一昨日入学式を終えて孫娘の小学校生活が始まりました。分団登校だった昨日はほぼ順調な滑り出しだった模様。
早く勉強がしたい、なんて言っていたようですが、きっとそのうち「行きたくな~い」なんて言い出すんじゃないでしょうかね。
私は小学校が最初の集団生活だったこともあって、なじむのに時間がかかったし、親が担任に注意されたこともあったようです。この歳になっても一緒に何かする、ということが
苦手でしょうがない上に幼稚園も保育園も経験していなかったのだから無理もないし、今以上に多様性など認められない世の中だったんだもの。
聞いたところによると、孫たち1年生は3クラス、ひとクラス35~38人なんだそう。今はもっと少ないクラス人数じゃなかったのかな?と不思議に思いましたが、おそらく教員不足とか
授業によって一定の子どもを別にして授業が行われるのではないか、ということ。なんでも一見3クラスだけど6クラスある、と説明を受けているらしい。まあなんとなくわかるけど。
今の教科書は大きくてきれい。学校は好きじゃなかったけれど、新しい教科書、特に国語の中にどんなことが書いてあるかはこんな私でも楽しみでした。3学年上の次姉の教科書を
絵本代わりに読んでいたので、自分が手にした教科書とあまり違いはありませんでしたが。
改めて思いました。今は好きに本を買っているけれど、それは子ども時代の反動かもしれないな、と。
貧乏で本などほとんど買ってもらったことはなく、手元にあった子ども向けの本と言ったらご近所さんで不要になったグリム童話と、近畿地方の伝説や昔話の本に、母が子ども時代
友人から借りたままになっていた寓話集くらいしかありませんでした。
その寓話集は旧漢字や旧仮名遣いだったので、わからない漢字は母に読みを聞いて読んでいました。次姉の教科書のおかげで普通に小学校で習う漢字は、書けなくても読むことは
大方出来ていたっけ。
この、なまじっか読みが出来ていたせいで、学校の勉強をなめてかかっていた感じはあったかもしれない。算数や理科は散々なものでしたが、国語だけはまあまあだったので。
その頃からの読書好きではあるけれど、高校生くらいまでに読んだ本のほとんどは覚えていない事実には、自分でもがっかりします。
いわゆる名作みたいなものも読んだり読みかけたりはしたけれど、誰かがつけた評価に対して反発心があったからなのか自分に合わなかったからか、どれも印象に残っていません。
全部が全部覚えていないけれど、思い出すことが出来るのはムーミンの一連の話や宮沢賢治の童話くらいです。
趣味の欄には必ず読書と書き入れるものの、昔に比べたら明らかに読書量が減ってしまっています。内容も偏っていて、あまり褒められたものではない。
昨日は2か月に1度出る究極難解ナンプレと、久しぶりに雑誌クロワッサンを買ってきました。雑誌は興味のある特集のときだけ買っていますが、よほど興味のない記事以外は文章も
ちゃんと読むのが流儀。ライターさんが生活の糧としてきちんと向き合って書いた文章だもの。
うまくまとめてあったり、文章力があるなと思うと必ずお名前も確認。すると以前読んでいいなと思ったライターさんであることがよくあります。何か自分に通じるものがあるので
しょうね、きっと。
そのクロワッサン(とだけ書くとパンしか思い浮かばない:笑)。表紙が大好きな小林聡美さんのもので、特集が「キレイが進化する 印象チェンジ術」というもの。
キレイが進化するかどうかはさておき、印象チェンジというのが気になりました。Amazonで見かけて、書店で中を確認してお買い上げ。
自分じゃなかなかそうはなれないけれど、数人の読者がちょっと髪型や服の選び方を変えただけでぐっと見た目がよくなる実例は、見ているこちらもなんだかうれしくなります。
久しぶりに買ったクロワッサンだったけれど、思った以上によい影響ももらえた気分です。