便利になるが、犠牲になる事(者)もあります。
でも、TVの番組が多くなれば、大味になり、昔のかぶりつきで見入ることはなくなったね。
なにせ嘘が多いからみたくないのよね。
ま、在日に乗っ取られているマスコミだから見たら読んだら洗脳されます。
夕刻の備忘録より転載します。
「アナログ放送」終了と共に「デジタル」も終わり、これからは単なる「テレビ放送」になるわけである。昔々、画面の端には「カラー放送」の文字が躍り、白黒テレビしか持たない者には随分と嫌みに見えたものである。今回も同様、画面の上下にアナログ云々、デジタル云々といった文字が消えて無くなり、普通のテレビ、普通の画面に戻る。
まさに昨日は、十年近く続いた「デジタル狂想曲」終了の日であった。
こうした大騒ぎを余所に、全くこれに対応せず静観した人達も多かった。折角、静かにこの日を迎えたのだから、土壇場でバタバタすることなく、「テレビの無い生活」を始めればよかったものを、流石にそうもいかないとみえて、電器店への駆け込み組も多かったと聞く。
しかし、こうした「特需」狙いの為なのか、如何なる背後関係によるものなのか、その裏側は知らないが、古いテレビもまだまだ現役で使えることは隠されてきた。ケーブルテレビを利用している家庭では、2015年まで「アナログ対応テレビ」で充分番組が見られるのである。
駆け込み組の購入理由の大半は、天気予報、災害情報、その他の人命に関わる緊急情報を逃しては大変だというものではないか。特別見たい番組があったり、スポーツ観戦など生活に繰り込まれている人は、早々に対応済みだと考えられるからである。デジタル、デジタルと五月蠅いが、ニュースも天気予報も本当に見られなくなるならそれは大変だ、といった認識ではないだろうか。
ところが、ケーブルならまだまだ見られるのである。マンションなどではケーブルを利用した共同視聴システムも多く、入居者の多くは手持ちのテレビで充分に天気予報も、緊急地震速報も見られる。買い換える必要もなければ、大騒ぎで納期未定のチューナを予約する必要も無いのである。
こうしたアナウンスは充分にあったのだろうか。「地デジに対応しなければ、明日から何も見られません」という脅し文句なら、嫌というほど見せられた。その一方で、「ケーブルテレビを御利用の方は、後4年間は見られる可能性がありますので、是非契約会社に問い合わせて下さい」といった話は聞いたことがなかった。
夕刻の備忘録より
総務省に問い合わせても、地デジの致命的な欠陥である「時差」の問題、「現実から数秒遅れて映像が入る」問題に関しては、決して積極的にアナウンスしようとしなかった。1秒が生死を分ける緊急地震速報の問題を問い質しても、そんなことは考えたことも無かった、特別の対応は取らない、取るつもりはないとの返事であった。
近隣地区で行われた総務省肝いりの「地デジ説明会」に参加して、この種の問題を質問すると、何と「別室へ誘導される」のである。他の参加者には興味のない話だから、別室でゆっくりとお話しを聞きましょう、という「恐ろしい台詞」であった。キャー恐い!
★ ★ ★ ★ ★
嘗ては人類の夢の一つとして「壁掛けテレビ」が挙げられていた。余りにもセコイ「人類の夢」ではあるが、大昔は「携帯電話」と同様に真剣に語られていたのである。その二つともが現実になった。スパイ映画でしか見たことが無かった、腕時計に話し掛け、腕時計から映像情報を得るといった場面は、もはや日常の、それもかなり陳腐な一光景に成り果てた。
夢の壁掛けテレビが実現した今、肝心のその放送に見るべき内容は無くなった。局の数は増えても、何一つ見たい番組が無くなった。アナログが終わり、同時にデジタルが終わり、単なるテレビ放送に再び戻った昨日、それは本当のテレビの終わりが始まった日なのである。
大規模デモを伝えず、我が国歴史上最悪の「総理の犯罪」を伝えず、ありもしない「○○ブーム」をでっち上げ、国民的ヒーローもヒロインも一夜のうちに奈落の底に突き落とす。死者を冒涜し、生者を侮り、権力に阿り、外国勢力に媚びを売る。
本来「タレント」とは才能の意味である。そして昔から「無芸大食」という。芸は無くても何の才能も無くても、大食いだけは出来るという。その無芸が「タレント」を自称している。何たる矛盾であろうか。
無芸のタレント、学の無い学者、言葉を知らない評論家、儲けたことの無い株アドバイザー、昔の名前で出ている元スポーツ選手、歌えない歌手、踊れないダンサー、不細工な女優、売れていない売れっ子、そこには夢も憧れも、その欠片すら見出せない。そんなテレビを一体誰が見るのだろうか。如何なる理由で受信料を課そうというのか。
マスコミがこの半世紀で為し得たことは唯一つ。
醜悪な左翼政権を実現させた、唯これ一つである。
長年の夢が叶ったのだから、そろそろ退場して頂こうか。砂嵐映像がアナログ放送終了の印であったように、彼等の存在も、粉々に砕かれて空中に四散していくであろう。世の中にはやはり賤業がある、その証明をしてくれた彼等を、万雷の拍手で送ることにしよう。
でも、TVの番組が多くなれば、大味になり、昔のかぶりつきで見入ることはなくなったね。
なにせ嘘が多いからみたくないのよね。
ま、在日に乗っ取られているマスコミだから見たら読んだら洗脳されます。
夕刻の備忘録より転載します。
「アナログ放送」終了と共に「デジタル」も終わり、これからは単なる「テレビ放送」になるわけである。昔々、画面の端には「カラー放送」の文字が躍り、白黒テレビしか持たない者には随分と嫌みに見えたものである。今回も同様、画面の上下にアナログ云々、デジタル云々といった文字が消えて無くなり、普通のテレビ、普通の画面に戻る。
まさに昨日は、十年近く続いた「デジタル狂想曲」終了の日であった。
こうした大騒ぎを余所に、全くこれに対応せず静観した人達も多かった。折角、静かにこの日を迎えたのだから、土壇場でバタバタすることなく、「テレビの無い生活」を始めればよかったものを、流石にそうもいかないとみえて、電器店への駆け込み組も多かったと聞く。
しかし、こうした「特需」狙いの為なのか、如何なる背後関係によるものなのか、その裏側は知らないが、古いテレビもまだまだ現役で使えることは隠されてきた。ケーブルテレビを利用している家庭では、2015年まで「アナログ対応テレビ」で充分番組が見られるのである。
駆け込み組の購入理由の大半は、天気予報、災害情報、その他の人命に関わる緊急情報を逃しては大変だというものではないか。特別見たい番組があったり、スポーツ観戦など生活に繰り込まれている人は、早々に対応済みだと考えられるからである。デジタル、デジタルと五月蠅いが、ニュースも天気予報も本当に見られなくなるならそれは大変だ、といった認識ではないだろうか。
ところが、ケーブルならまだまだ見られるのである。マンションなどではケーブルを利用した共同視聴システムも多く、入居者の多くは手持ちのテレビで充分に天気予報も、緊急地震速報も見られる。買い換える必要もなければ、大騒ぎで納期未定のチューナを予約する必要も無いのである。
こうしたアナウンスは充分にあったのだろうか。「地デジに対応しなければ、明日から何も見られません」という脅し文句なら、嫌というほど見せられた。その一方で、「ケーブルテレビを御利用の方は、後4年間は見られる可能性がありますので、是非契約会社に問い合わせて下さい」といった話は聞いたことがなかった。
夕刻の備忘録より
総務省に問い合わせても、地デジの致命的な欠陥である「時差」の問題、「現実から数秒遅れて映像が入る」問題に関しては、決して積極的にアナウンスしようとしなかった。1秒が生死を分ける緊急地震速報の問題を問い質しても、そんなことは考えたことも無かった、特別の対応は取らない、取るつもりはないとの返事であった。
近隣地区で行われた総務省肝いりの「地デジ説明会」に参加して、この種の問題を質問すると、何と「別室へ誘導される」のである。他の参加者には興味のない話だから、別室でゆっくりとお話しを聞きましょう、という「恐ろしい台詞」であった。キャー恐い!
★ ★ ★ ★ ★
嘗ては人類の夢の一つとして「壁掛けテレビ」が挙げられていた。余りにもセコイ「人類の夢」ではあるが、大昔は「携帯電話」と同様に真剣に語られていたのである。その二つともが現実になった。スパイ映画でしか見たことが無かった、腕時計に話し掛け、腕時計から映像情報を得るといった場面は、もはや日常の、それもかなり陳腐な一光景に成り果てた。
夢の壁掛けテレビが実現した今、肝心のその放送に見るべき内容は無くなった。局の数は増えても、何一つ見たい番組が無くなった。アナログが終わり、同時にデジタルが終わり、単なるテレビ放送に再び戻った昨日、それは本当のテレビの終わりが始まった日なのである。
大規模デモを伝えず、我が国歴史上最悪の「総理の犯罪」を伝えず、ありもしない「○○ブーム」をでっち上げ、国民的ヒーローもヒロインも一夜のうちに奈落の底に突き落とす。死者を冒涜し、生者を侮り、権力に阿り、外国勢力に媚びを売る。
本来「タレント」とは才能の意味である。そして昔から「無芸大食」という。芸は無くても何の才能も無くても、大食いだけは出来るという。その無芸が「タレント」を自称している。何たる矛盾であろうか。
無芸のタレント、学の無い学者、言葉を知らない評論家、儲けたことの無い株アドバイザー、昔の名前で出ている元スポーツ選手、歌えない歌手、踊れないダンサー、不細工な女優、売れていない売れっ子、そこには夢も憧れも、その欠片すら見出せない。そんなテレビを一体誰が見るのだろうか。如何なる理由で受信料を課そうというのか。
マスコミがこの半世紀で為し得たことは唯一つ。
醜悪な左翼政権を実現させた、唯これ一つである。
長年の夢が叶ったのだから、そろそろ退場して頂こうか。砂嵐映像がアナログ放送終了の印であったように、彼等の存在も、粉々に砕かれて空中に四散していくであろう。世の中にはやはり賤業がある、その証明をしてくれた彼等を、万雷の拍手で送ることにしよう。