにとっては被災者を助けるという主旨よりも『避難所で炊き出しをしている自分達』をメディアに撮らせる事のほうが大事ですから…。本当に純粋に被災者を助けに行くつもりなら、わざわざ自分達から前もってメディアに炊き出しに行く事を伝える必要無いじゃないですか。○○○○なんかもみんなそうですし、酷い例なら●●●●なんてのは前日まで仙台市内のウェスティンで優雅に泊まっておいて、実際に避難所で炊き出しを手伝ってるシーンをメディアに撮らせたのがたったの30分で、あとはスタッフに任せてさっさとホテルに帰ったんですよ」
僕「うわ…やっぱり。じゃあ、その逆の方とかはいなかったのですか?」
櫻井さん「○○○○○○○さん…ですね。あの方はメディアに一切言わずにスッピンで目深に帽子をかぶって避難所を回られ、被災者に名前も明かさず帰られたので物資を手渡された方達も○○○○○○○さんとは気付かなかったそうで。随分経ってから避難所にCDを贈られた際に、やっと『あの時の人が○○○○○○○さんだったのか』と判明したくらいですから」
僕「良い行いも悪い行いも最後には伝わる…。お天道様はちゃんと見ているんでしょうね…」
日もとっぷり暮れた6時過ぎ
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仙台空港着
お別れの際にブログ用にお写真を撮らせて頂きました
櫻井さんご自身も現在仮設住宅にお住まいで
自衛官である娘婿さんを津波で亡くされております
目撃談によると身体の不自由な方を避難させようと担架を担いでる中を津波に呑まれたそうです
3月の津波から3ヶ月経った6月に
遺体を確認されたそうです
自衛官なので鑑札を身に付けていたおかげで身元の判明ができたそうですが
損傷の激しいご遺体の中から
身元が判るだけでも幸いだと仰られてました
亡くなられた娘婿さんは以前イラクにも派遣されていたそうで
職業柄、身を投げ出す覚悟は持たれていたかもしれませんが…
櫻井さん曰く
「自分達よりももっと悲惨な境遇に置かれている方がまだ沢山おられるのに、語り部タクシーとは言うものの、犠牲になられた方達の話をしながらお金を得る私自身も、震災を食い物にしてはいまいか?…と、未だに葛藤があるのですよ」
そこまで赤裸々に心情を語って頂いた櫻井さんに
実際に津波を体験もしたことが無い僕達が
「さぞお辛かったことでしょう」
「頑張ってください」などと
うわべだけの言葉なんてかけるよりも
この津波の跡を見て大阪に帰った僕達が
いずれ起こるであろう巨大地震に遭遇した時に
真っ先に自分の命を守る行動に活かす事でしか
櫻井さんの想いに報いる事はできないのではないでしょうか
櫻井さん
ありがとうございました
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空港内の牛タン専門店で
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やっとこさ牛タンを頂きました♪
(昨日の牛タンシチュー・スパゲティは娘が食べましたので)
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率直な感想
ふ・つ・う
大阪で食べてる牛タンが単に分厚くなっただけのような…
ウーン…
やはり市内で食べておくべきでしたかね(-_-;)
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帰りのピーチは30分ほど遅延が発生しましたが
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無事に大阪に帰って来ました(^o^)v
そこで最後のお楽しみ♪
初日の朝に
植え込みの下に隠して行った娘のハサミは果たして
いったいどうなったのか!?
…
…
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ありますた
ワッショイヽ(゜∀゜)メ(゜∀゜)メ(゜∀゜)ノワッショイ
ということで更新が延び延びになりましたが
これにて初ピーチ&宮城紀行
終わります!
最後までご拝読いただき有難うございました
(ホント、長くてスミマセン…)