あずまクラブ(越前の守)です。正しい心の探究をします。

”人間は夢とロマンを持つから動物とは決定的に違う”から始めます。正しい心の探究です。

保守議員は「靖国参拝」を口にするな!

2011-07-30 23:53:56 | 日記
夕刻の備忘録 より転載です。
何度も何度も繰り返してきたように、靖國問題は国民の問題である。
国家そのものである一億国民が参拝してこその靖國神社である。
これは断じて政治の問題ではない。
ましてや政治家が政局がらみで論じてよいものではない。

ところが、隣国の干渉が起こる度に、政治問題に貶められてしまう。
これこそ彼等の思う壺である。
ノイズに反応して自らがノイズになっている。
「静かにしろ!」と大声で叫んでいる矛盾に気付いていない。

保守議員は「靖国参拝」を口にするな。耐えて黙って参拝せよ。誰に向かっても吠える必要は無い。
自らが参拝という「行動」で示せばそれでよい。それは政治家以前の一国民としての自然な感情である。私人か公人か、などという馬鹿な話ではない。立場によって変わるものではない、ということを強調したいのである。

毎年毎年、この時期になれば、マスコミが「参拝しますか、しませんか」「公人ですか、私人ですか」と繰り返してきた。ところが、この二年は全く様変わりして、マスコミは沈黙しているのである。ならば保守議員も黙ってやり過ごせ。
誰があんな連中に参拝などして欲しいものか。
靖国が穢れるだけではないか。
仮に、誰に向けての人気取りか、突如として首相参拝が実現したとしよう。しかし、首相退任後は絶対に参拝しないのである。それどころか、参拝する政治家を徹底的に非難するだろう。そんな人間に形だけ参拝されては堪らない。現政府の人間は一人残らずお断りである。

如何なる意図があろうとも、政治家が参拝問題を口にすれば、それは政治問題になる。我々国民が心静かに運命の日に想いを馳せようとする時に、それはノイズにしかならない。隣国が干渉するから黙るのではない、元々心静かに時を迎えるのが日本の流儀なのである。参拝を批判する人間も、声高に首相参拝を訴える人間も、この意味では同罪である。
何も語らず声すら挙げず、ただ黙々と列を為して、靖国に詣でればよいのである。
★ ★ ★ ★ ★
マスコミの異常性は、どの社も変わらない。国を愛する多くの人が、最後の期待を寄せている産経にしても同じである。特に靖國参拝問題に関しては、実に不潔なことを平然と書いてきた。麻生内閣の時には、前後四回にも渡って首相参拝を論じ、その執拗さには異様なものを感じさせた。

産経もまた靖國問題を論じる資格が無いのである。選挙目前の麻生内閣を八つ当たり的に批判して、結果的に民主党政権誕生に力を貸した。そして本年「6月25日」の以下の記事を読んで頂ければ、その異様さを改めて確認出来るだろう。
6月25日
▼「菅さんの権力に対する執着心が、自身の再生エネルギーになっている」と渡辺喜美・みんなの党代表はうまいことを言うが、それほどまでに延命したいのなら抄子が知恵をお貸ししよう。霊験あらたかで効果抜群の妙案を。
▼最近の歴代首相は、さきの大戦で亡くなった人々を悼むため6月23日の沖縄を皮切りに広島、長崎を巡り、8月15日の全国戦没者追悼式に参列するのが常である。これに靖国神社参拝を加えればいいだけの話である。
▼ 国のために命を捧げた兵士の霊に首相が頭を垂れるのは、どの国でも当たり前の話である。毎年参拝した小泉純一郎首相が5年の長期政権を全うし、参拝しなかった首相が、いずれも短命に終わっているのは偶然ではない。ひとたび首相が参拝すれば、支持率はアップし、政権延命は間違いない。(2011.6.25
02:35)

産経は靖國問題をオモチャにしているのだ。この記事を書いた人間の品性の下劣さは譬えようもない。靖國参拝が「霊験あらたかで効果抜群」の延命策だとハッキリ書いている。本気なら許せない、冗談ならなお許せない。この程度の認識で、自民党歴代総理の靖國参拝問題を論じ、様々な批判を書き連ねて自民党支持率の低下に貢献してきたのが、彼等の正体だということになる。よくもまあ、「靖國に行けば支持率アップで延命間違いない」などと書けたものである。
★ ★ ★ ★ ★
もう一度書く。保守議員は靖國問題から離れよ!
これは常識の問題である。仮に実弾飛び交う戦闘状態だとしよう。敵は間近まで迫ってきている。その時、彼等は「靖國神社を護れ!」と叫びながら、靖國神社に立て籠もるつもりなのか。靖國を弾避けにして、自らはそこから応戦するつもりなのか。そんなことをしたら神社は格好の標的になって、焼け落ちてしまうではないか。
本気で靖國を護りたいのなら、出来る限りそこから離れて「俺はここに居るぞ!」と敵前で踊ってみせるべきである。陽動作戦を取り、自らを囮として敵を靖國から遠ざけるべきなのである。これは全く常識の問題ではないか。
実弾飛ばぬ言論戦、ネットを使った空中戦においても状況は全く同じである。靖國を護りたければ、沈黙すればよい。左翼の得意技である「話題逸らし」をやって、敵を別件に誘導すればよい。そうして静かに参拝出来る環境を護るのだ。
我々も同様である。大声で参拝を論じる必要は無い。シュプレヒコールは必要無いのである。雄叫びを上げる代わりに、静かに友人知人を誘えばよい。手紙を認め、「久しぶりに会わないか、待ち合わせ場所は、そうだ靖國の前にしよう」と誘えばよいのである。言論空間にどれほどの言説が流れているかではない、九段の駅にどれほどの人が溢れているかが問題なのである。それこそが敵の心臓を射貫く最終兵器なのである。
靖國問題における対応においても、麻生太郎は一つの模範を示した。参拝云々を無力化させることに尽力した。これは安倍晋三の「曖昧戦法」と同様の効果があった。麻生の靖國に対する思いは、その著作に存分に書かれている。そして、その任期中にマスコミに対して最も激しい怒りを示したのは、靖國参拝を云々したぶら下がり取材であったことも忘れてはならない。その時に吐き捨てるように言った言葉が、全てを表している。「靖國は静かに祈る場所であり、政治から最も遠くにあるべき場所である」と。
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原発のあるまち】「事故があるたびに反対運動をするのはよその人」

2011-07-30 19:28:07 | 日記
便利な物にはリスクがある。
しかし、うまく運用すれば安全でるが、間違えば事故になる。
車の事故で年間5千人死亡している。
ガス事故、電気事故、トンネル事故、電車事故、、、
さまざまな事故の原因には人為的なものもあり、不可抗力もある。
しかし、だれも反対しない。
福島の原発事故は津波によるもので、対策の不備で放射能がまき散らされた。
避難したからかもしれないが、原発内で作業している人の死亡はない。
なのに原発反対ですか?
将来に渡って毎年死者をだす車のほうが、大変な危険なのに
反対しないの?
安全に大量に電気を産むシステムは今のところ原発しかない。
石油に頼れば、必ず電気料金が跳ね上がるのだ。
死者も出さず、福島県民を苦しめて、原発を止めると50万人が失業するのです。
電気に頼る製造業は製品の価格を上げねばならないとすれば、
廃業もしくは縮小すると、さらに失業者が増える。
時間がかかって必ず実現することである。
こんなに日本国民を痛めつけることをしようとしているのです。
原発反対者は馬鹿者たちです。

現代の「政治と宗教」の考え方をさぐる。より転載です。

「事故があるたびに反対運動をするのはよその人。
住民は冷静に先行きを見守っているだけだ」
2011.7.22 10:57産経
「原子の灯がともった」
事故を起こした福島第1原発1号機が営業運転開始する前年の昭和45年3月、
国内初の商業用軽水炉として敦賀原子力発電所(福井県敦賀市)1号機が稼働。
大阪府吹田市で開幕したばかりの大阪万博会場を照らし出した。
「原発はわしらにとって地場産業や」。
日本原子力発電の敦賀原発や、動力炉・核燃料開発事業団(現日本原子力研究開発機構)の
高速増殖炉「もんじゅ」などが立地する敦賀半島で暮らす元敦賀市議の橋本昭三(82)は誇らしげだ。
 明治時代、国内有数の絹織物産地だった福井県は戦後、安価なナイロンの登場でかげりが見え始めた。
第2の中核産業として、昭和32年、「原子力の平和利用」の旗印のもと、
県北部の発展を目指し、県原子力懇談会を設立。
原発誘致を進めたが、地盤の強度が適さず、候補地は南部の敦賀半島に移った。
37年7月、日本原電が敦賀半島東側(敦賀市)に、
関西電力は半島西側(美浜町丹生(にゅう)地区)にそれぞれ原発建設を決めた。
ただ、半農半漁の丹生地区では抵抗感も根強かった。
元町原子力安全対策室長補佐の町野孝博(73)によると、
「先祖代々の土地を守るため地区では土地売買を禁じていて、
住民の反発は大きかった」。しかし「最後はカネ(地域振興)だった」。
当時、敦賀などへの交通手段はほとんどなく、災害のたびに“陸の孤島”になった。
原発建設に伴い、道路や上下水道、漁港が整備され生活環境は一気に改善。
「今では原発に反対する声はない」という。
 隣町の状況を苦々しい思いで見ていたのが半島西側の敦賀市白木地区の住民。
「わしらは弁当を腰につけて山越えし、市街地まで食料を買いに行く生活を続けていた。
もんじゅの話が来たとき反対はほとんどなかった」と橋本は振り返る。
 60年10月、もんじゅ建設に本格着手し、平成7年8月に初送電。
福島第1原発のお膝元の町と同様、白木地区の住民の暮らしも一変した。
 かつては中学を卒業すると家業を継いで漁師になるのが当たり前だったが、
道路が整備され市街地の高校に通えるようになると、大学に進学し、
原発関連企業に就職することもできるようになった。
 橋本は「ムラ(白木地区)の9割は原発関係で働いている。
原発がなかったら、若い人はどんどん外に出て、ムラの存続はなかった」と説明。
その半面、伝統の定置網漁師は最盛期の30人が3人に減った。
ただ、発電しながら消費した以上の燃料を生み出し、「夢の原子炉」と呼ばれるもんじゅは運転直後の7年12月にナトリウム漏れ事故が発生し、14年間にわたり停止。
昨年5月にようやく再稼働したが、8月には炉内中継装置が落下。
今年6月に装置が引き上げられたが、トラブル続きだ。それでも橋本は動じない。
「事故があるたびに反対運動をするのはよその人。
住民は冷静に先行きを見守っているだけだ」
ーーーーー
関連
これでは、シーシェパードと変わらない; ̄ロ ̄)!反原発のデモの人たち
左翼の人は沖縄の反在米デモとか、あらゆるところに出かけていって
地元の意見と違うことを行っていないか?
コメント (2)
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すさまじい目の錯覚スピリチュアル編

2011-07-30 19:26:12 | 日記
奄美のアマミちゃんお気楽ブログより転載です。

幸福の科学には「正心法語」という経文がある。
「般若心経や法華経の一万倍の功徳がある」と会内で言われてるお経だ。
(これは会員にならないといただけません。あしからず)
会員になってこれを唱えていると、どうも文字が白く浮き出て見える。
もっとハッキリ言うと、文字の周りが白く光ってみえる。誰にも言わなかったが、
「へー。こーゆー風に見える紙使って宗教の神秘性を演出するんだな。
面白い紙つかってるな~」と思っていた。

あるとき、メンタル的にものすごく調子を悪くしたことがあった。
誰も信じられない。全部私が悪い・・・そんな思いに支配されて最後はまっすぐ歩けなくなった。
(体に力が入らないのでフラフラになる)
ふとしばらく開くこともなかった正心法語を手にとってみた。
何回見直しても文字がまったくひかっていない。ただの印刷された文字だった。
「えええええええええ」

メンタル的に調子が戻ってから見たら、やはり白く浮いて光って見える。
どうも私の調子が悪いときは光って見えないらしい。
それから数年後、周りの人にふと聞いてみた。
「正心法語の文字、白くひかって浮いてみえません?」
「みえないです」
あれ?おかしいなー。
違うとき、隊長に古式の大祓祝詞をFAXでいただいた。
うちのFAXは安物なので普通紙にインクでプリントする。経済的には損だ。
その大祓祝詞をしばらく一生懸命おぼえるために繰り返し唱えていた。
すると、最初はただの印刷された文字だったのに、
何度も詠んでいくうちにうっすらと文字が光って浮いてみえるではないか。
正心法語ほどではないが、たしかに文字の周りが白く光っている。
「おおおおおおおお」

神秘性を演出していたのは紙じゃなくて自分の目というお話ですた。
経文や祝詞には神仏の光が宿るってのは本当なんですねー
たぶん正心法語の方が光ってみえるのは、「信仰の契約」をしているから正心法語の光の方を
ストレートに受け入れやすいからだと思われる。
神仏の光が宿る経文や祝詞を詠むということは、
いわば目と口で光をいただいてるのと同じなんでしょうねー。

主エル・カンターレよ、尊い御光を賜り、いつもごちそうさまです!(笑)
この光を食べるこ・・・いただくことで、自然に自分は浄化されるのだろう。
各宗派で、経文や祝詞を毎日詠唱することを重要性視するのもこうして見ると分かる気がする。
というより、「その方法が一番自分を清めるのに合理的」だからだ。
経文や祝詞を詠むことでその内容と心境的な親和性を重ねつつも、
同時に神仏の光によっての浄化の作用もあるというのは、面白い発見ですた。
たしかにお祈りするとすぐ顔色よくなるのはそーゆーことなのねー。
え?これって常識?(笑)

余談ですが、大祓祝詞の祓戸大神はほとんど女神なんですね。
女性は強い。
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菅首相退陣に言論界立ち上がれ

2011-07-30 19:23:41 | 日記
日刊ケボチより転載します。

【正論】初代内閣安全保障室長・佐々淳行 菅首相退陣に言論界立ち上がれ 2011.07.27 03:05
政局は混迷の度を深め、議会制民主主義は衆参ねじれ現象もあって、機能停止に近い憂うべき状況にある。国会は6月2日の不信任案の否決以来、支持率10%台半ばの菅直人首相が自分から辞めると言い出さない限り、略

≪政治は60年安保時並みに深刻≫
 この「7社共同社説」は、暴力化の一途を辿(たど)った反安保闘争にブレーキをかける効果があり、岸退陣声明後、闘争は沈静化した。今、日本は再び、親米と親中の二極化の危機に立つ。小沢一郎元代表、鳩山由紀夫前首相、菅首相、仙谷由人前官房長官ら民主党の指導層は、急速に覇権国家の様相を帯び始めた中国に媚態(びたい)を示し、核武装が進む北朝鮮に脅(おび)え、普天間移設、尖閣問題など独立主権国家として恥ずべき弱腰ぶりだ。
 国民の9割が「菅氏は辞めるべし」と不満を示しているにもかかわらず、首相であることが自己目的化した菅氏は、原発問題で延命を図ろうとし、東北地方の被災民の塗炭の苦しみは4カ月も経(た)つのに一向、改善の徴がない。
 政治が自己浄化できず、首相の誤れる「政治主導」で官僚機構が麻痺(まひ)している現在、言論界が立ち上がり、60年6月17日が最初で最後となっている「7社共同宣言」に当時は弱小だったテレビ各局も加わり、「菅首相、辞めよ」と宣言をする秋(とき)が来ている。
 今日の事態は、民主党を持ち上げてきたマスコミにも一半の責任がある。特に朝日新聞は、笠信太郎氏の勇気を想起して、このキャンペーンの先頭に立つべきだ。出でよ、第2の笠信太郎-。(さっさ あつゆき)
(転載記事の一部引用です)

>小沢一郎元代表、鳩山由紀夫前首相、菅首相、仙谷由人前官房長官ら民主党の指導層は、急速に覇権国家の様相を帯び始めた中国に媚態(びたい)を示し、核武装が進む北朝鮮に脅(おび)え、普天間移設、尖閣問題など独立主権国家として恥ずべき弱腰ぶりだ。
民主党で問題なのはこのカルテットだけではないのは周知の事実。
丸ごと廃棄処分しなければならないほど深刻。
菅はだめだが、小沢ならという人、小沢がだめでも菅ならという人。
とくに小沢嫌いの人は「菅でも仕方ない、今国難だから」とまで言う人がいる。
だめでしょう。まるごとアウト。
政権交代したときに、そのときは「いると思われた民主党の保守(野田、長島、松原、笠、渡辺)」に軌道修正をわずかながらでも期待したのが恥ずかしい。
麻生元首相は鳩山に「針路を間違えないで」と進言したが、この言葉の意味が分かっていなかったらしい。

>言論界が立ち上がり、60年6月17日が最初で最後となっている「7社共同宣言」に当時は弱小だったテレビ各局も加わり、「菅首相、辞めよ」と宣言をする秋(とき)が来ている。

中韓に牛耳られているメディア(産経をのぞく)にできるのだろうか。
しかしやらなければならないだろう。
テレビではビートたけしと関テレ「アンカー」が奮闘している。
続け、日本のために
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