こうして日々ブログを書いていますが、私の書いている文章はもはや文章とは言い難いように自分では感じています。おしゃべりの延長ですね。
お顔も存じ上げない方に対して話すように書いているわけですが、本当ならもっとちゃんとした文章が書けるといいのに、と常々感じています。
もちろん多くのブロガーさんの中には文筆家かエッセイストかと思えるような、文の達人もいらっしゃいます。そういう人や、プロの文筆家が書くような、
品格のある端正な文章に憧れている私。
憧れの代表格は、向田邦子さん。小説はほとんど読んでいませんが、彼女のエッセイはまさしく品格もあるのに真面目一辺倒でもなく、時にくすりと笑わせられる
ユーモアを散りばめてあって、読むものを飽きさせません。脚本家だけあって、情景描写もとてもうまい。
私は定期的に本棚を整理する、というより、買った本を納めるスペースを確保するために、もう充分読んだとか思ったほどではなかった本を手放しますが、
残している本の多くが向田さんのような文章の達人が書いたもの。文章のプロが書いたから、といって、必ずしも私の好みに合うとは限りませんが。
そんな文章の達人のひとりだとずっと思っているひとりが、平松洋子さん。
彼女の食に関するエッセイ(文庫本)を既に何冊か持っているのですが、少し前Amazonで見かけた本のタイトルに一瞬どっきり。
そのタイトルは「下着の捨てどき」というもの。元は別タイトルで単行本として出版されたものに加筆・改題されたもの。
少し前の記事に書いた、リハビリを待っているときに読んでいて思わずクスッとなったときマスクをしていてよかったね、だったその本がこれ。
読んでいくうち、そうそう、あるある、を何度頭の中で連呼したことか。
拡大鏡(私の場合は老眼鏡だけど)で自分の顔を見た時の衝撃(笑撃かも)、「たいした面積もないのに、眉というものは結構な支配力がある」というくだりに
そうそうその通り!と平松さんが傍にいたらがっちり握手をしただろうと思ったし、「ときおりの無駄は人生の処方箋である」と読めば、勢いで買ってしまって
返品するのに手間ひまかけた自分のなぐさめにもなる。「着たいのに似合わない服が増えた」とあれば、私だけじゃないんだ!とまるで友だちになったかの
ような気持ちにもなる。
これ1冊、ほとんど共感の嵐。綾小路きみまろのトークみたいなものかもしれません。あれがオバサンたちにうけるのは、それが明らかに真実で共感出来るから。
あまりに共感することが多いので、同年代だろうかと思ったけれど一度確かめてみたら(もちろん検索で)、なんと同い年、しかも誕生日が一週間しか
違わない!今まで以上に親近感、一気にアップしましたね。もちろん中身は全く違ってあちらのほうが優秀ですが。
多分これからも平松さんの本が少しずつ増えてくることでしょう。マイブームの兆し、大です。